陸上・駅伝

もがき続ける100m多田修平、707日前の「福井の悪夢」払拭はならず

多田(右端)は福井で、またも桐生(左端)に次ぐ2位だった(撮影・藤井みさ)

Athlete Night Games in FUKUI

8月17日@9.98スタジアム(福井県営陸上競技場)
男子100m(追い風0.9m)
1位 桐生祥秀(日本生命)  10秒05
2位 多田修平(住友電工)  10秒20
3位 白石黄良々(セレスポ) 10秒29

8月17日の「Athlete Night Games in FUKUI」で、四つもの日本記録が生まれた。この大会の原点は2017年9月9日の熱狂にある。あの日の日本学生対校選手権で、東洋大4年だった桐生祥秀が日本勢で初めて100mの9秒台をマーク。福井運動公園陸上競技場のスタンドが揺れた。そのタイムにちなんで、「9.98スタジアム」という名称がついた。そして、この大会が生まれた。そこに桐生が帰ってきた。707日前に桐生に次いで2位だった多田修平(当時・関西学院大3年、現・住友電工)も帰ってきた。

日本新を出した桐生の後ろで自己ベスト

あの日、多田は桐生から0秒09遅れの10秒07をマークした。これはいまも多田の自己ベストである。要するに多田は、あの日の自分を超えられていない。

多田はあの日以来の福井へ、一つの思いを持ってやってきた。「あのインカレと同じ3レーン(自分)と5レーン(桐生)だったんで、あの負けを払拭(ふっしょく)するために頑張ろうと思ってました」。桐生の9秒98を目の前で見てしまったあの日。引き立て役になった悔しさから、あのレースの映像は1度も自発的には見ていない。

2017年の全日本インカレ。1位桐生、2位多田(撮影・上田潤)

この日も同じ展開だった。スタートで多田が出た。しかし中盤以降、桐生が出てくる。多田は桐生のいる右側を見ながらゴール。桐生は10秒05で1位、多田は10秒20で2位だった。あの日と同じ順位だった。

桐生は言った。「今日はイベントのつもりで来たんですけど、あれだけ日本記録が出ると、ちょっと花咲かせたいなと思いました。そこで記録を出せなかったのは残念です。2年前と同じ5レーンっていうのは、あとから言われて気づきました(笑い)」。桐生らしい。

多田は悔しがった。「風もよくていい雰囲気だったので、10秒10は切れると思ってました。でもまだ、走りがかみ合ってない感じで。スタートからの加速の部分でピッチが上げきれなかったというか、ちょっと感覚的な問題なんですけど、ノシノシいっちゃったなというのがあります。僕の場合そこが崩れたら、いい結果は出せないので、そこを少しずつでもいいから取り戻したいなと思います」

あの日以降、少しでも速く走るために生きてきた。しかし、あの日の自分を超えられない。

ここ2年、レース後の多田にはこんな表情が多い(撮影・篠原大輔)

記者として多田に初めて話を聞いたのは、17年春の織田記念。10秒25の自己ベストを0秒01更新したレースの直後だった。大阪桐蔭高3年のインターハイ100mで6位。なぜ強い選手の多い関東の大学へ進まなかったのか、多田に尋ねた。彼は言った。

「僕は関西で強くなりたかったんです」

心に響いた。それから、多田を見てきた。確かに関学で力をつけた。17年の日本選手権で初めて、ずっと雲の上の人だった桐生に勝ち、ロンドン世界陸上に出た。だが、さらなる飛躍をとげるはずだった4回生の昨年がどん底で、実業団選手となったいまも、完全に上向きになったとは言いきれない。走りがバラバラになった時期もあった。
その間に、何人も自分より先に行ってしまった。

目指すは東京オリンピック

もがき、あがき続ける多田の目線は、2020年東京オリンピックにある。「(参加)標準(記録の10秒05)を切って、来年の日本選手権で3位以内に入れば、っていう可能性が出てきてるんで。そこに照準を合わせてやっていきます」

来年の夏、多田は晴れの舞台に立っているのか。一時期ちょっと速かったスプリンター、で終わるのか。

私はひとりのスプリンターが階段を駆け上がる過程を見てきた。
その先に何があるのか。この目で見ていきたい。

多田(左)がまた桐生(中央)に勝てる日はくるのか(撮影・藤井みさ)

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