ラグビー

特集:大学から始まり世界へ 日本ラグビー125周年

日本ラグビー協会・土田雅人会長 各大学は日本一と同時に、トップ選手育成もめざして

同志社大で大学選手権3連覇を経験している土田雅人・日本ラグビー協会会長(インタビュー写真は提供・慶應義塾大学蹴球部)

日本ラグビーフットボール協会会長・土田雅人さんは、学生時代は同志社大学で大学選手権3連覇に貢献。卒業後はサントリーに入社し、監督としてチームを3度日本選手権優勝へと導きました。引退後の現在も、最前線で日本ラグビーの発展に尽力されています。これまでの人生で、競技者として、指導者として、そして開拓者としてラグビーと向き合い続けてきた土田さんに、ラグビーの価値、ご自身の現役時代の経験、さらには大学ラグビーの過去と未来について伺いました。

大学から始まり世界へ 日本ラグビー125周年
縦と横のコントラスト 第100回早明戦

「チームが一つになると強くなれるのがラグビー」

―まずは、他にもさまざまな競技があった中で、なぜラグビーだったのでしょうか?

一番は秋田のラグビーが“日本一”を目指していたことだね。僕は秋田出身で、子供のころから“日本一になりたい”という思いがずっとあったんだ。中学生のときに野球やっていたんだけど、野球では秋田代表は日本一になりにくい。僕が入学した秋田工業高校ラグビー部は当時日本一を目指せるチームだった。能代工業バスケ部も強くてそこも日本一を目指していたから、バスケとラグビーで迷ったけど、まあバスケのセンスは無いだろうなと思ってラグビーを選んだ。

―たまたまラグビー始めた中で、いざ取り組んでみてどうでしたか?

最初は基本の練習ばかりで大変すぎて圧倒されたよ。走ったり、タックルしたりと本当に基本練習ばっかりだったんだ。この理不尽な練習に耐えるのがものすごくつらかった。僕らの時は入部時に60人いた部員が、最後には13人になっていたんだ。今(の時代の基準)ではいかがなものかと思うんだけどね。でも、その高校3年間で仲間の大事さを実感したし、その時苦労したからこそ今の自分があるとも思っているよ。

2023年3月、W杯開幕半年前となり、記者会見した日本代表のジェイミー・ジョセフHC(左)と日本ラグビー協会の土田雅人会長(撮影・朝日新聞社)

―ラグビーの一番の思い出をお伺いします。

大学4年生の時に大学選手権3連覇を決めた試合(※)かな。その試合は今でも思い出深いよ。

もちろん長く競技をしている間には失敗の思い出もたくさんあった。苦しい練習だったり、チームとしてうまくいかないこともあった。そんな中でも、ほんの一握りの幸せ、それこそ今言った最後に“幻のトライ”の生まれたあの試合。それで優勝できたこともその一つだけど、そう思える瞬間があったからこそラグビーを長く続けることが出来たと思う。

(※ 1985年1月に行われた同志社大学対慶應義塾大学の大学選手権決勝。スコアは10-6で同志社大が勝利し3連覇を達成した。この試合では、最終盤に慶大の同点トライかというプレーが、その前にスローフォワードがあったと判定され無効となっていた。これは"幻のトライ"として今でも語り継がれている。)

―そんなラグビーの魅力とは何だと思いますか?

弱かったチームが強くなる過程や瞬間を肌で感じることかな。ラグビーでは、たとえある時弱くても、日々の積み上げで自信を持ち、チームが一つになって強みを出していくと逆転できることがあるんだ。それは、野球やサッカーに比べて一人一人の意思疎通がより重要な競技であるからだと思う。そういう大きな成長を実感出来ることはラグビーの魅力の一つなんじゃないかな。

―ご自身の競技人生の中でそういった成長を実感されたのはいつだったんですか?

一番は高校時代だね。僕たちの高校は、最初は県内でも全然勝てないチームだった。高3の春にライバルに勝ってようやく秋田県代表になり、隣の岩手県代表といざ試合をしてみたら、5-60というとんでもない点数で負けてしまったんだ。そこからひたすらトレーニングしてトレーニングして……。そしたら最後の全国大会でベスト8まで勝ち進むチームになった。

一つのチームになって、苦しい練習を乗り越えて自信をつけて、目の前の試合に一つずつ勝っていったことで、当時の僕らも強くなったんだと思う。日本一になるために取り組んで来た積み重ねが力になっている、それが自分でも分かる、この経験は今でも鮮明に覚えているよ。

「日本一になりたい」という思いで秋田工業ラグビー部に入ったのが、ラグビーとの出会い。高3で全国ベスト8に

「個性を皆が理解しているから、必然的にリスペクトしあう」

―ラグビーを競技者として経験したことは、人生にどのように役立っていると思いますか?

