東京学芸大学・田中夏希 仲間を信じ上げ続けたトス 随所に発揮したセッター“心”
第77回全日本バレーボール大学男子選手権大会
11月27日@東京体育館(東京)
東亜大学 3-2 東京学芸大学
(21-25.25-20.25-20.19-25.15-10)
セットカウント1-2で迎えた第4セット、このセットを落とせば東京学芸大学の敗退が決まる。追い込まれた状況であることに変わりはなかったが、セッターの田中夏希(4年、大村工業)はただひたすら、勝利のために仲間を信じてトスを上げ続けた。
21-18と東京学芸大が3点を先行して迎えた終盤、両チームの打ち合いが続く中、田中が選択したのは前衛レフトの堤鳳惺(おうせ、1年、福井工大福井)。2枚、3枚とブロックが並ぶ中で、苦しい状況でもひるまず打ち抜いてきた。当然警戒する東亜大学のブロックも厚く、1度では決まらない。2度、3度とブロックに当ててリバウンドを取り、ラリーが続く中、田中が深くひざを曲げ、ボールの下に潜り込んで丁寧に高く上げたトスを堤が決め、ロングラリーを制すると田中は堤に抱きついた。
「セッターはアタッカーが決めてくれないと勝てない。だから、逃げるトスを上げたらダメ。信じ切るトスを上げることだけ考えて、堤を信じて託しました」
アタッカーにしっかり打たせることを学んだ中高時代
セッターとしてのキャリアは長い。東京学芸大でも1年時から出場機会を重ねてきたが、礎が築かれたのは中学、高校時代。渕江中では「バレーの基本と人間性を学んだ」と言い、大村工業高では「セッターとしてのすべてを学んだ」と田中は振り返る。
「とにかく第一はアタッカーにしっかり『打たせる』ことが大事だ、と。僕はでしゃばりだったので、どうしてもアタッカー目線ではなく自分本位に考えてしまい、そのたびに注意されました。(監督で元日本代表セッターの)朝長(孝介)先生には経験を踏まえて磨いた技術やセッターとしての考え方、(前監督の)伊藤(孝浩)先生からは技術と“セッター心”を体に植え付けられました」
北京オリンピックに出場した朝長監督だけでなく、大宅真樹(サントリーサンバーズ大阪)や山口頌平(日鉄堺ブレイザーズ)など大村工業はSVリーグにも多くのセッターを輩出している。田中も中学から高校への進路を選択する際に「セッターとして一流の指導を受けたい」と自ら望んで東京から長崎へ渡った。とはいえ一つひとつのプレーもおろそかにしない大村工業の練習の厳しさに音を上げそうになったこともある。今でこそ「言葉で説明できなくても体に染み付いている」というほどの技術を備えたが、想像以上の厳しさに戸惑ったこともあるという。
丁寧なトスでチームメートを引き立てる
それでも、経験を重ね、技術をつければアタッカーを決めさせるトスが上げられるようになる。自分本位ではなく、周りを生かすためのトスワークが少しずつ身につくと、セッターは苦しいだけでなく楽しいポジションだと改めて感じられる試合も増えた。まさにその成果を発揮するとばかりに東京学芸大に入学後も、上背がなくてもアタッカーが助走して高い打点で打てるよう丁寧に、高さや速さを織り交ぜたトスでチームメートを引き立てた。
今季は下級生主体のチームの中で、コートに立つ4年生は田中だけだったが、それぞれの個性を生かすべく、誰よりもコートの中で走り回ってボールをつなぐ。相手のサーブで崩されたり、ラリー中に返球が乱れたりした時も、安易にアンダーハンドでトスにするのではなく、少しでもアタッカーが打ちやすいように、とボールの下に潜り込んでオーバーハンドでトスを上げる。何気ないことのように見えるが、豊富な運動量と技術がなければできないものだ。
苦しい時こそ自分がサボらず、仲間を生かす。セッターとして大切な“心”は、「すべて出し切る」と決めた最後の全日本インカレでも、随所で発揮されていた。
