東海大・鬼塚翔太 大牟田高の後輩たちに「GTO」と背中を押され、粘った日本選手権
陸上の日本選手権が開幕した6月27日、男子5000mの決勝があった。出場20人中、学生は東洋大の相澤晃(4年、学法石川)と東海大の鬼塚翔太(4年、大牟田)だけ。この日本選手権を目標に5000mに取り組んできた鬼塚は「同世代の相澤君には勝ちたい」との思いでレースに臨んだ。
5位相澤に0秒44差の9位
最初に飛び出したのは茂木圭次郎(拓大一高~旭化成)だった。団子状態の2位集団に最大5秒ほどの差をつけて快走。2位集団は互いを牽制(けんせい)しながら進んだ。その集団の中で鬼塚は相澤の後ろにつき、6、7番手でレースの流れをうかがっていた。3200m付近で茂木が集団に吸収されてからも、選手たちは互いの顔を見合いながらタイミングを図っていた。
残り1200mでレースが動いた。鬼塚の後ろにいた設楽悠太(東洋大~ホンダ)がギアを入れ替えて一気に前へ。その設楽を松枝博輝(順天堂大~富士通)だけが追った。田中秀幸(順天堂大~トヨタ自動車)と相澤を先頭とした3位集団のペースも上がる。鬼塚もここに食らいついた。ラスト1周の手前で松枝が設楽の前に出る。相澤は7番手、少し間を空けて鬼塚は8番手。そのまま松枝が自慢のラストスパートで逃げ切って2年ぶりの優勝。4番手の茂木から続く6人はラスト勝負となった。鬼塚は歯を食いしばりながら懸命に追い上げたが、9位。5位に食い込んだ相澤とは、わずか0秒44差だった。
レースを終えた鬼塚は「最後にもう一段階(スピードを)変えられたら、(8位)入賞、優勝というのも見えてきたのかなと思います。ラスト100mで追いつくという感じだったので、ちょっと不甲斐なさはあります」と、悔しさをにじませた。その一方で「いままでのレースでは途中で集団から離れてしまうところがあったんで、粘ることを考えて走りました」。最後まで上位を狙える集団にとどまれたことには、手応えを感じていた。
母校・大牟田高での教育実習
5月23~26日にあった関東インカレで、鬼塚は男子1部の5000mと10000mに出場。それぞれ14分10秒97で11位、29分22秒34で9位だった。その翌日の5月27日から6月15日の3週間は母校である福岡・大牟田高校に帰り、教育実習に取り組んだ。「鬼塚先生」として生徒たちと接する一方で、陸上部の活動では高校生とともにポイント練習をこなした。実習期間中も大学から練習メニューが与えられていたが、限られた環境の中で自分で考えて消化していった。6月1日の鞘ヶ谷ナイター記録会では、ペースメーカーとして一般高校男子5000mにも出た。大牟田高校の後輩たちを励ましながら、ペースを刻んだ。
教育実習の最後には、生徒たちからのメッセージが入ったTシャツをプレゼントされたという。「それに『GTO』って書いてあって」と笑った鬼塚。破天荒な教師である鬼塚英吉が主役の漫画『GTO』(グレート ティーチャー オニヅカ)のことだ。「かわいらしい後輩たちで。僕のことを応援してくれてて、『一緒に頑張ろう! 』って感じで終わりました。高校生も高校生なりに頑張ってたので、かなり初心に返れたっていうか、刺激をもらえたいい教育実習だったなと思います」と振り返った。
日本選手権の会場には、大牟田高の選手たちが大勢駆けつけた。5000mのレース中には大声で“鬼塚先生”の背中を押した。「1周1周、集団で応援してくれてて、かなり励みになって。後輩にかっこ悪い姿は見せられないなという思いもありました」と鬼塚。
「つかめるものはつかめたレース」
それでも改めてレースを振り返ると、悔しさの思いの方が大きい。とくに同学年の相澤や1学年下の遠藤日向(学法石川~住友電工)にラストで負けた。「手応えでいうと、優勝を10割としたら7、8割ぐらい。まだまだ課題の残るレースだと思ってるんですけど、つかめるものはつかめたレースでもあったんで、また次に生かしたいです」と前を向いた。
中1日で30日の1500mに出たあとは、9月12~15日に岐阜で開催される全日本インカレまではレースの予定がない。「目標にしていた日本選手権の5000mは終わりましたけど、インカレまで2カ月ちょっとあるんで、トレーニングを積んで、駅伝に向けた強化やスピード練習にも取り組んでいきます」。大学でのトラックシーズンの集大成となる全日本インカレ、そしてその先の駅伝シーズンへ、高校生に刺激をもらった“鬼塚先生”が駆けていく。