陸上・駅伝

連載:あなたにエール

法大・黒川和樹「気持ちいい走り」を五輪で 急成長の君に追いつけない母からのエール

黒川は中学生の時、母・有希子さんの勧めで走り高跳びから陸上を始めた(撮影・松永早弥香)

アスリートの成長を身近に感じてきた方が独自の目線でたどる連載「あなたにエール」、今回は法政大学陸上競技部の黒川和樹(2年、田部)へ、母・黒川有希子さんからのエールです。黒川は5月のREADY STEADY TOKYOの400mHで48秒68をマークして東京オリンピック参加標準記録を突破し、6月の日本選手権では48秒69で初優勝。東京オリンピック代表に内定しました。そんな黒川に陸上の道を後押ししたのは有希子さんでした。

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うなぎに魚図鑑、「大きくなったら漁師になる」

一人っ子やったけど、私は甘やかせて育ててないと思う。歩き始めがすごく早かった。8カ月よ。急にすくっと立って2、3歩トコトコって。みんながびっくりしよった。なるべくいろんなことをさせようと思ってね。スタートは2歳の時にタマネギの皮むき。4~5歳になってからは卵焼き。卵2個に白だしを入れるんよって教えてね。最初は下手くそだったけど段々上手になって、そのうちネギとかマヨネーズとか入れてアレンジし始めた。あの子はひょうきんなところがあって、静かな時とかちょっとふざけるけど、基本的にいい子よ。優しい。保育園の時から身長は頭ひとつ抜けとった方かもしれんね。両親とも背は高くないんやけど。

小学生の時は何もスポーツをしていませんでした。周りにはバスケットをしている子もいたし、何度か声をかけた気がするんですけど、その時は興味を示さなかったかな。当時は外遊びが好きでね。2つ上の子と一緒に川や海に行ってうなぎの仕掛けをしてとりよった。幼稚園の頃から、おじいちゃんに連れられてニイナ貝をとりに行ってたからね。

よく肥えた立派なうなぎでしたよ。「魚屋さんに行くから連れてって。天然やけぇ売れるっちゃ」とか言って、その魚屋さんも自分で見つけてきました。同じくらいの子供がいるお母さんにそのことを話したら、「すごいね! 流通の全てを勉強しとるやん」と言われました。子供に感心することはあまりなかったんですけど、他のお母さんがそう言ってくれるんならそうなんかなぁって。プレゼントした分厚い魚図鑑を2冊、ボロボロになるまで使い込んでいました。「これ全部答えられるけん、パッと開いたところを言って」と和樹が言って、ふたりで遊ぶこともありましたね。あの時は「大きくなったら漁師になる」って言いよった。

ただ5年生の時くらいに、周りの子がちょいちょい陸上を始めたんですよ。「母さん、僕もしたい」的なことを言ってきた。でも私は知らん顔をしてて、何回が言ってきたのが6年生なった時かな。そこで向き合ったんですけど、15~16時ぐらいに送りに行かんといけんくて、私は仕事に出ていたので無理でした。だから「もうちょっと待って。そのしたいという気持ちだけはずっと持っちょって。中学生になったら嫌でもさしちゃるから」と和樹に言ってきかせました。

背が高くなくなった息子に走り高跳びを推薦

中学校に上がる前に引っ越して、長成中学校(山口)に進みました。なじめるかなって心配していたんですけど、3日もすれば「20人以上友達ができたよ。今から友達とグランド行ってくる」とか言いよったから胸をなで下ろしたもんです。

「照れくさいのか、一緒に写真を撮ろうとするといつも変顔をするんです」と有希子さん(写真提供・黒川有希子)

いろんな友達から野球部に誘われたようで、最初は「野球部に入る」って言っていました。でももっと早い段階から野球をしている子も多いじゃないですか。だから今から始めるんだったら陸上の方がいいだろうなと思ったんですよ。それに「陸上したいって言いよったやん?」って聞いたら「あ~」って顔をしてて。「でも勧めてくれた子がおるんやけ、野球部を断るんやったら丁寧に言うんよ」とは伝えましたね。

確かに小さい頃は背が大きかったんですけど、小学校の後半から伸びなくなった。小学生だと女の子の方が伸びるじゃないですか。小学校の参観日に行ったら女の子の方が大きくて「和樹、ちっちゃいな」って。中学校に上がった時は身長152~3cmで体重なんて35kgもなかったんですよ。ガリガリ。すごく食べるのになんで太らんのやろうって思っていました。でも今はなんであんなに太ったんやろう。不思議やね。

和樹に走り高跳びを勧めたのは私なんです。「あんた、これし」って。背が高くなるからいいなって思ったんです。それに小6の時に出場した市の陸上大会で、和樹は走り高跳びに出て4位だったんですよ。だったら可能性があるのかなって思いましたし。ただ私は陸上をやったことがないし、正直、最初はあまり興味がなかったんですよ。だから和樹が「スパイク買うからスポーツ店に連れてって」って言い出した時も、「ピンが付いてる? 画びょう付けるそ??」とか、そんな感じでした(笑)。1年生の時は応援に行く機会はなかったんですけど、2年生になってからは周りのお母さんたちからの誘いもあって定期的に応援に行くようになりました。そこからは陸上って面白いなぁって思えましたね。

