五輪メダリストのスポーツ心理学者・田中ウルヴェ京 しなやかな思考で個もチームも
1988年のソウルオリンピック、シンクロナイズドスイミング・デュエットで銅メダルを獲得したのち、日米仏の代表コーチを務められた田中ウルヴェ京さん。アメリカの大学院でスポーツ心理学を学び修士修了、その後、慶應義塾大学大学院にて博士号を取得され、現在は慶應義塾大学特任准教授を務めるスポーツ心理学者でいらっしゃいます。また、スポーツメンタルトレーニング上級指導士、国際オリンピック委員会(IOC)マーケティング委員など、幅広い分野で活躍。2021年の東京パラリンピックでは車いすバスケットボール男子日本代表のチームメンタルコーチとして銀メダル獲得に貢献され、その他にも様々なトップパフォーマーの心理コンサルティングに携わるなど豊富な経験をお持ちです。インタビューでは、ラグビーに代表されるチームスポーツの魅力や葛藤などをうかがいました。
「価値観の違う者同士がつながる難しさと面白さ」
―ウルヴェさんから見たチームスポーツの魅力とは何ですか?
学べることってスポーツの中でたくさんある。でもチームスポーツは同じ目標に向かって、色々な価値観を持っている人がつながって成果を上げないといけない。その難しさと面白さの両方を心と身体で感じることが出来る、ということがチームスポーツの魅力だと思う。
―ご自身がシンクロをされていた中で、実際にその魅力を感じたことはありますか?
アーティスティックスイミング(旧・シンクロナイズドスイミング)はチームだけでなく、ソロという1人の種目と、デュエットという2人の種目、そして8人のチームと、3種目全部に1人の選手が出ることが出来る。チームを組んでいるメンバーはソロではライバルだから、ソロの試合の翌日に、互いにライバル同士だった者が合わせないといけない。勝ったり負けたりの翌日に、モヤモヤや互いのせめぎ合いを横において「さあ、チームで行くぞ」と切り替える力は、とても学んだこと。
ソロでも、自分の成果を上げるためにどういう行動をするか、チームでも、切り替えて自分のためチームのためにどんな行動をすることが成果につながるか、という環境にいたのは大きな学びだったと思う。
また、チームで全然違う人間同士が全く同じ動きができるようになると、もうすごくミラクルな気持ちになって楽しい。(特に)絶対合わないような技が合わさった時はすごく気持ちがいいよね。
「自分の欲を知ってから他人の欲と調節することが肝心」
―ラグビーでも、チーム内のポジション争いでライバル心を持っていたり違う価値観を持っていたりする人間が、全く同じ目標に向かうには、どのようなことが必要ですか?
自分にとっての本当の欲は何か、を知ることが一つ。例えば「勝ちたい」のは当然だけど、「どう勝ちたいのか」といったプロセス。また「この競技から何を得たいのか」とか色々な欲が私という選手の中にあるはずだと、ちゃんと気づいておくこと。そしてチームの中で必要なのは、他人にも欲があることに気付いておくこと。他人の欲をイメージして、様々な欲が集まる中で弱点とか強みとかを引っ張り合いながらもチームで一つになるには、どういう欲を消しながら、または出しながらやるのが全体最適なのか、っていうことを工夫すること。
でもそれをするにはまずは自分のことを知っていないと、何をどう調整するかの基準がないよね。だから、どうしたいと思っている自分の存在を知ることは、めちゃくちゃ大事だと思う。
―自分の欲を知るとは具体的にどういうことですか?
日頃から自分とお話しすることがすごく大事だと、私は小さいころから思っている。「こうしたいなあ」「あれやっとけば良かったなあ」とか「これやってみたいなあ」みたいなものは、すでに小さな欲だよね。逆に「これしたくないなあ」とかなら、じゃあなんでしたくないのか。「だって面倒くさいこと嫌いだもん」とかなら、「面倒くさいことをしたくない自分だ」ということが確認できる。
でもある時、スポーツ選手をやっていれば面倒くさいことを続けないといけないときが来る。そんな時に「面倒くさいことは嫌だけどなぜやるのか」というお話を自分の中ですると、「結局やっぱり勝ちたいんだ」とか「みんなに迷惑かけたくないんだ」とか、何を自分がしたいのかということを、みんなには言わなくていいから自分にだけは素直になることが大切。
―試合に勝った負けた、スタメンを取れる取れないなど結果が肯定されるのがスポーツだと思います。そんなスポーツを通して自分の欲を知っていくことで、どんな人間に成長していくとウルヴェさんはお考えですか?
