サッカー

特集:駆け抜けた4years.2025

慶應義塾大・激動の4年間(下) 圧倒的信頼を得た2人のグラウンドマネージャー

慶應大ソッカー部でグラウンドマネージャーを務めた菊田凌万(左)と柳町一葉は、チームから圧倒的信頼を得た(すべて撮影・慶應スポーツ新聞会)

この春に卒業する慶應義塾大学ソッカー部の4年生は、激動の4年間を刻んだ。1年時は、関東大学サッカーリーグの1部に所属し、早慶戦でも10年ぶりに勝利をあげ、順風満帆なスタートに見えた。しかし、その後、リーグでは2年連続で降格を味わい3部へ。それでも、最終学年では2部で優勝し1部昇格も果たした。その4年生たちを3回に渡って取り上げる連載の最終回では、選手からグラウンドマネージャーとなりながら、熱意でチームを支え続けた2人にスポットライトを当てる。

3年時、伝統のグラウンドマネージャー決めによって「選手をやめる」という大きな決断をした菊田凌万(りょうま、4年、桐朋)と柳町一葉(かずは、4年、慶應志木)。プレーヤーとして、そしてグラウンドマネージャーとしてチームを見てきた2人がソッカー部に対して何を考え、行動してきたのか。2人の葛藤や決意が詰まった4年間のストーリーを記す。

慶應義塾大・激動の4年間(上) チームを率いて昇格果たした正反対の主将と副将
慶應義塾大・激動の4年間(中)村上健・根津拓斗「絶高の世代」を支えた2人のGK

サッカーを最後までやりきろうと決めた

小学1年時に兄の影響でサッカーを始めた菊田。大学進学時はサッカーを続けるかどうか迷っていた。結果的に続けることを決めたのは、高校3年時に新型コロナウイルスの感染拡大で思うようにサッカーをやりきれなかったことが影響しているという。長年続けてきたサッカー人生にこのような形でピリオドを打つまいと、中途半端な気持ちではなく本気でサッカーに取り組むことを決意し、ソッカー部に入部した。

菊田凌万(中央)は、新型コロナウイルスの感染拡大で、高校サッカーが不完全燃焼に終わり、本気で取り組もうと決意して、慶應義塾大学ソッカー部に入部した

一方幼稚園の頃にサッカーを始めた柳町は、長いサッカー人生で1番印象に残っている試合として高校2年時の一戦を挙げた。インターハイのベスト8を決める試合で、自分のミスもあり、目の前で悲願達成を逃した悔しさが今でもずっと心にあると語る。

高校時代を不完全燃焼で終えた2人は、サッカーへの気持ちを慶應義塾大学ソッカー部に捧げ、チームを熱くさせることとなる。

涙ながらにかけられた言葉「お前だからこそ

ソッカー部では毎年、3年生になるタイミングで必ず学年から1人または2人のグラウンドマネージャーを選出する。選ばれるうえで重視されるのは、チーム内での信頼が厚いこと。選出方法は、学年内で幾度となくミーティングを重ねて投票を行う。2年間の活動の中で得た信頼が票となって表れるという部内でも特徴的な伝統である。しかし、グラウンドマネージャーに任命されることは、チーム内での信頼の厚さを物語る半面、「プレーヤーをやめる」という苦渋の決断を伴うことが残酷な事実だ。

1人のプレーヤーの選手生命を左右する伝統の「グラマネ決め」によって選ばれた2人。菊田は当時について「本当はしたくなかった」と話す。プレーヤーとはまた別の責任感・重圧を背負いながらサッカーに取り組むグラウンドマネージャーだが、入部からの2年間、一番近くで苦楽を共にしてきた同期が涙ながらにかけた「お前だからこそやってほしい。その分俺らが選手として頑張る」という熱のこもった言葉が2人の決断を後押しすることとなった。柳町は、「この先、この仲間と一緒であれば、自分が選手という選択肢を断っても後悔なく終われる。より一歩先の世界に進めると感じた」と当時を振り返る。

そして最終的に2人は「同期のために頑張ろう」と長年のプレーヤー経験に終止符を打つと決断をした。

グラウンドマネージャーになることを決めた当時について、柳町は「より一歩先の世界に進めると感じた」と振り返る

チームの原動力を生んだ2人の行動

プレーヤーを支える側に徹することとなった2人。「プレーを続けていたら自分はどこまでいけたのか」「自分だったら、ここでこのプレーをしていたな」とプレーヤーとしての自分の可能性をずっと捨てきれていなかったという。菊田は、プレーヤー時代に切磋琢磨(せっさたくま)していた仲間が公式戦で活躍しているのを見るとうれしさが大きい半面、「自分も、この舞台に立ちたかった」と悔しさを滲(にじ)ませることもあったという。

そんな中でも、グラウンドマネージャーとしての原動力となったのは「周りのおかげで組織を動かせている」という意識だった。普段から試合に出ている選手たちのほか、チームを支えてくれるマネージャーやトレーナー、社会人スタッフ。それぞれが、組織の一員として役割を全うする姿を見て「みんなが頑張っているから自分がやらない選択肢はない」という気持ちを強くしていた。

同期でGKの村上健(4年、國學院久我山)は「2人がグラウンドマネージャーになるという選択をしてくれたことを後悔させたくない」と話す。プレーヤーを辞めてまで日々の時間をソッカー部の業務に捧げてくれている存在が、「この2人のためにゴールを守りたい」と思わせた。仲間と組織のためにプレイヤーを辞めると決断した2人の活動は、プレーを続ける選手のモチベーションになり、その活躍が2人の原動力にも繋がっていたのだ。

同じグラウンドマネージャーという立場から、2人は「考えを押し付けないこと」を重要視する。菊田は、選手に対してピッチ内外での姿勢を指摘する立場として「指摘するからには一方的にならないよう、自分がそれを体現しなければならないという責任感を常に持っていた」と話す。柳町は、一方的な押し付けを「逃げ」だとし、ソッカー部という大きな組織で一人ひとりと向き合い、ボトムアップをより強調した。

「2部優勝・1部昇格」を目標に掲げるチームの中でやるべきことの認識は必然的に2人の中で一致していたのである。

「同期のために」と考えて、プレーヤーをやめるという苦渋の決断をし、チームを支えてきた柳町一葉(最前列左)と菊田凌万(最前列右)

「こんな経験ができてよかった」

辛いことの方が多かったグラウンドマネージャーとしての2年間。

「2部優勝・1部昇格」が決まった瞬間は、2人が取り組んできたことが確実に肯定された瞬間でもあった。菊田は「自分の力というよりかは、選手たちがもたらしてくれた結果だ」と謙虚気味に振り返るが、間違いなく2人のチームへの貢献が目標達成という形に表れ、最高の形で報われたのだ。

2人に4年間で得たものについて話をうかがうと、「利他性」というキーワードが頻出した。「誰かのために頑張るという意識があるからこそ頑張れた。そんな経験ができてよかった」。チームの重要な役割を担い、重圧を感じつつも4年間をそう振り返る。

そんな2人は、下級生に対する思いも強い。上級生の意見だけを一方的に押し付けるのではなく、事あるごとに「考えさせる機会」を持つことを強調してきた。

ソッカー部に対する絶大な熱意を持った2人は、グラウンドマネージャーとして下級生も巻き込んでチームを作ってきた。その結果として、主体性を身につけたソッカー部の下級生たちが、次年度以降1部リーグで奮闘する。その姿から目が離せない。

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