大学陸上・駅伝

特集:井村久美子~天才少女と呼ばれて

天才少女は福島大に進んで「新生」した 井村久美子・3

福島大時代の井村さん。いい笑顔が戻ってきた(写真は本人提供)

「イケクミ」の愛称で呼ばれ、その強さとしなやかさで多くの陸上ファンを魅了した選手がいました。井村久美子さん(旧姓池田、38)の人生を学生時代を中心に、4回の連載で振り返ります。3回目は福島大時代に出した5年ぶりの自己記録についてです。

高校でストレスから過食症に、救ってくれたのは父だった 井村久美子・2

遠くへ跳ぶため、スプリンターのいる福島大へ

井村さんが大学を決めるにあたって、ひとつの条件が両親の住む仙台や実家のある山形から近いということだった。関東の強豪校からも声はかかっていたが、自分の高校時代を振り返ると「ひとりで耐えられるのか」という不安があった。走り幅跳び選手だった父の池田実さんと進学先を考えていたとき、候補に挙がってきたのが福島大だった。

当時の福島大には、1995年に女子200mで23秒82の日本タイ記録で走った雉子波(きじなみ、現姓・二瓶)秀子さんがいた。「こんなすごい人がこんな近くにいるんだよ」と言って、父は新聞記事を井村さんに見せてくれた。また「走り幅跳びは足が速くないと遠くへ跳べない。技術練習よりも大切なことなんだよ」と、父がよく口にしていたのも記憶に残っていた。雉子波さんを指導している先生の下で強くなりたいと、井村さんは川本和久監督がいる福島大へと進んだ。

高校まで基本的に父に指導してもらってきた井村さんにとっても、川本監督の指導はすんなりと受け止められるものだった。

「父はまず、『楽しい陸上を教えてくれて、そこからだんだん『自分で考えなさい』という姿勢で指導してくれました。川本さんは30~40人の部員に速く走るためのポイントを日々の練習の中で理論的に指導してくれましたが、教えたあとは見てるだけで何も言いません。だから自分で考えないといけなくて、自分でこうかなって思ったら『先生見ててください』って声をかけてました。実際、福島大でそういう風に動いてた子は伸びてましたね。父が『考える』ことを教えてくれていたので、そこに川本さんの理論をプラスして自分で考えて行動できたのは、段階的にいいステップを踏めたと思ってます」

指導者が父から川本監督に変わることに、戸惑いはなかったという(撮影・松永早弥香)

井村さんは高1のとき、身長165cm、体重52kgだったのが一気に70kgまで太ってしまった。減量を試みたが、高3のときにはまだ65kgあった。その状態で国体の走り幅跳びで6m14を跳んで優勝できたのは、陸上に対してグッと前向きになるきっかけになった。春を待たずに福島大の練習に加わると、初めての全日本インカレで6m10を跳び、3位に。環境が変わることに関しては高1のときに悪いイメージがあっただけに、大学の1年目に結果を出せたことが素直にうれしかった。

減量と走力アップで「はさみ跳び」への移行に成功

もっと上の大会を目指したい。そう考えて照準を合わせたのが2000年10月の世界ジュニア選手権だった。井村さんは大学2年生だったが、早生まれのため出場権があった。当時の走り幅跳びの自己ベストは6m19。あと10cmちょっと跳べば、世界ジュニアの代表になれる。そのために何をしよう? まず頭に浮かんだのが減量だった。

大学では一人暮らしだったため、料理の本を買っては自分で工夫して調理し、外食するときも栄養管理を徹底した。高校時代を振り返ると、毎日食べていたお菓子をやめようとしたり、茶碗3杯分食べていたごはんを一口だけに減らしたりした結果、ストレスが溜まってリバウンドを繰り返していた。だったら一気にゴールを目指すのではなく、段階を踏んでいこう。まずは8割に減らして2週間様子を見る。もっといけそうなら7割に減らしてまた2週間。我慢できなさそうなら期間を延長し、大丈夫そうならさらに6割に減らした。そんな繰り返しで1カ月2kgのペースで減量でき、2年生の秋には元の52kgに戻せた。

その一方で取り組んだのが跳び方の変更だ。それまで井村さんは踏み切りで振り上げた足を前に大きく引きあげて跳ぶ「かがみ跳び」をしていたが、さらに記録を伸ばすためには、空中で足を回転させる「はさみ跳び」に変える必要があると感じていた。高1の春にもチャレンジしていたが、当時はうまく移行できなかった。今回は体重が落ちていく過程で、高校時代は100m12秒4程度だったのが12秒ちょうどとスプリントの力もつき、はさみ跳びに切り替えてもスムーズな動きができるようになっていった。

やっと言えた「昔はそうでしたけどね」

迎えた日本ジュニア選手権で追い風参考ながら6m46で優勝、続く全日本インカレでも6m29を記録して初優勝を飾った。中3のときの自己ベストを5年ぶりに更新し、井村さんにとって初めての世界大会となる世界ジュニアへ選手権の出場権をつかんだ。日本ジュニアで優勝した際、メディアからは「天才少女の復活ですね」と声をかけられた。ただ井村さんには「復活」という言葉がしっくりこなかった。そのため「『復活』と書いていただいてもいいんですけど、できれば『新生』にしてもらえないでしょうか」と、異例のお願いをした。

「天才少女」という言葉が重く感じたこともあった(撮影・松永早弥香)

「私は昔のまま成長してここにいるのではなくて、昔の自分から一度ダメになって、一生懸命自分を受け入れながら、ああでもない、こうでもないと思いながらやってきました。『昔の自分とは脳みそが違う』というぐらいの変化があったと思ってます。高校生になって記録が出なくなってからは『天才少女』と言われるのが嫌だったんですけど、自己ベストを更新できるようになって、やっと『昔はそうでしたけどね』と言えるようになった気がします」

目指していた世界ジュニアで、井村さんは6m43を跳んだ。当時のジュニア日本記録をたたき出し、銅メダルを獲得。新生した「天才少女」は自信を取り戻した。

●井村久美子~天才少女と呼ばれて

天才少女・イケクミは山形の陸上一家で育まれた 井村久美子・1高校でストレスから過食症に、救ってくれたのは父だった 井村久美子・2天才少女は福島大に進んで「新生」した 井村久美子・3北京五輪前の同期との別れ、父は超えられなかった 井村久美子・4完父が示してくれた「楽しい陸上」を、子どもたちにも 井村久美子のセカンドキャリア

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