スポーツって周囲に結果が見えてしまう、良くも悪くも。失敗したらバレてしまうし、勝っても、人に喜んでもらっても自分にはバレてしまう。「こういうパフォーマンスで勝っても意味がないんだよな」とか、自分には納得しない勝ちもある。その中で、恥ずかしいとかうれしいとか色々な欲が出る。もっとこれがやりたいとか、もうこれはやりたくないとか。そういう自分をどう調節することが次の自分にとって良いか、と考えることがすごく大事。
例えば、「もう勝てるかも」と考えることが一番危険だよね。シンクロをしていた時はそんな余裕はない競技だったけど、スポーツ心理学を通して色々な競技の皆さんと一緒に20年以上いる中で、「あとこの5mで勝てる」とか「あとこの1本で勝てる」という欲が一番邪魔だということも知った。ポジティブな欲の邪魔も知ってるし、ネガティブな欲も自分の力の発揮を妨げたりする。嫉妬がありすぎてもダメだし、喜びがありすぎてもダメ、ホッとするような感情は一番ダメ、ということがスポーツを通して一番学べる。
「シンクロと正反対 ラグビーの『個の出し方』に面白さ」
―様々なスポーツを見てきた中で、ラグビーはどんな表現をするとウルヴェさんはお考えですか?
する、見る、という立ち位置からラグビーを見てきたが、最近は一緒に調査研究をしながら選手と監督の皆さんとお話しするようになり、支えるという立場が加わったことで、ラグビーそのものの魅力として、「色々な人が違う『個の力』を出さなきゃいけないって、こういうことか」と感じた。「いろんなポジションによって力の出し方が違う」とラグビーの皆さんは言う。今の社会は簡単に多様性とか言うけれど、それをこの小さなチームの中で実際にやっていることに、メンタルの面からとても興味がある。
(私がやっていた)シンクロは反対のスポーツで、みんなが同じことをする。身長が150cmで足が短い人も175cmで長い人も、水面上では同じ長さに見せないといけない。それがシンクロの面白さだった。そんな文化背景の自分から(ラグビーを)見ると、「ああ、自分の『個の力』を出すって発想、チームでやれるんだ」と面白さを感じる。(シンクロでは、個の力を出すことは)ソロではできたがチームではできた感覚がなかったから、ラグビーをする皆さんから「個の力とは何か」とか「このポジションのあなたにとっての心の使い方はどんなものか」を聞いて興味が湧く。
―個を出しながらもチームとしてまとまっていかないと、強いチームではないと思います。でも個を出すというのとチームとしてまとまるというのは矛盾しているようにも感じますが、ウルヴェさんにはどのように映っていますか?
8年間ほど関わってきた車いすバスケットボールが、これとかぶるように感じる。先天的に足がない人から、20代になってから足をなくした人まで、まず人生背景が様々。そして小さい人もいれば大きい人もいる。片足だけがない人もいれば背中から感覚のない人もいるなど、ばらばらの中でやるスポーツだから、自分の中ですごくラグビーとかぶる部分がある。そしてそのスコープからラグビーを見るときに、自己犠牲をするタイミングをよく選手から聞く。自己犠牲という言葉の定義がポジションによって違うのではないかということを、車いすバスケットボールのときに学んだ。
自己犠牲とは何か。例えば、バスケットボールで言うと、自分がシュートできる、した方が良いという時でも、後半の戦略を考えると前半の自分がゴールを攻めるのは良くないから違う選択をするとか。「自分がやりたい」ではなく「全体最適」をやるタイミングが難しい。なぜかと言うとそれを監督に見られてしまうし、評価をする日本代表の選出スタッフに自分のパフォーマンスを良く見せないといけないから。
でも代表監督とお話しすると、いつ自分の力を発揮して、いつ全体最適を考えるかという、自己主観と自己客観をしっかりしなやかにやれている選手は、指導者には見えるという。ラグビーもそうだが、メンタルトレーニングの立場からは、思考のしなやかさというのはちゃんとトレーニングしなくてはいけないと感じる。
「つまらないことをやり続けると、素敵な自分になれる」
―そういうしなやかさを発揮する場面はなかなかないのではないかと思いますが、それを発揮することはこれからの人生にどのように生きると思いますか?
