野球

特集:僕らの甲子園~100回大会の記憶

中越・山田叶夢 ライトから3度登板、打たれたサヨナラヒットに後悔なし

昨夏の1回戦、山田(左)はサヨナラヒットを打たれた(撮影・奥田泰也)

夏の甲子園が始まりました。4years.では昨夏の第100回全国高校野球選手権で活躍し、今春大学に入学した選手たちにインタビューしました。高校生活のこと、あの夏のこと、そして大学野球のこと。大いに語ってくれました。「僕らの甲子園」と題して選手権の期間中に随時お届けしますので、去年を思い出しながら読んでいただければと思います。第3回は中越高(新潟)の投手兼外野手だった山田叶夢(とむ)です。

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リリースの瞬間「あ、真ん中にいく」

昨年の夏の甲子園1回戦で中越は慶應(北神奈川)と対戦した。2-2で迎えた9回裏2死一、二塁。慶應のトップバッター宮尾将を迎えたところで、中越は投手交代。ライトを守っていた左の山田叶夢が、この試合3度目のマウンドに上がる。カウント3-1からの5球目、山田の投じたストレートは宮尾にはじき返された。鋭いライナーとなった打球は山田のすぐ横を抜け、センター前へ。二塁走者の善波力がホームへ滑り込み、中越は敗れた。中越にとっては2015、16年に続き、選手権出場3大会連続のサヨナラ負け。ホームのベースカバーに入っていた山田は試合が決した直後、両手をひざに置いてうつむいた。

あの試合から1年が経った。青山学院大に進学した山田は、硬式野球部合宿所の一室で「あの瞬間」を振り返った。「ボールをリリースした瞬間、ちょっと感覚がズレてたら分かるんです。あのときはボールが指から離れた瞬間に『あ、しまった。真ん中にいく』と感じました。狙ってたのは外。もう少しコースにキッチリと投げてたらな、とは思いますね」

昨年の試合を振り返ってくれた山田(撮影・武山智史)

負けてから1週間ぐらいは、慶應戦の映像を見られなかった。その後サヨナラ負けの場面を見返すと、気付くこともあったという。

「冷静じゃなかったと思います。自信のあるストレートで後悔しないようにと考えていて、それはキャッチャーの小鷹葵(現・青学大1年)と共通した認識でした。打たれたこと自体は後悔してません。ただ、終わって冷静に考えると宮尾君と勝負せずに歩かせる方法だったり、変化球を使う方法もあったのかな、と。小鷹とそんな話をした記憶はあります」

この試合、山田の投球内容は3回3分の0を投げ、被安打2。「最後に一本打たれて負けてしまったんですけど、思ったより力の差は感じなかったです」と、きっぱりと言った。

3年の春にけが、新潟大会はほぼ投げられず

山田は中学時代、新発田(しばた)シニアでプレーした。中越高に入学後、1年生の秋から公式戦のマウンドに立ち、140km近い速球を武器に投手陣の一角を担った。しかし3年生になったばかりの4月、左ひじを疲労骨折。手術を受けた。夏の新潟大会では主に外野手として出場。準々決勝の長岡大手戦で先発したが、1回に1点を失い、打者3人で降板する悔しさを味わった。山田の後を受けたエース山本雅樹(現・桜美林大1年)の好投で勝つと、中越は準決勝、決勝も勝ち抜き2年ぶりの甲子園出場を決めた。山田にとって、甲子園で投げるチャンスが生まれた。

「甲子園は新潟大会みたいに点は取れない、と思ってました。ロースコアの試合になると継投の可能性も出てくる。僕が長いイニングを投げるとは考えてませんでしたけど、登板はあると思ってました」

組み合わせ抽選会で対戦相手は北神奈川代表の慶應に決まった。慶應は宮尾を筆頭に左バッターが多いチーム。「先発の話もあったのでは?」と水を向けると、「あぁー」と大声を出し、こう続けた。「そんな話もありましたね。先発でもいける準備もしてたんです」

ライトとマウンド行ったり来たり

関西入りしてからは左ひじの状態もよくなり、本調子に近づきつつあった。慶應との試合、山田は新潟大会と同様にライトでスタメン出場。1-2の4回裏2死、登板のチャンスが訪れた。左バッターの9番生井惇己のところでマウンドへ。「試合前には2番手で投げると言われてました。山本がベンチに退かずライトに行った時点で『また代わるかもしれないな』と感じましたね」

昨夏の1回戦、4回裏2アウトの場面で山田(右)は山本(1番)と交代して登板(撮影・水野義則)

生井を打ち取ると、5回は左打者3人を三者凡退に。6回に1死から四球を出したところで山本が再びマウンドへ上がり、山田はライトへ。さらに7回2死で1番宮尾を迎えた場面で再び登板。見逃し三振にとり、8回も無失点で切り抜けた。本田仁哉監督による山本、山田の小刻みな継投策で4回以降は慶應をゼロに抑えた。打線は7回表に追いついていた。当の山田はどのように考えていたのか。「ライトとピッチャーを行ったり来たりでキツかったというのはないです。僕が登板するとしたら左バッターが続く場面。2度目からは『そろそろ投げるタイミングだな』って分かっていました」

そして、この日3度目のマウンドとなった9回裏、それまで2打数ノーヒットに抑えていた宮尾に、サヨナラヒットを浴びた。「負けた気がしなかった」と試合終了直後の心を振り返った山田。それでもベンチ前に整列して慶應の校歌を聞くと、悔しさがこみ上げてきた。「試合が終わって取材やストレッチのときも泣いてましたし、バスの中でスマートフォンを見たらLINEでメッセージがたくさん来てて……。『あぁ、負けたんだな』って、また泣けてきましたね。結局、その日はあまり眠れなかったです」

青山学院大で再びけが、それでも前を見すえる

卒業後、山田はキャッチャーの小鷹とともに青山学院大に入学。春のオープン戦に登板した際、再び左ひじを痛めてしまった。「正直、高校のときのようにはうまくいかないです」。大学での話になると、声も少し暗くなった。「まずはひじを治すことが一番です。投げられない分、ランニングやウェイトで体が強くなった部分もあると思います。思い描くイメージは、一番よかった高校2年生の夏や秋のころ。治ってくればまた140kmは出ると思いますし、落ち着いて投げることもできると感じてます」

高校のときのようにうまくいかない。それでも山田は前を向く(撮影・武山智史)

まずはリーグ戦登板が目標だ。「上で野球を続けるためにも、4年生になるまでに結果を残したいです」。思い通りにいかない状況が続く中でも、山田はしっかりと前を見すえている。

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