陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2025

名城大学・谷本七星 キャプテンの苦悩、教育実習中に救われたかつての仲間からの言葉

2024年の富士山女子駅伝で選手宣誓を務めた名城大学の谷本七星(撮影・井上翔太)

名城大学黄金期の2021年に入学し、全日本大学女子駅伝と富士山女子駅伝は1年目からフル出場。谷本七星(4年、舟入)は初出場時から5大会連続で区間賞に輝き、チームの連覇に貢献してきた。キャプテンとなった4年目の今季が最も苦しいシーズンになったが、「私はこれまで後悔をしないような選択をしてきたので、4年間やってきたことにも後悔はありません」ときっぱり言い切った。名城大で過ごした濃密な日々を振り返る。

「頭と体をフル回転させた」1年目

もともと他大学への進学を考えていた谷本は、故障が癒えた高校2年の秋から記録が順調に伸び始め、3年生になる前の春休みに名城大から勧誘された。6月に寮を見学した際、「この大学で頑張りたい」と心変わりをしたという。

「名城大学が強いことは知っていました。どういう練習をしているのか見てみたくて行かせてもらいました。チームの雰囲気や先輩方の競技に取り組む姿勢、オンとオフを切り替える様子がすごく良かった。両親には『一時の感情で動いたらダメだよ』と言われましたが、1週間ぐらい経つと、名城大に入りたい気持ちはどんどん強くなる一方でした」

高校3年の6月に名城大の寮を見学し「この大学で頑張りたい」と決意(撮影・藤井みさ)

大学生活は「駅伝を走りたい」という目標を掲げてスタートした。当時の名城大は前年度までに全日本で4連覇、富士山で3連覇と、大学女子駅伝界で黄金時代に突入していた。「名だたる選手がたくさんいる中で、駅伝メンバーの6人や7人に入るのは熾烈(しれつ)」と感じ、谷本は「4年間で1回、大舞台で走れれば」と考えていたという。

日々の練習はハイレベルだった。「走行距離が高校の頃よりはるかに長いのに、スピードを落とすわけではありません。朝練からもうヘトヘトで、授業の後も本練習をやって、寮に帰ってからは授業の課題や1年生の仕事がある。体のケアもしないといけない。時間は限られているから、頭と体をフル回転させた1年間でした」と当時を懐かしそうに振り返る。

自信を深めた2年時全日本の区間新記録

怒濤(どとう)のように過ぎる毎日は、着実に成長へとつながった。駅伝の登録メンバーを決める学内の3000mタイムトライアルでは、従来の自己記録9分24秒57を更新する9分13秒をマーク。その勢いで1年生ながら全日本の出走メンバーを勝ち取り、本番でも4区で区間新をたたき出した。あまりに鮮烈な大学駅伝デビューだった。

「ケガなく練習を継続できて、インカレなどの主要な大会でも外さなかったことが大きかったです。レベルの高い練習をこなして、このチームでメンバーに選ばれたなら、もうあとは私の中ではエキシビションマッチのような感じでした。さすがに緊張しましたが、思い切って走れました」

2カ月後の富士山でも、1区で区間賞。全中継所をトップでつなぐ〝完全優勝〟の切り込み役を担った。その時期の名城大には、「勝つのが当たり前だし、連覇を途切らせてはいけない雰囲気がありました」という。

ハイレベルな練習を積み、駅伝は初出場時から5大会連続で区間賞を獲得(提供・名城大学女子駅伝部)

谷本が4年間で最も印象深いレースに挙げるのは、2年生の時に挑んだ全日本大学女子駅伝だ。前年と同じ4.8kmの4区を担い、自身が持つ区間記録を23秒更新する15分14秒の区間新。「あれで自信がついて、『10000mに挑戦しよう、ユニバーシアード(現・ワールドユニバーシティゲームズ)を目指したい』と思うようになりました」

