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中大・清水達也監督が語る「侍ジャパン」の教え子、五十幡亮汰・古賀悠斗・森下翔太編

左から日本ハムの五十幡亮汰、西武の古賀悠斗、阪神の森下翔太(撮影・有元愛美子、平田瑛美)

2024年のプロ野球では、中央大学出身のリーダーたちが活躍した。読売ジャイアンツの阿部慎之助監督は就任1年目でセ・リーグを制し、横浜DeNAベイスターズの主将を担った牧秀悟は「日本一」を達成。昨秋の国際大会「プレミア12」では牧のほか、五十幡亮汰(北海道日本ハムファイターズ)、古賀悠斗(埼玉西武ライオンズ)、森下翔太(阪神タイガース)が選出された。彼らはどんな学生生活を送っていたのか。中大の清水達也監督に話を聞く後編は、主に五十幡・古賀・森下について。

【前編はこちら】中大・清水達也監督が振り返る「侍ジャパン」教え子たち、牧秀悟編「いつも輪の中心」

「何事にも10割、全力でやる」タイプの五十幡亮汰

新型コロナウイルスの影響が最も大きかった2020年。秋のドラフト会議で牧とともに指名されたのが、五十幡だった。中学時代は短距離の2種目でサニブラウン・ハキーム(東レ)に勝ち、全国優勝を果たしたことで当時から有名だった。栃木県の佐野日大高校でも脚力を発揮。外野を守る機会も多かったが、中大には内野手として入ってきた。

「適性を見て外野に再コンバートしたんですが、守備は最初、あまりうまくなかった。それでも真面目な子で、フリー打撃では守りについて熱心にボールを追いかけてました」。清水監督は牧と同様、五十幡も1年の春から東都1部リーグで起用した。

五十幡も同学年の牧と同様に1年の春から起用された(撮影・佐伯航平)

大学時代の課題はケガの多さだったという。「バッティングでも悩んでましたが、何事にも10割、全力でやるタイプなので、ちょこちょこ故障をしてましたね。足が速い分、出力も高いので、その負担もあったかもしれません」

東都で通算25盗塁。コロナ禍で4年春のリーグ戦が中止にならなければ、その数はもっと増えていただろう。秋も本来の勝ち点制ではなく、各チーム10試合制で行われた。

4年時に試合数が少なかったことは、通算安打数(70)にも影響を及ぼした。清水監督は「五十幡と牧は入学時、リーグ通算100安打を目標にしてました。牧は82本。『たられば』になりますが、もし、4年時に平常通り行われていたら、2人とも届いていたかもしれませんね」と言う。

五十幡はプロ入り後も持ち味の走力を発揮している。昨季は18盗塁。一昨年も17個の盗塁を成功させている。ただ、昨季の安打数も18。清水監督は走塁以外でもやれると考えている。「自分は走塁で、という意識も必要でしょうが、そこにベクトルが向き過ぎているような気がします。足の速さは守備でも打撃でも生かせますし、大学時代のように強く振ることも必要だと感じてます」

足はピカイチ。清水達也監督はプロの世界でも、バットを強く振ることに期待している(撮影・佐伯航平)

昨年の「プレミア12」で初めて日本代表になった経験を、飛躍のきっかけにしてほしいと期待もしている。そこには「侍ジャパン」で外野守備・走塁コーチを務める中大OBの姿も重ねる。「亀井(善行)もそうでした。守備力を買われて選ばれたようですが、一流選手とともに(2009年のWBCで)世界一になったのをきっかけに、レギュラーをつかみましたからね」

古賀悠斗は「投手をリードするのが好きな捕手」

牧と五十幡の1学年後輩にあたるのが古賀だ。福岡大大濠高校では2年秋、遊撃手から捕手に転向。中大では1年春の途中から正捕手になった。リーグ通算75試合に出場し、主将となった4年春は3本塁打。初のベストナインに選ばれた。大学時代から肩も強かったが、清水監督は「投手をリードするのが好きな捕手」と見ていた。

「プロでもインサイドワークが評価されているようですが、大学時代もよく配球を考えてました。制球力が高い投手と組むと、古賀の配球通りにボールが来るので、生き生きとしてましたね。そのあたりは慎之助(阿部)に近いものがあると感じていました。古賀の2学年下には石田裕太郎(横浜DeNAベイスターズ)がいるんですが、石田が2年秋に最優秀防御率のタイトルを取れたのも、古賀のリードが大きかったと思います」

古賀には捕手にとって不可欠な「気付く力」と「感じる力」が、学生の時から備わっていたという。「グラウンドでの視野が広かったですね。勝負度胸もありました」

一昨年は1軍で100試合、昨年は105試合に出場。チームの捕手の中では、最多を誇った。正捕手の地位を確立した感もあるが、清水監督は「もっとチームの中心になれるはずですし、そうなってほしい」と、さらなる進化を楽しみにしている。

古賀は大学時代から捕手として必要なスキルを身につけていた(撮影・佐伯航平)

森下翔太には「20本打てるポテンシャル」に期待

昨季16本塁打、73打点をマークした森下は、古賀の1学年後輩にあたる。その長打力と勝負強さは、高校通算57本塁打と言われる神奈川・東海大相模高校時代から注目されていた。当時からスカウトの視線を集めており、本人も高校からのプロ入りを目指していたが、悩んだ末に断念。中大の門をたたいた。

「詳しくはわかりませんが、初の甲子園出場となった3年春の選抜(第90回記念選抜高等学校野球大会)で思うように打てなかったのも、一因となったようです」

大学では1年春から打率3割6厘、2本塁打、9打点。1部リーグのベストナインに続いて大学日本代表にも選ばれ、日米大学野球に出場した。だが、その後は苦しいシーズンが続いた。本塁打は出ていたが、2年秋、3年春と打率が1割台に低迷した。

「森下はバッティングを突き詰めるタイプなんです。考え過ぎてしまうところがある。牧は打てなくてもベンチに戻ったら『もう1回、俺に回してくれ』とすぐに大きな声を出すんです。ところが、森下は凡退して帰ってくると、ベンチの後ろに引っ込んでしまう。その打席のことが頭から離れないようで……。自分に課しているものが大きい分、打てなかった時の反動も大きいのかな、と見てました。改善してほしい点でもありました」

当時から勝負強さが光っていた森下(撮影・井上翔太)

その代わり、スイッチが入った時の森下は、他の選手にまねできないすごみがあったと振り返る。それを示したのが、4年春のリーグ戦だ。バックスクリーンへの2ランを含む3本塁打、11打点。打率も3割を超えた。

「森下もまだまだポテンシャルを出し切っていないのでは。ホームランはプロ2年間で26本ですが、1シーズンで20本以上打てるバッターだと思っています」と清水監督。「OBがプロの世界で活躍してくれるのはうれしいし、現役の部員たちにとっても大きな刺激になる」と口にするが、こうも話す。

「社会人野球で活躍しているOBも少なくないですし、野球以外の分野で頑張っているOBもたくさんいます。プロほどには日が当たらないかもしれませんが、それぞれの居場所で輝いてくれたら、と願っています」

清水監督はOB一人ひとりが、それぞれの場所で輝いてくれることを願う(撮影・佐伯航平)

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