法政大・小湊絆 FC東京に2年前倒しで加入内定「ギラギラ感だけは絶対に変えない」

2025年1月、2年前倒しでFC東京への加入内定が発表された法政大学の小湊絆(つな、3年、青森山田)。OBである日本代表FW上田綺世(現・フェイエノールト=オランダ)の大学時代と比較されることもあり、将来を嘱望されている一人だ。早期の決断を下した20歳のストライカーに、オファーが届くまでの大学2年間や今後のビジョンなどを聞いた。
成長できる環境、身を置く覚悟
春の陽気に包まれた3月下旬、法政大の練習グラウンドにはぴりっとした緊張感が漂っていた。すでにFC東京の公式戦に出場可能なJリーグ特別指定選手の小湊も目の色を変えて、練習に打ち込んでいる。1分、1秒でも無駄にするつもりはないのだろう。早い段階でオファーを受け入れた理由は明快である。
「一番は自分を成長させる時間に充てたかったからです。大学のグラウンドだけでは、得られるものにも限界がありますから。定期的にプロの練習に参加できるのは魅力でした。よりレベルの高い環境に身を置くことで、僕はもっと伸びると思っています。プロの中で、いまの立ち位置を確認できるのもメリット。自分にどんどんプレッシャーをかけていきたいです」
青森山田高校時代に教えを請うた黒田剛監督が率いるFC町田ゼルビアからも誘いを受けたが、自身が活躍するイメージを抱けたのはFC東京だった。意思がほとんど固まると、ふとノスタルジーを覚えた。生まれ育ったのは、東京都の品川区。物心がついたときから、商店街に掲げられた“青赤”のノボリを目にしてきた。小学生時代は品川SJCに所属しながら、FC東京のサッカースクールに通った。セレクションに合格し、少数精鋭のアドバンスクラス大森コースで指導を受けていたという。

「“ミスター東京”と呼ばれる藤山竜仁さんに教えてもらっていました。いまはFC東京U-15むさしの監督をしているんですよ。あのときからつながっている部分もあるんだなって。藤山さんが怖かったことは、はっきり覚えています(笑)。僕が毎回のようにサッカーノートを書いて行くのを忘れたので、よく怒られて……」
いたずらっぽく笑う笑顔に懐かしさをにじませる。スクールではサッカーの技術はもちろんのこと、青赤のユニホームを着た選手たちの顔と名前を覚えるように言われていた。ホームの味の素スタジアムに招待され、スタンドでJリーグを観戦したことも思い出す。
「僕をスカウトしてくれた吉本一謙さんのプレーする姿も見ていました。スタメンで活躍していましたから。当時、プロサッカー選手として見ていた人にこうして評価してもらえたのは、うれしいですね」
青赤、松木玖生とのつながりと憧れ
FC東京には縁を感じずにはいられない。初めて練習に参加したときには、青森山田高時代から尊敬の念を抱く1学年上の先輩、松木玖生もいた。第100回の全国高校選手権でともに優勝を経験し、大きな影響を受けた一人である。2024年夏に海外に飛び立ち、現在はトルコ1部リーグのギョズテペSKでプレーしているが、進路を決めるときには相談に乗ってもらった。時差がある中、日本時間の深夜にLINE通話で1時間くらい話し込み、アドバイスをもらったという。
「FC東京がどういうクラブなのか。チームから求められることなど、いろいろ教えてくれました。僕の中ではほとんど決めていたのですが、『それで間違っていないよ』と背中を押してもらった感じです」
昔もいまも松木を見る目は変わらない。味スタのスタンドから試合全体を眺めているつもりでも、気がつけば、憧れの人を目で追っていた。