翌月には初挑戦の10000mで32分38秒45の好タイムをマークし、アンカーを任された富士山では5連覇の優勝テープを切った。

「七星は七星らしく、走りたいように」

「5000m型から10000m型の練習にシフトし、長い距離への対応力がついた」という3年目。前半シーズンはチームの歯車がどこかかみ合わなかったが、駅伝シーズンに入ると、持ち前の〝駅伝力〟を発揮し、二つの駅伝で連覇を伸ばした。谷本もエース格として、全日本でアンカー、富士山で最長区間の5区を力走してチームメートと優勝の喜びを分かち合った。

しかし、4年生で主将に就任すると、様々な苦悩が谷本を襲うようになる。自分なりに描いていたキャプテン像は、「一人ひとりが自分の頭で考えて動けるチーム」だった。

「大学スポーツは、自己裁量が大事。人はそれぞれ違うので、練習も生活もどういうことを繰り返していけば強くなれるかを、各自で考えてほしかった。これが正しいと決めつけ、縛りつけるようなことは私自身が好きじゃなかったからです。でも、声かけを全くしないわけではなく、たとえばモチベーションを高く保てるような発言はするつもりでしたし、言うことと言わないことのラインを明確にすることを意識していました」

キャプテンになってからは様々な苦悩もあったが、後悔はない(撮影・井上翔太)

そんな谷本の思いとは裏腹に、チームはうまく機能しなかった。谷本も「チーム作りのことを考えるあまり、自分の競技に集中できず、結果も出せませんでした」と苦しい胸の内を明かした。

救いになったのは、教育実習で帰郷した際、中高時代のチームメート・脇坂千香子に言われた言葉だった。「キャプテンだからと周りばかり気にしなくていい。七星は七星らしく走りたいように走ればいいじゃん」。それで気が楽になったという谷本は、「自分がやりたいようにやる」という思考を取り戻すことができた。

ただ頑張るだけでは、勝てるチームは作れない

迎えた昨年10月の全日本で名城大は4位に終わり、連覇は「7」で途絶えた。谷本は2年連続のアンカーで6位から2人を抜いて意地を見せたが、優勝争いには最後まで加わることができなかった。

「ふがいなさというか、チーム作りにおいて力の至らなさに本当に絶望しました」

その後もチームは一枚岩になれない。「前を向いて富士山に向かおう」という者もいれば、連覇を止めてしまった責任の重さに押しつぶされそうな者もいた。後者だった谷本には「すぐに切り替えられるなんて、連覇に懸ける思いはそれほど軽かったの?」という思いがあり、次に向かいたい者からすると「いつまで落ち込んでいるんだ」という思いがあったかもしれない。

最後の全日本大学女子駅伝はアンカーを務め、4位でフィニッシュ(撮影・井上翔太)

全日本後は谷本も含めて故障者が続出し、「きちんと練習を積めているのが2人しかいなかった」。富士山を前にテレビ局から目標を書いてほしいと渡された色紙には、「『優勝』と書けませんでした」と話す。

結局、悪い流れのまま臨んだ富士山で、チームは序盤で大きく出遅れてしまった。5区に入った谷本は12位から7位まで順位を押し上げたが、名城大は過去最低順位の8位でレースを終えた。

駅伝の王座奪還を目指す後輩たちに、谷本は「ただ頑張るだけでは勝てるチームは作れません。優勝したいという気持ちを全員が持って、厳しいことを一緒に乗り越えていく中で仲間意識が育まれ、大きな目標を達成できるようになると思います」とメッセージを残した。

もちろん、悔しさはある。だが、それとは別に、4年間の大学生活を終えて「どんなことも何とかなるんだな」と実感したという。

「個人的にはケガや目の病気もありましたが、周りには良い方がたくさんいるので、困っている人には手を差し伸べてくれて、何とかなるんです。落ち込んだ時も助けてくれる人は必ずいて、そういう時『結果で恩返ししたい』と頑張れました。感謝の気持ちを知れたことは大きかったです」

「どんなことも何とかなる」。大学4年間で実感したことを胸に、実業団の道へ進む(撮影・井上翔太)

卒業後は日本郵政グループで、実業団選手としての新生活をスタートさせる。小学生の頃から描く「マラソン選手になりたい」という夢を追いながら、3年後のロサンゼルス・オリンピック出場を目指す。

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