慶應大・松本健吾 ジュニア世界選手権日本初出場の快挙「技術は通じた。あとは経験」

エンジンなどの動力なしで大空を駆け回るグライダー。日本学生航空連盟には53大学約900人が加盟しており、今年も3月10日から開催される全日本学生グライダー競技大会(同連盟、朝日新聞社主催)のほか、「東京六大学」「関関同立」「早慶」などの対抗戦も開かれている。そのグライダーの「FAI(国際航空連盟)ジュニア世界選手権」(25歳以下)に、昨年、慶應義塾大学航空部の松本健吾(修士2年、慶應義塾)が、日本人で初めて出場するという快挙を成し遂げた。
全日本学生・六大学・早慶などの個人戦を総なめ
松本は、慶應義塾高校に入学後、高校の航空部で体験搭乗に参加し、グライダーと出会った。入部した松本は、高校2年で全日本高校滑空選手権の個人と団体で優勝するなど早くも頭角を現す。慶應大3年時には早慶対抗戦で個人優勝し、4年では東京六大学対抗、関東学生、全日本学生、早慶対抗の個人戦で全て優勝した。風の動きが見えているのかと思わせるほどの、桁違いの戦績だ。
グライダーは大きなウィンチやプロペラ機に引っ張られて離陸する。滑空するだけでは徐々に高度が下がってしまうため、上昇気流(サーマル)の中で旋回して高度を上げる「サーマリング」と呼ばれる技術が必須だ。つまりグライダーは、滑空して水平方向にどんどん進むフェーズと、上昇気流のある地点でぐるぐると旋回し垂直方向に上昇するフェーズを何度も繰り返すことで飛行を続けている。

グライダー競技は定められた地点間の速度(タイム)を競うものが多い。まっすぐ速く滑空することも大切だが、それよりも重要なのは、サーマリングにかかる時間をいかに短くするか、なのだという。松本は「サーマリングって同じ地点にとどまって旋回するので、(ゴールへ向かう)速度は『ゼロ』なんです。なので一番強いサーマルで一気に高度を上げて、サーマリングの回数を減らすのが、速さ(タイム短縮)につながる」と説明する。
目に見えぬ風を読む勝負「わからないことが面白さ」
目には見えない上昇気流をどう見つけるのか。松本は、「雲の下には上昇気流がある。また、日射が当たると(森などの)植物よりも(街なかの)建物の屋根の方が熱気が発生し、上昇気流を生む」と説明する。上昇気流で雲が発生するという理科の知識や、街が熱を持ち、森は熱を吸収するという「ヒートアイランド」の知識を思い出した。

コックピットには機体の上昇・下降を表示する「昇降計」があるが、松本は「上昇気流を見つける手段は計器だけじゃない」と言う。
「気流にはいろいろ兆候があります。機体が持ち上げられる感覚を自分で感じ取ったり、上昇気流に入ると同じ姿勢でも速度が速くなるので、『速度が増大したな』と音を聴いて判断したり。左右の翼の持ち上げられる感じが違うと、持ち上がった方に強い上昇気流があるので、そっちに寄せていったり。上昇気流の一番いいところで旋回することも大切」
風を感じ取る感覚を、丁寧にかみ砕いて説明してくれる。しかし、そんな理知的な松本でも、風を読む秘訣(ひけつ)のすべてを言語化できるわけではない。そのことが、自然を相手にする競技の奥深さを感じさせる。
「理論はあるんですけど、結局は感覚になっちゃうので、それがまたグライダーの面白さ。結局はわかんないんで、最後まで」
この言葉は字面だけ見ると、諦め・達観のようにも読めるが、松本は、いかにも楽しそうな、ワクワクするような表情をしていた。

正野篤士監督は「慶應から世界に通じる人材を輩出できたことは非常に誇らしい」と語る。松本の技量について、「計器を見るだけでは上昇気流にあたったときに反応遅れが生じてしまうので、自身の感覚と併せて気流の状態を正確に早く把握する必要がある。どこに上昇気流があるかは、雲の様子やほかの機体の動きを見るだけでなく、マクロな気象も考える必要がある。この2点が優れている」と評価する。また、松本は経験が浅い頃から自然や気象条件について学ぶ姿勢が貪欲(どんよく)だったといい、「自分ができる技量とできない技量を冷静に分析し、一歩ずつ謙虚に自分の技量を高めていく努力が、他のパイロットと比べ秀でている」とも話す。
海外チームと交流 コーヒー片手に戦略談義
松本が出場した第13回FAIジュニア世界グライダー選手権は、昨年7月にポーランドで2週間にわたって開催された。2つのクラスに世界各国から67人の選手が参加。FAIの公認大会となってからは、日本人の出場は松本が初めてだ。

出場資格を得るまでには紆余曲折(うよきょくせつ)があった。国内と海外では、空域の大きさや、同時に飛行する機数の規模が違う。ジュニア世界選手権への出場には、滑空場ではない場所での緊急時の着陸技術や、一つの上昇気流の中で複数の機体が同時にらせん状に旋回する技術(ガグル)などが必要とされるが、これらは国内では禁止されていることが多く、技術の習得が難しい。
このため、松本はツテをたどって海外の著名選手と2人乗りで海外の大会に出場を重ね、自分の技量を評価してもらった。そしてこの著名選手から「松本には十分な技量がある」と判定してもらえたことで、ジュニア世界選手権の出場にこぎ着けたのだという。