まずしなやかになる前提条件がないとダメ。木で例えると、木の根ってすごく生えてないと幹は太くならないし、枝だって大きく伸びない。スポーツで勝っても負けても、どれだけちゃんと愚直に誰も見てないところで努力をやり続けたかということが、根っこにつながっている。愚直に一生懸命一つ一つ行動し続ける力というのは、勉強もそうだけど「これでいいのかな」とか「無駄かな」と思っていても、とりあえずやり続けることが根っことなって、そうすれば幹も徐々に太くなる。「自分という人間はこうありたいのだ」とか「20代の自分や昨日の自分よりもマシでいたいのだ」といった幹はしっかりしていなくてはいけないと思う。
自分という大木をしっかり作っていくことは大事。だけど同時に、ちょっと俯瞰した視点が必要な時も人生ではある。自分という木が森でみんなと一緒に彩りのある緑になることも大事で、そのためには皆(森)の邪魔にならないように自分の枝を伸ばしていかないといけない時もある。他の木にガツガツぶつかるような生え方をしないことが、心理学の観点からもスポーツ選手という観点からも、全体最適なしなやかな思考であるとも思う。
枝とか花とかしか人は見てくれないから、どのようにしなやかに人間関係を築くとみんなで良い森にできるかなということを、色んな葛藤の末に自分は考えるようになった。スポーツから何を学んだのかということを言葉で整理することは、引退後とても苦労したし、メダルは取らせてもらったけどその取り方に自分で納得できないところもあった。つまり、せっかくシンクロをしたこの年数を、次の人生にどのように生かすのが得なのかっていうことを、20、30代は結構考えなくてはいけなかった。
―難しいですよね。
うん、難しい。難しいことをやり続けることがスポーツで得たこと。でも最初から難しいことをやるのではなく基礎からやらなきゃいけないよね。つまらないことをいつもやり続けることで、素敵な自分になれるのがスポーツだと思う。だからこそある日突然できるようになるとうれしいし、それを体でできることが運動の良いところだよね。
「“恐怖の種類”を明確にすると、それを乗り越える一歩になる」
―ラグビーの大きな要素として、「恐怖心」があると思いますが、その「恐怖心」をどのように乗り越えていくべきだとお考えですか?
ラグビーで恐怖心についての話をよく聞く。でもまずは「何の恐怖心の話なのか」ということを整理することが大事。特にラグビーは自分から人にぶつかりにいく競技だから、恐怖心があるのは当たり前。だからこそ、まずは「恐怖心の種類」を知ることが肝心。それが「痛い」という恐怖なのか、「失敗」への恐怖なのか、「人間関係」や「未来」への恐怖なのか。
それを踏まえると、自分が知る限り、男性の選手の皆さんは、「痛い」という恐怖の話はあまりないし、最終的には恐怖という言葉で片づけていたけど、もっとやれることはあるのではないかという話にもなる。
―恐怖心の種類は人によって結構違いますか?
うん、違うね。例えば、三役にまでなった相撲力士は、「恐怖だ」とは言っていたけれど、横綱など自分より強い相手との勝負の方が恐怖心を感じない、ということが分かったんだよね。自分より弱い相手との勝負の方が恐怖があるということに、自分で気付いていなかったの。でもそのことに気付いてからは、結局は「負けるべき相手じゃないから怖くなる」ということが「恐怖心」につながったということが分かったの。
また、ボクシングの村田(諒太)さん(ロンドンオリンピック金メダリスト、元プロボクシング世界ミドル級チャンピオン)は、「死ぬかもしれない」という気持ちは常に持っているけど、「そこの恐怖心は取り除きたくはない」とおっしゃっていた。じゃあ、何を取り除きたいのかと考えたときに、結果的に、「取り除きたくない」ということに気が付いた。「恐怖という中で戦った自分を作りたい」「ちゃんと恐怖を感じたい」ご自分がいたと言う。それだけ聞くとなんだかだいぶおかしな話だけどね(笑)。でも手が震えるような恐怖を感じることが大事だと感じるときもあるよね。
「将来の自分に恥じない行動をすると、自分に幹ができる」
―ラグビーは、選手だけでなくスタッフなど皆が役割を与えられています。本当はやりたくないポジションを「役割だから」とやっている人たちもいることが難しいところだと感じます。それをなぜやるのかということを考えるプロセスはどのようなものだとお考えですか?
これはすごく難しいことで、特にこれは学生スポーツに限らず、日本代表に入っても補欠とか絶対に試合に出られない練習パートナーのような人もいるよね。与えられたポジションが好きではないことなんかしょっちゅうあるじゃない? それでも「自分はここにいるべきではないのに」と感じるときに「このポジションを与えられた自分ができる最適とは何だろう」と考えられることは、自己肯定感を上げるものだし、将来の自分に「あの時、本物の自分でいられた」と言えるという意味でとても重要。
「ここで怠けていてもバレないよな」と思っていたら、将来の自分に「すごくみっともない若者だったな」と言われてしまうから、一生懸命未来の自分や過去の自分とお話しすることで、自分の幹はできてくると思う。
(聞き手:慶應義塾大学蹴球部)