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特集:2024年 大学球界のドラフト候補たち

青山学院大・児玉悠紀 リスク恐れず、挑戦し続ける左腕「安定は嫌」とプロ一本で勝負

ドラフト会議で指名を待つ青山学院大の児玉悠紀(撮影・井上翔太)

「戦国」と呼ばれる東都1部リーグで4連覇を果たし、11月の明治神宮大会で「大学四冠」を目指す王者・青山学院大学で、先発ローテーションの一角を担う児玉悠紀(4年、日大三)。150キロ超のスピードボールこそないが、チェンジアップを駆使し、ボールの奥行きを巧みに利用したピッチングで試合を組み立てていく左腕だ。最終学年となり、春先から進路を「プロ一本」と明言して、自ら退路を断った真意とは?

【特集】2024年 大学球界のドラフト候補たち

「得られるものも大きい」と宮崎から上京

マウンド上で見せる冷静な表情とは裏腹に、児玉にはリスクを恐れず果敢に勝負する、挑戦者のマインドが息づいている。

中学3年生の5月、地元宮崎県で開催された高校野球の招待試合に日大三が招かれた。その際、日大三の三木有造監督(当時は部長)が、児玉が所属していた都城シニアの練習場を訪れ、ピッチングを見てもらう機会があった。「ウチ(日大三)でやる気があるのなら採ります」という三木監督の言葉を聞き、もともと考えていた地元の高校と迷った末、上京することを決意した。

「チームの先輩が誰も行ったことのない高校で、しかも全国でも名を知られる強豪校。不安もあったけど、挑戦したら得られるものも大きいかと思いました」と児玉は言う。

果敢に勝負するという視点で、進路を選択してきた(撮影・矢崎良一)

1学年先輩に井上広輝(現・埼玉西武ライオンズ)、廣澤優(現・愛媛マンダリンパイレーツ)という2人の好投手がいた。彼らの活躍もあり、児玉が1年の夏、チームは第100回全国高校野球選手権記念大会でベスト4まで勝ち進んだ。

「レベルの違いを感じつつも、2人がいる間に自分が(背番号)1番を取りたいという気持ちはありました。大学とかなら2、3人の投手が均等にチャンスをもらえるけど、高校の1番というのは、唯一のエースナンバーですから。それをつけたい、と」

彼らがいた2年夏までにエース番号をもらうことはできなかったが、新チームになり、念願の1番を背負うようになった。秋の東京大会では準々決勝で帝京に1-2で競り負けたが、エースの座を不動のものにした。最後の夏はコロナ禍で全国選手権が中止に。西東京独自大会では準々決勝まで進み、波乱の高校野球生活が終わった。

目立った実績を残せなかったため、進路はなかなか決まらなかったが、独自大会を観戦していた青山学院大の安藤寧則監督から「キャッチボールが良い」と目を付けられ、推薦の話をもらった。当時の青学大はまだ東都2部リーグ。それでも「行きます」と即答した。

青山学院大から推薦の話をもらったときも「行きます」と即答(撮影・井上翔太)

投手としての分岐点となった、リーグ戦登板ゼロのシーズン

児玉はその年の8人のスポーツ推薦枠の中で、最後に決まった。全国の強豪校出身でもなかなか入れない狭き門だということは、入ってから知った。「そんな中に自分を選んでもらえたのかと、誇らしかったですね」と笑う。

デビューは1年秋のリーグ戦。リリーフで3試合に登板している。経験のためのワンポイントなどではなく、接戦を任され、行けるところまで行く第2先発のような起用法。球数が90球近くなるロングリリーフもあれば、好投しながら延長戦で痛打を浴びて敗戦投手になったり、四死球を連発して1死も取れずに降板したりすることもあった。それでも神宮のマウンドを経験し、吸収したものは多かった。

「厳しい試合に起用してもらう中で、高校の時よりも自分のレベルが上がった。東都リーグのレベルに追いついているのかな、と思えました」と児玉は振り返る。

続く2年春のリーグ戦では先発として起用され、計7試合に登板。2勝を挙げた。ストレートもチェンジアップも、「キャッチャーの構えたところに、腕を思いきり振って投げ込んでいただけ」と言う。だが、もともと投球フォームに独特の間を持っているため、打者はタイミングが取りづらく、空振りしたり凡打になったりしていた。

「相手チームにはまだ僕のデータがなかっただろうし、後ろ(リリーフ)に力のあるピッチャーがいたので、ペース配分など気にせず打者一人ひとりを打ち取ることだけを考えていました」

下級生の頃はペース配分を気にせず、目の前のバッターに集中(撮影・井上翔太)

投手として大きな分岐点になったのは、意外にもリーグ戦の登板がゼロに終わった2年秋だという。前シーズンに力強く1歩目を踏み出し、着実に次のステップにつなげるつもりだったが、思わぬつまずきとなった。夏場からなかなか調子が上がらず、オープン戦でも結果が出ない。他の投手が良かったので出番がなくなった。「すごくふがいなかったし、もっと力をつけなくてはと思いました」と言う。