慶大航空部にとっても、松本の出場決定はビッグニュースだった。「創部100周年(2026年)までにジュニア世界選手権に出場する」ということが、部としての大きな目標だったからだ。部を挙げて支援態勢をとり、ジュニア世界選手権期間中、交代しながら計4人の部員・卒業生が同行し、地上クルーとして松本をサポートした。
ポーランド・オストロフでの開会式では、多くの国に交じって日の丸を掲げ、松本ら慶應大のメンバーが「チームジャパン」として行進。ライバルでもある海外の選手・クルーとも積極的に交流し、競技期間中はグライダーが着陸するとすぐに海外選手と当日の反省を語り合い情報交換するほどだったという。同行したクルーの梅沢健太郎(1年、慶應義塾)は「海外のチームはすごくフレンドリーで、壁を感じさせなかった。『君たち初めてなんでしょう? 全然助けてあげるよ』という感じで、戦略についても『こういうほうがいいと思う』と話してくれて。コーヒー片手に話すような、大変いい雰囲気でした」と話す。

上昇気流の読みに差の一方、飛行技術には手応え
出場したクラスでの総合順位は、44人中30位だった。世界選手権を振り返って松本は「やっぱり全然レベルが違いました。雲(上昇気流)の選び方が海外の選手はとにかくうまかった」と話す。

松本によると、レベルの違いは、普段飛んでいる飛行距離のスケールの違いが大きいという。慶大航空部など多くの大学の拠点であり、全日本学生選手権の会場でもある妻沼(めぬま)滑空場(埼玉県熊谷市)の空域では、競技が行われる三角形のコースの1辺(レグ)が6km程度だが、ジュニア世界選手権ではレグが150kmに達したり、1回の競技飛行での飛行距離が500kmを超えたりすることもざらだ。国内では、長距離を飛ぼうにも海が近く気流が安定せず、結果、長距離を飛ぶ経験が積めず、海外勢との経験値に差が付くのだという。
「150kmを飛ぶためには、合計して1万mくらい上昇しなきゃいけないので、何度もサーマリングをする必要がある。(サーマリングを効率的に行うための)ルートの選び方が違った」と松本。強い上昇気流を見つける海外選手の技量の高さを目の当たりにした。

ただ、大会前は最下位すら覚悟していたという松本にとって、力量の差は想定していたこと。むしろ「30位は全然良かった。今回は出場して安全に帰ってくるのが目標だったので、それは十分達成できた。3位に入った日もあったし、自分としては十分すぎる結果」と、手応えを感じている。
手応えの理由は、自分の飛行技術が通用するとわかったことだ。上昇気流を選ぶ経験値に差を感じた一方、「上がる(上昇する)だけだったらそんなに負けてないかなと思う。旋回など飛行の技術はそこまで大差はなかった」という。
大会期間中10回の競技飛行(タスク)があったが、3位に入った日のタスクでは、同行した地上クルーの力が大きかったという。「地上クルーから『どの場所の気象条件がいい』とか、ほかの機体の動きを見て『どこが上がっている(いい上昇気流がある)』とかの情報が届くんですが、その日はそれがうまくハマって、うまく飛べた」と振り返る。

この日、地上からサポートした梅沢は、①離陸前に気象予報を踏まえた戦略を松本と意思統一できたこと②他のグライダーの航跡がトラッキングできるアプリをこの日から使ったこと③普段は電波が届かず音信不通になってしまうが、この日は飛行距離が比較的短かったため無線が届いたこと、が好成績につながったと分析する。「先行している他チームの機体が、気象条件が悪くなってスタック(立ち往生)しているようだということがわかり、『そこまで飛ばずに折り返した方がいい』ということを無線で提案できた」と、飛行中に具体的なコミュニケーションが取れたことを、3位になれた要因に挙げる。
つまり、気象条件の読みをサポートできれば、上位に進出できる飛行技術は十分にあるということになる。この日の成績は、松本が感じた手応えを裏打ちしている。

今後も世界の空へ 経験の還元と後輩の育成めざす
国内では学生のグライダー競技大会は盛んな一方、社会人が参加する日本選手権は約20年開催されていないため、大学を卒業してしまうとグライダーを競技として続けることが難しい現実がある。その面でも、松本の今回の出場の意義は大きい。
正野監督は「日本グライダー界として見たとき、競技会に参加しようとする人材を育成できていない課題がある。国内で競技会が開催されていないと世界への道が閉ざされているとみられていたが、今回の松本のジュニア世界選手権出場を通じ、若手にそういった道があることを示せたことは、非常に意義がある」と語る。

ジュニア世界選手権は1年おきの開催で、裏の年となる今年はジュニアヨーロッパ選手権が開催される。松本は現在、大学院の修士課程2年目だが、就職を1年伸ばして、ヨーロッパ選手権への出場をめざしている。自分の経験を積むことも目的だが、経験を航空部に還元していく目的が大きいのだという。
正野監督が「慶應航空部は常に世界に通じる人材を育てることを方針として定めている」と話すように、部としては今後もジュニア世界選手権に可能な限り部員を出場させ、いつか10位以内に入ることをめざしている。そのためにはパイロットの技量だけでなく、地上クルーとの連携も重要なカギになることが、今回の松本の遠征で得られた知見だ。
松本も、自分の出場が部や後輩にもたらす効果を強く意識している。
「今年もまたクルーを連れて行って、経験を還元していきたい。地上サポートのノウハウも大事なので。ジュニア世界選手権でも、気象の伝え方などは後半になってだんだん形になってきた。(部としてジュニア世界選手権に)まだ1回出場したっていうだけなので、ここから形にしていきたい」
