東洋大・堤麗斗 一つのけじめを果たしプロの道へ、井上尚弥のことも「意識して練習」
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ボクシング全日本選手権ライト級優勝をはじめ、アマチュアでは「九冠」を達成し、今春からプロに転向する東洋大学の堤麗斗(4年、習志野)。WBAスーパーフェザー級4位につける兄の駿斗と同じ道をたどり、輝かしい実績を残してきたが、決して順風満帆なエリート街道を突き進んできたわけではなかった。ホープとして期待される22歳に、光と影が交差した大学4年間を振り返ってもらった。
全日本選手権決勝で圧巻の1回RSC勝ち
堤麗斗の大学生活は、東洋大のボクシング場に凝縮されていると言っても過言ではない。選手寮から歩いてすぐのスポーツセンターに足を踏み入れると、いつも気が引き締まった。エレベータで6階まで上がると、気持ちのスイッチが入る。黒のサンドバックが整然と並ぶフロアを見渡しながら、しみじみと話す。
「ここは自分が成長できた場所。ひたすら練習してきましたから。本当にあっという間の4年間でした。入学した頃に描いた道筋は歩めなかったのですが、また違うストーリーができたのかなって。充実した時間だったと思います。学生最後の大会を良い形で終わることができたので、今こうやって言えるのかもしれませんね」
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2024年12月1日、全日本選手権の決勝。墨田区総合体育館のリングに上がる前に、自らに言い聞かせた。自分が納得のいくボクシングをするんだ――。卒業後のプロ転向を決めていた堤にとって、アマチュア最後の試合。意識したのは、勝敗よりも最大限の力を出し切ることだった。信頼を寄せるセコンドからも「これまでやってきたことを出し切ろう」という言葉をかけられた。
開始のゴングが鳴ると、じわじわとプレスをかけ、力強いパンチを的確にヒットさせていく。力の差は歴然だった。得意の左ストレートで3度のスタンディングダウンを奪い、圧巻の1回RSC(ストップ)勝ち。相手をまったく寄せつけない2分8秒の圧勝劇に会場は沸き上がった。
「ポイントアウトするよりも倒したい。最終目標から逆算すると、こういうスタイルになりました。ダウンを奪ったカウンターの左も無意識に出たものです。体に染み込ませ、自然と出るくらいまでトレーニングしてきましたから」
大会MVPの言葉には実感がこもる。悲願の初優勝を果たし、ロープ越しに試合をじっと見守っていた恩師と熱い抱擁をかわすと、感謝の気持ちがあふれた。今大会は習志野高校時代に指導を受けた顧問の関茂峰和監督にセコンドをお願いしていたのだ。
「アマチュア最後の一つのけじめだったんです」
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自ら閉ざしてしまったパリオリンピックへの道
高校時代にインターハイ、選抜大会、国体(現・国民スポーツ大会)など「五冠」を成し遂げているが、3年目はコロナ禍の影響で大会はすべて中止に。高校最後の大会は、2年時の国体だった。予期せぬ形で高校ボクシングが終わり、もやもやしたまま、東洋大に進学してきたという。
「ずっと心残りでした。関茂先生は高校卒業後も、僕のことを気にかけてくれていたんです。動画で試合をチェックしてくれ、今も毎回のように連絡をくれます。結果を残せず、苦しんでいた時期にも助けてくれました。大学では失敗もあり、挫折も味わいましたから」
大学1年時の4月に世界ユース選手権の60kg級で優勝したときは、思いもよらなかった。兄の駿斗に続く日本史上2人目の快挙を成し遂げた当時19歳の堤は、4年に1度の大舞台でも頂点に立つことを信じて疑わなかった。当時の目標はパリオリンピックでの金メダル。歯車が狂ったのは、2年の後半だった。スパーリングでも調子を崩すばかり。自分の思い描くボクシングを体現できず、もがき苦しんだ。完璧主義が裏目に出てしまったのだ。
「本来、スパーリングは確認する場なのですが、あのときはすべてがいい内容でないと納得できなくて……。うまくいかないことが続き、焦りもあったのかもしれません。ボクシングに対するモチベーションまで下がり、コンディションも整わなくなっていました」
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2023年2月、パリオリンピックの大陸予選を兼ねるアジア競技大会の日本代表選考会で、試合の5日前に棄権を申し出て不戦敗。不安定だったメンタルの影響は大きかった。体調不良でリングに上がることもなく、オリンピック出場への道を自ら閉ざしてしまった。小学校5年生から続けてきた競技への気持ちも揺らいだ。