当時は「プロに行くにはスピードが大事」といった声をうのみにし、もっと速い球を投げようと思って、自分の良さを見失った。日頃から指導を受ける中野真博コーチには、「間がなくなっている」と指摘された。「140キロが145キロに見えるような力感で投げろ」というアドバイスの意味が、最初はよく分からず、ただ軽く投げていた。3年生になってようやく、その感覚が少しずつ分かり始めた。

「めっちゃ緊張」した明治神宮大会決勝の先発マウンド

3年になっても、なかなかチャンスは回ってこなかった。2年の春、「後ろ」に控えてくれていた「力のあるピッチャー」たち、1学年上の常廣羽也斗(現・広島東洋カープ)と下村海翔(現・阪神タイガース)が先発でフル回転。2人ともドラフト1位指名を受けてプロ入りを果たした。

「よく、高校でも大学でも上級生に良いピッチャーがいたから、下級生の頃に出番が少なくて不運だったとか言われるのですが、僕は全然そうは思わなくて、そういうすごい人たちと一緒にやって、勝てるように努力することで自分が成長できるという考え方なんです。常廣さんも下村さんも、身体能力が高いし、体の使い方がうまい。だから、びっくりするほど大きくなくても、150キロとかを投げられる。『すごいな』と思うことばかりでした。でも、試合になったら、どこかで崩れることがあるかもしれない。僕はそこを任されるように、と。任されたら絶対に抑えなくてはいけない。打たれたら信頼がダウンするんで。そういう意識でやっていました」

そんな中で託されたのが、3年生のシーズン最後の試合、慶應義塾大学と戦った明治神宮大会決勝戦の先発マウンドだった。「めっちゃ緊張しました」と振り返る。

苦手な立ち上がりを乗り切ると、「こんな感じで打ち取れるんだ」というイメージをつかんで、5回を5安打無失点に抑える好投。2番手の下村につないだ。試合には敗れ、あと1勝で達成できた「大学四冠」には届かなかったが、大舞台でのパフォーマンスは確かな手応えになっている。

昨秋の明治神宮大会決勝で先発のマウンドを任された(撮影・小俣勇貴)

目標とする投手は日大三の先輩・山崎福也

4年生になった今春、進路について、チームメートの佐々木泰(4年、県岐阜商業)や西川史礁(4年、龍谷大平安)とともに「社会人は考えずプロ一本で」と宣言した。

安藤監督は当初、「社会人を経由して、もっとレベルアップしてからでも遅くはないのでは」という意見だった。何度か面談を繰り返し、「どうしても大卒で行きたい。指名がなければ野球をやめる覚悟で」と思いを伝えると、最後は「わかった。お前を信じる」と認めてくれた。

思いを結果で示そうと、春のリーグ戦は先発の柱として開幕から28回3分の2を無失点。優勝がかかった終盤の日本大学戦では1-0で自身初の完封勝利。シーズン4勝を挙げて、リーグの最優秀投手賞を受賞した。この秋は未勝利ながら、各カードの2戦目で先発を任されている。

1戦目先発へのこだわりはない。「どこで投げても、その時にベストな結果を出す。チームが勝つことが一番大事なので。その時に調子の良いピッチャーが投げたらいいと思っています」と言う。

仲の良かった常廣とは、よく「マックス何キロとか、そんなのどうでもいいよな。試合に勝てたらそれでいい」と話していたという。だから、150キロを投げたい気持ちも今はない。

「僕はスピードを求めたらコントロールが不安定になるので、まずはコントロール重視で」と言う。目標とする投手には、日大三の先輩でもある山崎福也(現・日本ハムファイターズ)の名前を挙げる。山崎のように、豪速球はなくても、チェンジアップやツーシームで打者を翻弄(ほんろう)するピッチングをいつもイメージしている。

正捕手の渡部(右)と言葉をかわす児玉(撮影・井上翔太)

常廣羽也斗から届いたメッセージ

ドラフト会議を目前にした今も「春に結果を出せたし、ここで曲げてしまったら自分の考えがずれてしまう」と、プロ一本で指名を待っている。そこまで「大卒プロ入り」にこだわる理由とは?

「社会人からのプロ入りとなると年齢もあるし、社会人というのは、プロに比べたら金額は安いけど、毎月会社から給料をもらって野球をすることになります。それは安定ということだと思います。僕はその安定が嫌で、リスクがあっても、そこからはい上がっていく。そういう勝負をしていきたいと考えてしまうんです」

児玉の小学校時代の所属チームの2学年先輩に、巨人の戸郷翔征がいる。今年、チームが東京で開催された全国大会に出場した際、戸郷が激励に訪れた。今もコーチをしている児玉の父親が息子のことを話すと「もちろん覚えていますよ」と言ったという。

戸郷もドラフトでは6位指名で、大学進学を勧める声もある中でプロ入りした。今では巨人のエースに成長し、日本を代表する投手にもなった。児玉はそんな生き方を尊敬し、自分も後に続きたいと思っている。「順位は何位でも、行って結果を出せば、上に行ける世界だと思うので」と目を輝かせる。

1年前、ドラフトで指名を受けた常廣から「プロで待ってるからな」と言われた。先日、常廣のプロ初先発に合わせて「頑張ってください」とLINEを送ったら、「プロ、来るんだろ」と返信が来た。

東都1部4連覇を勝ち取り、ドラフト指名を受け、大学四冠へ――。児玉は今、そんな未来を見据えている。

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