ラグビーの価値観にはビジネスにも通ずるものがあるんだ。例えば、協力して一つの目標に向けて取り組むことを大事にすること。ラグビー選手の運動能力はポジションによって全然違う。100mを10秒で走る選手もいれば、女子マネージャーに負ける選手もいる。ただそんな奴も、スクラムを組ませたらものすごい力を発揮する。

こういう違った個性を皆が理解しているから、一つのチームになった時には必然的に皆がリスペクトしあう。これは今のビジネスの世界でも同じことが言えると思うんだ。今の日本や世界の会社の多くはやはり各チームが一つになって、目標を実現しようとしている。この点でラグビーのスタイルがビジネスでも同じように役立っていると思うね。

―土田さんはラグビー全体の組織論についてどのような考えをお持ちですか?

僕は組織の中で一番大事にしなければならないことは他者へのリスペクトだと思う。それはチームメートや相手チームに対してもそうだけど、ラグビーの場合もう一つ忘れてはならないのがレフェリー。ラグビーでは、学生や社会人、代表選手まで全ての人がレフェリーへのリスペクトを教えられる。他の競技の選手たちと比較しても、ラグビー選手はこの点が徹底されているように思うんだ。

このように、“決められたルールを守ること”は仕事をする上でも大事なんだよ。仲間との意思疎通を大切にする、試合中は何があっても抗議をしない、そしてノーサイドの笛が鳴れば相手選手や審判と握手をして敬意を示す。こういった社会で生きていく上での大切なことを選手たちは自然と身に付けている。その点で日本のラグビーは良い組織だと思うね。

「平尾から楽しさと厳しさを教わった」

―チームで戦っていく中で、土田さんにとってラグビーの仲間とはどんな存在ですか?

やっぱり飲み友達かな(笑)。同志社大のチームメートに限らず、僕らの同年代で学生時代は数えるほどしか対戦していない他大学の選手でも、ラグビーを通じて心を通わせて、もう40年も経った今でも一緒になっていろんな話をできる人たちがいることは本当にうれしく思うんだ。他大学だと慶應の選手が一番仲が良いかもしれない。それは同志社の同期である平尾(誠二、※)の存在が大きいのかな。彼が慶應のメンバーと仲良かったから、私も仲良くなれたんだと思う。

(※ 平尾誠二=1963–2016=は日本ラグビー界のレジェンド。同志社大学卒。神戸製鋼では社会人ラグビーで7連覇を達成。日本代表としても活躍し、日本代表監督も務めた。)

1984年1月、全国大学選手権決勝で2連覇を果たした同志社大の平尾誠二選手(撮影・朝日新聞社)

―土田さんにとって平尾誠二さんはどういう存在ですか?

彼とは高校の時に初めて出会い、同じ大学で4年間ともにプレーしたんだけど、それによって僕の人生は大きく変わったと思う。彼からはラグビーの楽しさも教わったけども、同時に厳しさも教わったよ。僕らが4年生の時、彼が主将で僕が副主将だった。慶應との大学選手権決勝のメンバー選びの際に、彼は同級生の多くをスタメンから外そうとした。僕が「最後の試合なのだから4年生中心で戦おう」と言ったら、彼は「これじゃ勝てない、日本一は取れない」と言った。

当時は新日鉄釜石が強くて日本選手権で6連覇していて、僕たちもこのチームに勝つために1年間取り組んできていた。慶應に大学選手権で勝つことよりもあくまで新日鉄釜石に全日本で勝つためのメンバーを選ぶ、だから4年生だろうが関係ないんだ。彼からはそういう強い意志を感じたよ。

メンバー発表の後、彼は外した他の4年生に対してもきちんと話をして納得してもらっていた。残念ながら釜石には勝てなかったけれど、先を見据えた目標の立て方、その目標達成に向けた柔軟な取り組み方を彼には教わったと思う。

「大学ラグビーの活性化は最重要項目」

―続いては大学ラグビーについてお伺いします。現在土田さんは日本ラグビー協会の会長を務められていますが、その立場から見た大学ラグビーとはどんな場所・存在ですか?