言葉にせずとも、田中がつなぐ1本1本に、勝利への意志が込められていた。何が何でも勝ちたい理由もあったからだ。
勝つ喜びと降格の悔しさを味わった最後のシーズン
大学最後のシーズンを振り返れば、東日本インカレでは4位と躍進。勝つことの喜びを知る一方で、春季リーグは11位に沈み、入れ替え戦で国士舘大学に敗れて2部降格という悔しさも味わった。自身以外のレギュラーメンバーは下級生。このまま2部でスタートさせるわけにはいかない、という思いで秋季リーグを制し、日本大学との入れ替え戦はフルセットの末に勝利。1部昇格を果たした。
最低限の目標はクリアできたが、それだけで「これから」につなげたとは到底思わない。後輩たちのために、そして4年間をともに戦ってきた同期の仲間たちや応援してくれる人たち。何より、自分自身のために大きな壁を乗り越えたい。
超えるべき好敵手 西日本強豪の東亜大
初戦は関西学院大学に勝利し、2回戦でぶつかった東亜大は西日本インカレ準優勝の強豪だ。下級生の頃から出場し続けてきた4年生が中心のチームで、多彩な攻撃陣がそろい、優勝候補の一つに挙げられる。越えるべき壁として、まさに絶好の相手でもあった。
さらに田中自身に目を向ければもう一つ、特別な感情もあった。東亜大のエース柳北悠李(4年、東福岡)は高校時代に公式戦や練習試合で数え切れないほど対戦してきた相手だ。
「またここで当たるのか、やめてくれよ、と思ったのが本音です」と言って笑うが、アタッカー柳北の力を誰より知っている。だからこそ絶対に勝ちたい。その姿勢をコートで体現することが、自分にできることだと信じてコートを走り回った。
フルセットの末に敗退
2-2で迎えた最終セット。1-4と先行される展開を招いたが、堤だけでなくミドルブロッカーの小用竜生(3年、駿台学園)や渡邊太崇(1年、東北)を効果的に使い、サイドから木下柊人(3年、東京学館新潟)、源河朝陽(2年、西原)の攻撃も織り交ぜ7-9と2点差まで追い上げる。しかし馬力で勝った東亜大は柳北のサービスエースで突き放し、最後も柳北のバックアタックが決まって10-15。フルセットの末に敗れた東京学芸大の選手たちは、ゲームセットの瞬間コートに倒れ込み、悔しさをかみ締めた。
熱戦の余韻(よいん)が残るコートの隅で、髙橋宏文監督が4年生をねぎらう。最後に4年生たちが後輩に向け「勝たせられなくて申し訳なかった」「ついてきてくれてありがとう」と涙ながらに言葉を発すると、田中もこらえきれずに何度も何度もユニホームで涙を拭った。
「2部落ちして、つらい思いをしたところから這(は)い上がって迎えた大会なので、勝つ気しかなかったし、勝てる自信しかなかった。でも『勝ちたい』だけじゃ足りませんでした」
東京学芸大に入学した当初は、バレーボールに対する臨み方や意識の違いにギャップを感じたことに加え、コロナ禍で満足な練習すらままならず「1年の頃はバレー以外にも目が行っていた」と振り返る。だが、そんな自分を見捨てることも見限ることもなく、髙橋監督や同期の仲間たちが4年間で進むべき方向性を何度も何度も、それこそ「口うるさく言い続けてくれた」から、頑張り切ることができた。
悔しさをかみ締め「次のステージの課題に」
「学芸大に来てよかったって本当に思うし、最後の年に堤みたいなすごいスパイカーも来てくれたのも縁ですよね。僕は本当にスパイカーに恵まれたな、と思うから、だからこそ余計に最後、勝たせられなかったことがセッターとしてはやっぱり悔しいです」
すべてを出し切れたか。そう言われたらまだまだ足りない。「それも次のステージの課題にしたい」というように悔いだってある。だからこそ、これからもセッターとしてさらなる高みを目指し、今残る悔いを払拭(ふっしょく)できるように邁進(まいしん)し続けるだけ。
頼む、決めてくれ、と。
信じ切るトス、“セッター心”をこれからも極め続けていく。