中京大・村瀬大地 大学デビューのスピードスター、地方リーグからトップチームへ挑戦

地方リーグにもこれだけ能力の高い選手がいる——。全日本大学選手権甲子園ボウルトーナメントの準々決勝、法政大学と中京大学の試合で、そう感じさせる選手がいた。中京大学のWR村瀬大地(4年、豊田北)だ。彼はチームメートの大多数と同様、高校までアメリカンフットボールの経験がなく、大学からこの競技を始めた。村瀬は持ち前の身体能力とスピードを武器に成長を遂げ、強豪チームのトップ選手と遜色ない能力を身につけた。そしてこれから、日本最高峰のレベルに挑んでいく。
関東王者・法政大に、真っ向勝負で奮闘
中京大学の選手らは、法政大学に真正面から立ち向かい、勝ちに行っていた。当然、選手層やレベルは法政大学が数段上だ。しかし、その差を感じさせないほどに気迫がこもっていた。そのプレーぶりは、試合前に私が描いていたイメージとはまるっきり異なるものだった。
第1クオーター(Q)は0-0に抑えたが、第2Qに3本のフィールドゴールを許した。しかしタッチダウン(TD)はさせずに0-9で前半を折り返した。その後はミスからTDを許し、終盤に続けて失点。第4Qにキャプテン松元葵(4年、愛工大名電)が気迫あふれる走りでTDを返したが、終わってみれば6-30と差がついた。しかしスコア以上に中京大学の奮闘が印象的で、法政大学を大いに苦しめた内容だった。
エースWRの村瀬は、この試合で三つのパスをキャッチした。試合を引き目で見ていても目を引くスピードとキレがあった。すぐにその存在感に注目した。
「オフェンスコーチの井上(大海)さんが出しているプレーは結構複雑です。でも、自分たちがやれば絶対に通るという自信はあったので、前半から積極的に攻めることができました」と村瀬。
試合序盤、中京大学は健闘したものの、試合は法政大学のペースで進んだ。「レシーバーの勝負どころで負けた部分が大きかったと思います。自分たちの力を信じていたけど、結果として足りなかった部分がありました」。試合後、村瀬は「自分がもっと引っ張れていたら」と悔しさをにじませた。

日本一を狙うアメフト部に引かれ、野球から転向
高校時代は豊田北高校で野球をしていた。「第一志望の大学に受験で落ちたので、中京大学に進学しました」と村瀬。
「元々は野球を続けるつもりだったんです。そんなときに『中京大のアメフト部は日本一を目指している』というのを知って、それなら僕も本気でやりたいと思って入りました」
中京大アメフト部も新入部員の勧誘を熱心に行っていた。しかし村瀬自身が3月にはアメフト部に入ろうと決めていて、部の勧誘にかかわらず自分の意思で門をたたいた。
「大学で新しいことに挑戦するのも悪くないと思ったし、スポーツは4年間本気でやりたかった。アメフトを選んだのは、日本一を目指せる環境に引かれたからです」
この決断が、彼の運命を大きく変えることになる。

スピードはダントツ 1年目から公式戦出場
ポジションは最初からWR。「野球をやっていたのでキャッチには自信がありましたし、何よりもスピードでは負けないと思っていました」
村瀬のスピードはダントツで、40yd走のタイムもチームトップだった。井上コーチも「村瀬の足の速さは際立っていたので、そのスピードをどう生かすかをまず考えました」と語る。最初は経験不足でプレーを間違えたり、試合で思うように動けないこともあったが、成長は非常に速かったという。
入学直後の春、関東遠征の桜美林大学との試合に帯同した。秋には早くも公式戦に出場した。しかし、2年生のときはけがに苦しみ思うようにプレーができないこともあった。
「2年生のときはずっとけがをしていて、なかなか試合に出られなかった。でも、3年生になって名城大学戦でビッグプレーを決めたことで、自分の殻を破るきっかけになりました」。井上コーチもこの試合のことを評価していて、「あの試合のプレーで彼自身の自信が大きく変わったんだと思います」と話す。
2年のシーズンを棒に振ったときは、焦りもあったという。「周りが成長していく中で、自分はリハビリに専念するしかなかったんです。でも、この経験があったからこそ、復帰後はより一層努力できたと思います」と村瀬。けがも、振り返れば全て成長につながっていた。