日本のラグビーの歴史は、1899年に慶應の学生がラグビーを始めたことからスタートした。ということは、やはり大学ラグビーが日本のラグビーの歴史の始まりと言えると思うんだ。僕たちが学生の頃の試合会場は常に満員で、国立競技場にも毎年6万人がつめかけていたし、今でも英仏など海外と比べると日本ではまだまだ大学ラグビーが人気を支えているんだ。日本のラグビーの良さを考えると、ワールドカップで勝つことも大事だが、やはり大学ラグビーの活性化は最重要項目でもあると思っているよ。

―大学でラグビーをするメリットはどんなところにあると思いますか?

大学ってラグビー以外の仲間とも出会える場所だと思うんだ。大学に行ってしっかりと学業に取り組みながらスポーツも一生懸命やることで仲間ができる。そのネットワークは社会人になってからも大切なものになると思う。

中にはラグビーを続けてそのまま成功する者もいるけど、例えばけがしてラグビーが出来なくなった者でも、大学で知り合った人と協力して全く別のことに挑戦できる、そういったチャンスが増えるんじゃないかな。

2002年1月、全国社会人ラグビーで優勝し、記念写真におさまるサントリーの土田雅人監督(右)(撮影・朝日新聞社)

―学業と部活、さらにはビジネスまで両立してしっかり取り組むことは日本だけでなく世界的にも広く目指されていることなのでしょうか?

世界的にもそうだし、アメリカは特にその傾向が強いと思うね。アメリカの大学の野球、ゴルフ、バスケの選手を見ていると、勉強とスポーツを高いレベルで両立している子が本当に多いんだ。単位が取れなかったら、そのクラブを辞めさせられるんだけど、アイビーリーグを含めてみんなこのルールを守っている。

こういった仕組みは日本にも絶対必要だと思う。社会人になって全ての選手がプロ選手として成功できるわけではないことを考えると、やっぱり学業を大学である程度修めておくことが大切だからね。

「主体性と独創性のあるチームは、強い」

―大学ラグビーには早慶明など伝統校が存在します。土田さんは古くからの伝統校についてどう思われますか?

一番に思うのは、長い間をかけてその伝統を守り続けることは非常に難しいが、大事なことだということだね。大学ラグビーは、多くのクラブが50年、100年と長い時間をかけて歴史を紡いできたからこそ、大学だけでなく他の企業や多くの方々にも認めてもらい、支援してもらえるんだと思うんだ。

こういう長期的なチーム育成はリーグワンでも重要なことなんだ。今僕がリーグワンで一番恐れていることは、外からの投資によって一気に作られたチームが、その成績が伴わなかった場合に勝手に企業側から撤退されてどうしようもなくなってしまうこと。企業の思いだけで運営しているのではやっぱり中途半端になって頓挫してしまうわけだ。

その点早慶明などの学校はそれぞれ独自の伝統を築けていて本当に素晴らしいと思うよ。

―伝統が1人の人間にもたらすものとはどんなものだと思いますか?

人は伝統を背負うことでより一層成長できる、僕はそう思っているんだよ。そのチームの伝統を理解して、背負って、次の世代に受け継いでいく上では、その者が常にその一員であることへの自覚を持ち、自分自身を律していかないといけない。僕の場合、会社と日本ラグビー協会のバッジは、何か特別な場では必ず身に付けているよ。

「基本に忠実でありつつ、発想が豊かな人がいるチームは本当に強い」

―学生たちが自分から意識して実行して行くことが大切だということですか?

そういったことだと思うよ。部活動では監督だって教えきれない部分もたくさんあると思うし、だからこそ学生たちが普段の生活から、さっきも言ったように規律面や練習に対する主体性を大事にすることが重要なんだ。

これは僕の経験から言えることだけど、基本に忠実でありつつ、発想が豊かな人がいるチームは本当に強い。僕らがいた頃の同志社大や決勝で対戦した慶應もそうだった。尋常じゃないくらい練習もしながら、それ以外にも独創的な部分も持ち合わせていると、いつしかその殻を破って優勝するわけだよ。そういうチームを作れるのは選手一人ひとりの自覚があってこそだからね。

―日本のラグビーの未来について考えた時に、土田さんは大学ラグビーにどんなことを期待されますか?

僕が期待することは、各大学が1人でも多くトップ選手も育てていく努力をしてほしいということかな。全国の大学の多くが日本一を目標に掲げて練習に取り組んでいると思うんだけど、やっぱりその過程で日本代表に選ばれるような人材を育成していってほしいんだ。そういう選手が1人いるだけでチームの雰囲気がガラッと変わるし、それが結果的には日本代表の戦力の底上げにもつながると思う。

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