明大・武藤俊太朗 自ら道を切り開くオールラウンダー、ジェイコブス晶から受けた刺激
明治大学の武藤俊太朗(2年、開志国際)は、チーム随一の経験値を積むプレーヤーだ。高校時代に成し遂げた全国大会優勝をはじめ、世代別日本代表で3度の世界大会出場、さらにはプロの舞台にも立った。これからの大学バスケ界を引っ張り、近い将来、日の丸を背負うであろう19歳に迫った。
強豪校進学を機に、世代のトップへ
2005年2月4日生まれ、新潟県出身。バスケットボールの指導者だった父の影響で、小学校1年生から新潟アルビレックスBBが主催するバスケスクールに通いはじめた。「中学校は北信越で3位になりましたけど、本当に下手くそでした」。そう振り返る武藤だが、高校は全国大会常連の開志国際高校に進学することができた。
開志国際の指揮を執るのは、富樫勇樹(千葉ジェッツ)の父としても知られる富樫英樹コーチ。「父とのつながりもあって、富樫先生はずっと僕のことを見てくれていた」という縁から強豪校での3年間をスタートさせ、1年の頃からユニホームを与えられた。翌年からはスタメンの座を勝ち取った。ちなみに、筆者が彼を初めて知ったのはこの頃。「2年の武藤ってやつがいいんだよ」と富樫コーチに紹介されたのがきっかけだった。3年のインターハイは決勝戦で1点届かず準優勝に終わったが、冬のウインターカップではその無念を晴らして全国制覇を達成。ダブルキャプテンの一人としてもチームの先頭に立ち、同校に大会初優勝をもたらした。
高校時代から世代別の日本代表にも名を連ねる武藤の経歴は、すでに盛りだくさんだ。U16、U17、U18、U22――。2022年のFIBA U17ワールドカップをはじめ、2023年にはFIBA U19ワールドカップと3人制(3x3)のFIBA 3×3 U18ワールドカップにも出場。大学進学前の期間には、地元クラブである新潟アルビレックスBBの特別指定選手としてBリーグの舞台にも立った。
現在の明治大では2年生ながらチームの中心を担う。「たくさん代表にも呼んでもらっているので、それに見合った選手にならなきゃいけないという気持ちは常にあります。けど、自分の思い通りのプレーができない時は(実績が)ちょっとプレッシャーというか、『このままではマズいな……』って思うこともあります」とクスッと笑った。
「できないプレーがない」を強みに
武藤は身長190cmのスモールフォワード。現在の体重は87kgで、豊富な国際経験を積んだ分、フィジカルには自信がついた。だが、身長は決して恵まれているとはいえず、それを補うスピードがあるタイプでもない。武藤は自身の強みや、たびたび代表メンバーに招集される理由をどう自己分析しているのか。本人に問うと「多分、できないプレーがあまりないところ……」と首をかしげ、こう続けた。
「まだまだですけど、一つひとつのプレーの質は(周りの選手と比べて)高い方だと思います。できないプレーが少ないから、いろんなコーチも自分を使いやすいのかなと」
武藤の良さは、様々な状況やチーム事情、ゲームプランに順応できる点にある。高校時代は介川アンソニー翔(現・専修大学2年)にエースの座を譲り、自分がリバウンドなどの黒衣約に徹したことで日本一をつかみ取った。「高3から打ちはじめた」という3ポイントシュートも今では武器の一つだ。
アンダー世代の代表を指揮するマルチネス アレハンドロヘッドコーチ(HC)からは「武藤のシュートは落ちないから、練習中からどんどん打ちなさい」と言われ、代表合宿で指導を受けたトム・ホーバスHCにもシュート力を評価された。「あなたの仕事はシュートなので、合宿ではたくさん打ってください」。U22日本代表を率いた網野友雄HCには「シューター陣はそろっているから、ドライブで中を切ったり味方にスクリーンをかけたりしてほしい」と求められ、それを遂行した。
得意なプレーについて、武藤は「今はないです」ときっぱり言った。エースが5人いても、ディフェンス職人が5人いても勝てるとは限らない。彼のマルチなプレーぶりは試合に勝つため、チームを一枚岩にするためには欠かすことのできない要素だ。本人は控えめに言う。「大学に入ってからもプレーの幅を増やしてはいますけど、得意なプレーはない。でも、それがある意味でいいことなのかもしれません」
さらにハンドリングを磨き、シュート確率の波も少なく
例えば、コーチから「好きなプレーをしていい」と言われたら、武藤はコート上でどう自分を表現したいのだろう。「やっぱりオールラウンドなプレーですね」と武藤は答えた。具体的には、オフェンスでは味方に生かされ、反対に生かすこともできる。ディフェンスでは相手のエースを抑える役目を担い、自他ともに認める攻守の要になることである。
「去年は周りに生かしてもらうことが多かったですけど、今年は自分でも攻撃をメイクする場面が増えました。ディフェンスにもフォーカスしていますし、プレーの質が高くなってきている感覚はあります」
今年の夏、武藤には大きな刺激を受けた出来事があった。パリオリンピックのメンバーにジェイコブス晶(ハワイ大学)が最年少となる20歳で選ばれたことだ。「もう刺激しかなかったです。U19で初めて一緒にプレーしたんですけど、3ポイントは外さないですし、身長が2m以上あるのにプレーが柔らかい。やっぱりチームメートだった選手がA代表で活躍する姿を見ると刺激になります」
2027年にFIBAワールドカップ゚がカタールで開かれ、翌年にはロサンゼルス・オリンピックが控える。現在19歳の武藤も目標に定める場所であり、その場に立つためには一つずつ課題をクリアしていかなければならない。
「もっとハンドリング力をつけなきゃいけないですし、シュート確率の波も少なくしたいです。キャッチ&シュートばかりだった3ポイントも、今年からは動きながら打つ練習を取り入れています。ポジションも3番(スモールフォワード)から2番(シューティングガード)に上げなければ代表やプロで生き残っていけないと思うので、これからもスキルアップを図っていきたいと思います」
独特の存在感と貢献度で自らの道を切り開き、常に必要とされてきた。武藤俊太朗という深みのあるオールラウンダーは、これからどんな成長曲線を描くのだろうか。