井上大海コーチからの高い要求と精神面の気付き
村瀬選手はこの4年間、特に井上コーチには厳しく指導されたと言う。「井上コーチとは、ぶつかることも多かったです」。特にミスについては厳しい指摘を受けた。
「『一つのプレー、ミスについてもっと責任を持て』と。『お前がもっと引っ張れ』と何度も言われて」。特に春シーズンはギクシャクしていて、ほとんど会話がない時期もあったという。「でもそんな中で『自分がもっと引っ張ればチームが変わる』ってことに気付けたんです。それが大きかったですね」
井上コーチも村瀬について言う。「村瀬はプレー面の殻は破れて、勝負所でも仕掛けることができる選手なんですけど、周りを見て空気を読み、感情をあまり表に出さないタイプでした。でも、エースとしてチーム全体を引き上げて欲しかったんです。そこで勝負できる人間になってほしかったので、厳しく要求してきました。例えば、彼がパスを成功させたとしても、それが彼の最大限のパフォーマンスだったのか? もっと良い選択肢があったのではないか? ということを常に問いかけていました。お互いにチームを勝たせるという意識が強かったので、要求のレベルが高くなっていたのもあります。最終的には彼が自分の意志をしっかり持つようになり、良い関係に戻れたと思います」

村瀬の能力が高いからこそ、1年生の頃から試合で起用して鍛えた。「1年のとき、関東で試合をした際にTDにつながるプレーでミスをしました。『一つのミスが試合を左右する』という意識が芽生えたんだと思います。それが村瀬の中で大きな経験になったんじゃないかなと」
3年時にスターターとしての地位を確立。前述の名城大学戦で大きな自信をつけ、成長速度は格段に上がったという。そして4年目の今年は副将に就いた。「シーズンの途中から副将に上がりました。合宿が終わって、秋シーズンが始まる直前くらいに決まりました」。リーダーシップが格段に上がり、幹部としてチームを率いる人間になった。
村瀬は言う。「今年は本当に甲子園を目指してやってきたチームでした。前半はいい展開で進められたと思います。でも、勝負どころで差が出てしまった。個人の勝負で負けたとは思っていないけど、もっとできたんじゃないかなと思うと悔しいです」
本気でやってきた。だからこそ、関東のトップチームである法政大学に対しても臆せず挑んだ。

卒業後は昨季日本一のパナソニックインパルスで勝負
村瀬はこの4月から、社会人Xリーグのトップチーム、パナソニックインパルスでプレーを続ける。インパルスは1月にあったライスボウルで、富士通フロンティアーズに勝って9年ぶりの日本一を勝ち取った、日本アメフト界におけるトップオブトップのチームだ。
大学からアメフトを始め、わずか4年で社会人のトップリーグでプレーする。それも、大学でやってきたWRではなく、DBでチャレンジすることが決まっている。「トライアウトの40yd走でトップのタイムを出したんです。スピードを評価されて、DBのポジションでも試されました」と村瀬。大橋誠ヘッドコーチの「お前なら絶対行ける、やってみろ」という言葉を受けてトライアウトに挑戦した。「正直受かる自信はなかったんですが、一番速かったので。スピード以外の他の部分はまだまだこれからですね」
東西の強豪大学のトップ選手が集まる中、村瀬のスピードは抜きんでていた。近年、中京大学からパナソニックインパルスに進んだ選手はいない。「先輩はいません。でも、自分が道を切り開きたい。大学からアメフトを始めても、社会人トップでプレーできることを証明したい」。村瀬はそう心に決めている。

地方からトップへ挑戦 井上コーチ「戦える潜在能力ある」
井上コーチは「日本のフットボール界全体を見ても、あれだけのスピードを持っている選手は少ないです」と話す。
2020年に就任した井上コーチは、関西大学でQBとしてプレーした経歴を持つ。2009年には、関大の選手として62年ぶりの甲子園ボウル優勝も経験した。トップクラスの選手らとプレーしてきた経験があり、そのレベルの高さと厳しさを身をもって知っている人だ。就任当時はQBの指導が主な役割だったが、そこから本格的にチーム作りに携わるようになったという。
「これまでたくさんのアスリートを見てきましたが、村瀬のポテンシャルはその中でもトップクラスです。ただ、彼は大学からアメフトを始めた分、どこまでそれを伸ばしてやれるかが重要でした。スピードを生かしてのロングパスのターゲットとしてももちろん優秀ですが、ミドルやショートも工夫することでプレーの幅を広げてきました。そういう意味で、本当によく成長してくれたと思います」
4年間で一皮むけ、エースとしての自覚も芽生えた。「パナソニックは日本トップクラスのチームですが、村瀬はどこでも戦っていけるポテンシャルを持っていると思います。まだまだ伸び代がある選手なので、どこまで進化してくれるかが楽しみです」と井上コーチは言う。ともに走ってきたまな弟子への期待は大きい。

「中京大学でフットボールを始めて、身体能力が高い仲間たちと一緒にプレーできて、日々お互いの成長スピードを体感しながらやれたのが楽しかったです。アメフト部に入ってよかったです」。地方リーグで大学からアメフトを始めても、強豪相手に渡り合い、その先で社会人のトップチームにも挑戦できる。村瀬の姿からは、そんな手触り感が伝わってきた。
これから新しいステージに挑戦する彼が、日本のフットボール界のトップ層にどのように食い込んでいくのか。
村瀬が日本代表チームで躍動する日を楽しみにしたい。