中2になる前に身長が10cm近く伸びて、そこから記録も伸びた。そのころに110mHも始めたのかな。中3になるころには176cmになってて、走り高跳びでも1m75が跳べた。その中3の時に先生の勧めで四種競技を始めたようだけど、先生から「黒川くんは400mも走れるんですね」と言われて、口には出さんかったけど「そうなん?」って思ったもんです(笑)。中3の時の中国大会では走り高跳びで1m75を跳んで3位、四種競技で2341点(110mH/15秒69、砲丸投げ/8m42、走り高跳び/1m69、400m/53秒84)で3位になったんですけど、全中には出てないです。でも10月にあったジュニアオリンピックには110mHで出場して予選敗退。レースの後、真っ青な顔で私の前に来た。「あんた、そんな顔してどうしたん?」って聞いたら「横が速かった」って。当たり前やん、県大会じゃないんだから。そこで初めて全国の壁を知ったんじゃないかな。

黒川(右)はひょうきんな性格で友達も多いという(写真提供・黒川有希子)

厳しい毎日、陸上一筋は変わりませんでした

そこからいろんな高校からお誘いがあったんです。すごいよね。和樹は最初、寮がある高校に行きたいと言って自分でその高校に進んだ選手のことを調べよったけど、この子にはまだ寮生活は無理やろうなと思ったんです。私も寂しかったし。だから「寮生活になったら服とか自分で洗濯せんといかんよ」って聞いたら、「うん、大丈夫。できる」と言いよってね。でも最終的に「俺、陸上真面目にするけん、田部に行かせて」って言い出した。田部高校(山口)に進んだ選手がどのくらい伸びているのかとか調べていたようです。ただ最後の最後に一般受験で決めたこともあって、学校説明会や部活動の見学には行ってなかった。

でもね、「俺、部活動の見学に行ってたら田部に行かんかったかも……」と後で言っていましたよ。基礎から鍛えるのはもちろんだけど、顧問の木田勝久先生(現・西京高校)が生活指導もしっかりしてくれていましたから。うちの子はちょっと抜けとるところがあってね(笑)、もうちょっとうまくやればいいのによく怒られていたんですよ。でも絶対口答えはしませんでした。

きついからね、陸上をやめたくなると思ったんです。合宿や遠征があるから夏休みや冬休みもないし、夜に学校から帰ってきても筋トレとかしてましたし。だから私から「陸上やめんかね?」って誘導したことがあったんですけど、「なんで?」って。あ、続けるのかって思いました。寝られんかったんかね、深夜0時くらいに「ちょっと走ってくる」って出かけたことがあったんです。よくやるなって思っていたんですけど、すぐに帰ってきました。真っ青な顔して「イノシシに追っかけられた」って(笑)。

高3の国体ではまず400mHで出場し、51秒29で2位。110mHは13秒49(追い風2.7m)で3位だった(顧問の木田先生と、写真提供・黒川有希子)

でもどうしても人間、モチベーションが下がる時ってあるじゃないですか。そんな時は和樹が家に帰ってくるのを見越して、私が撮った和樹の過去の動画を流しておくんです。そしたら「これいつの?」って言って食いつく。「ちょっと巻き戻して」とか言ってまた気持ちが入っているようでした。それが私の作戦です(笑)。和樹は高2の時に400mHでインターハイに出てるんですけど、準決勝で敗退しました。「決勝出られた子と自分は何が違うんだろう」って何度も何度も動画見返してね、「もう秋になるやん。あんた何回見るん?」って。でも結局「分からん!」って言いよったね。高校最後の年はインターハイや選抜、国体で全て入賞していました。高校3年間を振り返って、変わったというか変わらんかったかな。ずっと陸上一筋だった。

不安でいっぱいで、レースを見られませんでした

法政大学に進むのを決めたのも和樹でした。主人に言われたのは「こいつが行きたいところに行かせんといいわけするよ」。そうだなって思いましたね。だから「自分で決めたなら4年で絶対卒業しーよ。4年以降は一切仕送りをしません。陸上も絶対続けなさいよ。上下関係が厳しいだろうけど、覚悟して頑張りなさい」と言って送り出しました。最初は本当に行くんじゃなって寂しさもありましたけど、高校の時に寮の学校を1回ダメって言っとるし、18歳になったならもう大丈夫かなと割り切りました。

