平塚の強風に背中を押され、伸び盛りの多田修平が幻の9秒台 あの春を振り返る
「間違いちゃうんか?」。20歳のスプリンターは9秒94のタイム表示を見た瞬間、そう思ったそうだ。2017年6月、4.5mの強風に背中を押されて出した100mの追い風参考記録で、関西学院大学3回生だった多田修平の名は全国区になった。
追い風4.5mの準決勝で9秒94
神奈川県のShonan BMWスタジアム平塚などで開催された、陸上競技の日本学生個人選手権の第2日。男子100mの予選は午後1時20分に始まった。準決勝の第1組は午後2時45分にスタートした。第5レーンを走った多田が30m付近から抜け出し、2位以下に大きく差をつけてゴール。当時の日本記録は10秒00だった。9秒94のタイムに、スタンドの観衆は「おーーーーっ」と沸いた。多田も叫んだ。追い風4.5mで公認記録とはならなかったが、100分の1秒まで測定できる電気計時での日本選手の9秒台は、国内では初めてだった。
大阪で生まれ育ち、大阪桐蔭高校へ進んだ多田は高3のインターハイ100mで全国6位。10秒50がベストの選手だった。陸上の強豪大学は関東に集中しているが、多田は「関西で強くなりたい」と関学へ進み、力を蓄えてきた。この年の2月に合宿したアメリカでスタートの改良に取り組み始めたのが実り、4月から10秒25→10秒24→10秒22とわずかながら自己ベストを更新し続けていた。5月のセイコー・ゴールデングランプリ川崎では9秒74のタイムを持つジャスティン・ガトリン(アメリカ)を70m付近までリードし、3位に入った。
慌てたマスコミ、決勝へ向けて追加の取材陣殺到
準決勝が終わって慌てたのはマスコミ各社だ。決勝は約3時間後の午後6時20分スタート。19年ぶりの日本新記録更新に備えて、東京から追加で取材陣が続々と平塚へやってきた。
ここまでの陸上人生で最大の注目を浴びた多田だったが、決勝も圧勝で初優勝。9秒台とはいかなかったが、当時の日本歴代7位に並ぶ10秒08(追い風1.9m)で、8月のロンドン世界選手権の参加標準記録(10秒12)を突破した。レース後は陸上を始めたきっかけから始まってスイーツ好きの横顔まで、あらゆる質問を受けた。男子短距離界に現れた期待の新星は、翌日のスポーツ紙の1面を飾った。
そして6月24日、彼の21歳の誕生日に地元大阪で開催された日本選手権の男子100m決勝で2位に入り、世界選手権の代表に内定した。このレースでは、1学年上で同じ関西出身の桐生祥秀(当時・東洋大、現・日本生命)に初めて勝った。8月のロンドンでは男子400mリレーの1走として、世界選手権の銅メダルを手にした。
桐生の9秒98を、まさに目の前で見てしまった
しかし、9月の日本インカレ(福井)では引き立て役に終わった。100m決勝で桐生が日本勢として初めて9秒台の扉を開く9秒98の日本新記録。多田は10秒07で2位だった。まさに目の前で日本記録を出され、悔しさにまみれた自己ベスト更新になった。
2018年の学生最後のシーズンはスタートが固まらずに苦しみ、実業団の住友電工に入った昨年は再びドーハ世界選手権の400mリレーの1走で銅メダルをつかんだが、2年連続で100mの自己ベスト更新はならなかった。多田が幻の9秒台を出したあの平塚でのレースは、慶應義塾大4年生の小池祐貴(現・住友電工)も走っていた。多田の二つ右のレーンにいた小池は10秒29で6着だった。だが、いまや小池の100mのベストは9秒98と、多田との力関係は完全に逆転している。
住友電工陸上部のホームページに、多田はこんなメッセージを刻んでいる。
「今年のオリンピックは残念ながら延期となりましたが、目標は変わらず、来年の東京オリンピックに向けてしっかりパワーアップしたいと考えています。そのためにも、秋シーズンに開催される日本選手権優勝と、9秒台の目標はかならず達成します」
多田の挑戦は続く。