「良い目立ち方をしていました。抽象的な表現になりますが、『オーラ』があるんです。例えば、チームがうまくいかないときでも、『俺だけは違うぞ』という雰囲気を漂わせています。きっと松木さんだって自信がないときもあると思うのですが、それを決して表に出さない。ブレない自分を持っているのは、改めてすごいなと感じました。今後も、憧れの選手を聞かれれば、『松木玖生』と答えると思います」
自信にあふれる小湊の立ち居振る舞いは、その松木から影響を受けたところもあるようだ。いざピッチに入れば、意欲をみなぎらせる。
「自分の一番の持ち味はゴールを奪う部分よりも、ギラギラ感だと思っています。そこだけは絶対に変えないようにしています」

苦難の時を乗り越えて
苦しいときこそ、自分を見失わないようにしている。大学2年目は、人間力を試されているようだった。リーグ戦15試合に出場して7ゴールを挙げながら、先発に名を連ねたのは6試合のみ。思うようにプレー時間をもらえず、自問自答することもあった。
「俺は本当にやっていけるのかなって」
精神的に不安定な状態が続き、夏の時期には体調不良に見舞われた。1カ月近く、家から出られず、真っすぐ歩くこともままならなかった。大学病院で検査をしても原因は不明のまま。太陽の光を浴びるだけで頭痛に襲われることもあったという。
「お医者さんに『少しずつ日常生活に戻っていくしかない』と言われ、夜に5分くらいのウォーキングから始めました。体調が回復してからはいろいろな人の話を聞き、筋トレの方法など、取り組み方を変えました。自分に合ったものだけを採り入れようって」
客観的に己を見つめ直した。自らでコントロールできないことにはエネルギーを割かず、自身で変えられることにフォーカスした。プロ内定をつかんだシーズンは、決して順風満帆ではなかった。

大学で明確になった武器と勝負強さ
ただ、大学2年間を振り返れば、成長も実感している。毎日のトレーニングを映像で見返すようになり、持ち味が明確になった。
「武器はゴールバリエーションの多さです。クロスに合わせる型、裏に抜け出すパターン、こぼれ球を押し込む形など、どのようなシチュエーションからでも点を取れます。『嗅覚』という言葉だけで片付けてほしくないんです。感覚ではなく、練習から考えてプレーしています」
大一番の勝負強さも本物だ。1年時からチャンスをしっかり物にしてきた。関東大学リーグのデビュー戦(2023年5月13日)で強豪の筑波大学からゴールを奪うと、翌節の中央大学戦、翌々節の日本大学戦でもスコアラーに名を連ねた。名刺代わりの3試合連続得点は鮮烈だった。夏の総理大臣杯では2度のハットトリックを含む7ゴールを挙げて得点王に輝き、さらに脚光を浴びた。同大会で1年生エースとしてブレイクした当時の上田綺世と重なる部分があり、よく比較されたのもこの頃である。
「比べられるのは光栄なことですが、僕からすれば、ほど遠い存在。法政大OBの上田選手は大学生のうちにA代表に選出され、いまも代表で活躍されている方です。とはいえ、指をくわえて見ているだけでは自分の成長につながりません。比較してもらえるなら、その期待以上の活躍を見せたい。ここからの伸び率を見てほしいです。僕はプレッシャーがかかればかかるほど、楽しめるタイプなので」
謙虚な言葉の中にも、確かな自信が垣間見える。新シーズンはプロ内定選手の肩書を持って迎える。主戦場となるのは、関東大学2部リーグ。降格を経験している点取り屋は2年ぶりの1部復帰に向けて、並々ならぬ意欲をのぞかせていた。

法政を1部に戻すことが使命
「法政を1部に戻すことが、僕の使命です。1年生のときに試合にたくさん出させてもらったのに、チームを落としてしまったので。いまも責任を感じているんです。1年目は5点しか取っていませんし、それでは少なすぎます。1部昇格のためには、自分のゴールは必要不可欠。しっかり数字を積み上げていきます。2桁は取らないといけない。すぐにでもプロに来てくれ、と言われるくらいの活躍を見せたいと思っています」
大学3年目に懸ける思いの強さは、ひしひしと伝わってくる。練習場のベンチからすっと立ち上がると、178cm、76kgの体格以上に大きく見えた。頼もしさが増したエースストライカーへの期待は、高まるばかりである。