でも新型コロナウイルス感染拡大もあって、4月上旬から1カ月以上、和樹が家にいたんですよ。いつまた寮に戻るか分からんけど、最後だしやることやっちゃろうと思って食べ物から掃除から一切合切やった。やり切った。こっちは仕事しながらだから、やっぱり疲れるよね。寮に戻る頃にはせーせーしました(笑)。朝は起こしても起きんし。だから寮に行かせるのも修行だな。母さんの苦労も分かるやろうと。寮では先輩と同部屋なんですけど、その先輩がいい人のようでよかったなと思っています。

和樹のメガネとヘアバンドが話題になってるようですけど、私からしたらまぁ見慣れたもんです。小学校の時に目が悪くなり始めて、メガネをかけたのは陸上を始めたのとほぼ一緒。だから陸上する=メガネをかける、じゃないと違和感があるんだと思う。ゆるくなると落ちるから、定期的にメガネ屋さんに行って締めてもらっていました。中高はハチマキをしてて、それでメガネを固定していました。大学ではそれがなくなるから、「とめるのがないかねぇ」って和樹に言ったら「あるっちゃ」。だから今はヘアバンドをしているわけです。

そんな和樹が今年5月、READY STEADY TOKYOで400mHを走るのが決まったのは直前だったようです。オフィシャルページを見てもなかなか和樹の名前がないから、LINEで何回か「本当に出るん?」って聞いたら、「出るっちゃ」って。「あっそう。走れるんか?」って聞いたら、「え、俺速いよ」とか言うんですよ。

READY STEADY TOKYOも日本選手権も、黒川(左)が「かなわない」と思っていた安部孝駿(右)に競り勝った(撮影・池田良)

元々あのレースは無観客だったから現地で応援できなかったんですけど、私はもう、よう見きらんでね。和樹が初めて出場した去年の日本選手権は応援に行ったんですよ。周りの人にも「和樹が走るよ」って伝えて。でも決勝は8位で入ってうなだれてて……。またあの姿を見ないといけんのかって思ってすごく不安だった。

だから今回は周りの人にも言わず、墓参りに行って、テレビ録画をしたんです。始まる前にちょっとお酒を飲んでしまいまして……。テレビ一面に和樹の悔しそうな姿が映し出されるかと思うと、本当につらいんですよ。それで、録画をセットしていたのも忘れてパッとレースを見たら、もうゴールの前で、和樹が先頭を走ってるんですよ。抜かされそうになっとると思っていたらそのままゴールして、タイム見たら「え~~~」って。48秒68で東京オリンピック参加標準記録を突破。そしたら私のスマホに電話やメールがジャンジャン。療養中の私の友達も、「見とったよ。跳び起きた! 元気もらったよ」って。みんな感動したんだなって思いました。

東京五輪がかかったレース、墓参りをしてお祈り

東京オリンピックがかかっていた6月の日本選手権、主人は応援に行ったんですけど、私は家にいました。験担ぎです。

高3の選抜で和樹が300mHで優勝した時、主人だけ応援に行って和樹は36秒40(U20日本記録)で優勝してるんです。去年、和樹は400mHで9月の日本インカレは49秒19で2位、10月の日本選手権は52秒46で8位と実績を残していたから、日本選手権からほどなくしてあったU20は大丈夫だろうと思いながら応援に行きました。先にあった110mHでは13秒51(追い風0.6m)で2位。でも400mH決勝前のアップでまたがバキってなった。それで2組で行われた決勝はあかんくて最下位の9位。主人が私に「かーちゃんが来たらどうも……」って言うから、「あっ、ホントやな」って。だから日本選手権前に「かーさん行くのやめる。行かんよ、行かん!」って宣言しました。

もうね、予選と決勝で2回、2カ所の墓参り。日焼けでよ~焦げましたわ。そしたら優勝した。「頑張ったね」という単純なものじゃない。すごく勇気づけられる。日々仕事で疲れてるけど、あのレースの動画を見てから毎朝出勤してます。今も思い出したら感動しますよね。翌日、和樹からLINEと電話がきてて、でも大した会話はせんのよね。和樹からは「ありがとう。やったぜ~」くらいです。「おいしいものが食べたい」って言うからすぐにお金を振り込みました。レースの前も後も緊張で胃が痛かったようやけど、私にはそんなことは言いませんでしたね。

大きなスライドで最初から飛ばすあの走りに、有希子さんも勇気をもらっている(撮影・松永早弥香)

オリンピックはそばで見たいね~本当に。全国大会的なものはダメなのかもしれないけど、オリンピックはまた違うからええかなって思って。まだ現地で見られるか分からないけど。

東京オリンピックに行けるようになったのは本当にびっくりしたんですけど、急に伸びたので私は追いついていけてないんです。まずは感謝の気持ちを忘れちゃいけん。周りの方々の支えがあってのこの結果なので、感謝の気持ちを胸に、オリンピックで頑張ってください。世界やからねぇ。挑戦する気持ちでいったらいいんじゃないかな。そんな気負わず、思い切ってね。和樹の走り、気持ちいい走りよねぇ。あの走りを大きい舞台であと何回か見たいよね。

あなたにエール

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