「ボクシングから一度離れ、このまま続けていくべきかどうかを考えましたし、大学を辞めて、プロに行くことも頭に浮かびました」
グローブをつるすこともよぎった時期には、周囲から励ましの声を多くかけられた。恩師である習志野の関茂監督も、寄り添ってくれた一人。すぐに連絡が入り、「ここでつまずく選手ではない。失敗したことは反省して前に進むしかない」と背中を押してくれた。
「どんなときも見捨てずに応援してくれました」
胸に響いた兄・駿斗からの言葉
どん底から立ち上がった3年目は、関東大学リーグ、全日本大学王座決定戦の2連覇に貢献。関東大学リーグではフェザー級の階級賞も受賞した。しかし、試練が再び訪れる。秋に同階級の原田周大がパリ行きの切符を手にしたため、わずかな可能性が残されていたオリンピック出場の目標が完全に失われてしまった。追い打ちをかけるように11月の全日本選手権では、初戦でまさかの体重超過で失格。「ギリギリを狙いすぎてミスをしてしまいました。自分自身の甘さです。未熟だったと思います」
茫然自失となり、東洋大のボクシング部にあと1年残る必要があるのか自問自答した。プロ転向への思いが再燃し、心が揺れた。このときも周りの人たちに話を聞いてもらい、アドバイスを受けた。東洋大を卒業し、プロになった兄の言葉も胸に響いた。
「どちらの道に進んでもいいけど、自分の選択には責任を持たないといけない」
周囲の意見には耳を傾けたが、簡単に決断を下せたわけではない。熟考した末に自らの意思で答えを出した。
「ここでプロに行けば、自分自身から逃げることになる、と思ったんです。大学でまだ取るべきタイトルを取っていなかったので」
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区切りとしていたアマチュア最高峰の全日本選手権が終わると、すっと肩の力が抜けた。表彰台の一番高い場所で首からメダルをかけられたときには、安堵(あんど)の笑みも漏れた。
「ホッとしました。けじめをつけて、プロに進もうと思っていたので、最後に結果も残せてよかったなって。今となっては、悔しかったこともすべて良い経験になっています。アマチュアの段階でいろいろ失敗できて良かったのかもしれません。本当は良くないことですけど、苦難を乗り越えて、心の余裕が生まれました。技術面だけでなく、心身ともに一回り強くなれたのかなと」
「憧れていると、超えられません」
アマチュア戦績は59勝(15KO・RSC勝ち)2敗。厳しい冬が明けたら、心置きなくプロの舞台に活躍の場を移す。目指すべき場所は、昔も今も変わっていない。すがすがしい表情ではっきりと口にする。
「夢は世界チャンピオンになること。最終目標は(全階級最強の称号である)パウンド・フォー・パウンドの1位です。見ている人に勇気や感動を与え、多くの人に応援してもらえるボクサーになりたいと思います」
プロでの主戦場は、世界的に層の厚いフェザー級(57.15kg以下)になる予定だ。アメリカ、イギリスがマーケットの本場になる。日本人の世界王者は2010年11月にWBC王座をつかんだ長谷川穂積以来、誰もいない。それでも、165cmのサウスポーは意欲に満ちている。持ち味の瞬発力を生かしたパワフルなパンチに磨きをかけ、打たせずに倒すスタイルで頂点を極めるつもりだ。
近い将来、フェザー級への転級を示唆する世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥も無視できない。尊敬するボクサーであり、参考にもしているが、同じプロの世界に入れば、話は変わってくる。
「プロ野球の大谷翔平さんもWBCで『憧れを捨てて勝つことだけを考えていきましょう』と言っていましたが、その通りだと思いますね。憧れていると、井上尚弥さんを超えられません。今は『いずれ戦う相手になるかもしれない』と意識して練習しています」
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先を走り続ける兄の駿斗と切磋琢磨(せっさたくま)しながら、兄弟で世界のベルトを巻くことを夢見ている。もちろん、負けたくない思いも持っている。リングで拳を交えることはないが、対抗心をのぞかせていた。
「もしも兄と同じ興行に出れば、僕がメインイベンターを務めたいですね。これは本人には直接言っていませんけどね」
いたずらっぽく笑う22歳の声が、思い出深い東洋のボクシング場に響いた。
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