大学陸上・駅伝

特集:井村久美子~天才少女と呼ばれて

高校でストレスから過食症に、救ってくれたのは父だった 井村久美子・2

高3のレースで。当時の体重は68kgだった(左が井村さん、写真は本人提供)

「イケクミ」の愛称で呼ばれ、その強さとしなやかさで多くの陸上ファンを魅了した選手がいました。井村久美子さん(旧姓池田、38)の学生時代を中心に、4回の連載で振り返ります。2回目は苦難の高校時代についてです。

天才少女・イケクミは山形の陸上一家で育まれた 井村久美子・1

ストレスで過食、3カ月で18kg増

日大山形高校に進んだ井村さんは、初めて元走り幅跳び選手の父・池田実さんと離れて陸上と向き合った。名監督として知られていた先生の下で練習に励む日々。しかしある日、その先生が部を去ることになり、陸上部から指導者がいなくなってしまった。残された選手たちは自分でメニューを考えて練習を重ねていたが、サボることを覚えた選手が出始めると、部は次第に崩壊していった。

初めての一人暮らしも、井村さんにはつらく感じるところが大きかったという。レストランに下宿していたが、休日は自分で食事を用意しないといけない。慣れない料理に戸惑い、掃除や洗濯も一苦労。いままで母がしてくれていたのにと思うと、家に帰りたいという気持ちが募った。いわゆるホームシックになっていた。

練習も日常生活もままならない現状。我慢強い性格が裏目に出て、自分の中にストレスをため込んでしまった。やり場のない気持ちが過食に向かった。ごはんを茶碗3杯の夕食後、毎晩8時に下宿先の目の前にあったコンビニエンスストアでポテトチップス、ミルクチョコレート、ホワイトチョコレート、メロンパンを買っては食べるという生活を続けた。それ以前は身長165cm、体重52kgだった体が、3カ月で70kgにまで膨らんだ。完全な過食症だった。

指を差されて笑われ、自己嫌悪が募った

太って跳べなくなると、周りの視線や評価が気になるようなった。それまでは「くみちゃんすごい! 天才! 」と言われていたのが、「あいつはもう太った。小学校のときに練習しすぎだよね」という声に変わっていった。小中学生のころはメディアが押しかけてきても、両親がガード役になってくれ、いつも自分を安心させてくれた。しかし高校進学でひとりになってからは、自分だけで受け止めなければならなかった。記録が出ないと「何で? 」「どうして? 」と、問い詰められる感じがした。跳ばないと許してくれないというプレッシャー。「天才少女」の愛称が重かった。

高校時代、試合前の井村さん。カメラを向けられても、これが精いっぱいの笑顔だった(写真は本人提供)

試合会場でウォーミングアップ場に入ると、指を差されて笑われることもあった。太ってしまったことを自己嫌悪し、人に笑われるのが嫌で、アップは人目につかない端っこでやっていた。自分で改善しないといけないと思いながらも、当時はどうしたらいいのか分からなかった。薬局に行っては、ドーピングに引っかからない痩身(そうしん)ドリンクを試した。やせるために、何でも試した。それでも効果はなく、そのまま1年生の終わりを迎えた。

ちょうどそのころ、父の実さんが選手時代にお世話になった人が、実家の蕎麦(そば)屋を訪れた。その人は当時、仙台育英高校(宮城)で校長の秘書をしていた。井村さんの現状を知ると「仙台育英もいまスポーツに力を入れてますし、(お父さんが)体育の教師をしながら、うちで頑張りませんか? 」と、父に提案した。実さんは店を始める前は高校教師。せっかく娘を強豪校に入れたのに、誰も指導者がいないのなら意味がない。実さんは決心して店を一時休業すると、井村さんを説き伏せ、家族そろって仙台に引っ越した。

父が導いてくれた再生への第一歩

高2のときに実さんが指導する仙台育英で再スタートを切った井村さんは、家族と過ごす中で次第に心が穏やかになっていった。中学生のときは思春期特有のいらだちで父とうまく向き合えなかったが、もうわだかまりはなくなっていた。目標に向け、一つひとつの行動を実さんが整理してくれた。

たとえば減量。父はまず「これはおいしそうなお菓子だけど、食べたらどうなると思う? 」と井村さんに尋ねた。「食べたらおいしいし、幸せ」と答えると「それで終わりかな? 」と父。「太るから跳べないな」と返すと「でも、確かに食べたら幸せだよな。だったら半分食べようか。半分食べて、半分残したら太らないんじゃないかな」と父。食べたらその後どうなるかを娘に想像させ、いまできることから始めさせた。高3になっても体重はまだ65kgあったが、秋の国体では少年女子A走り幅跳びで6m14をマークし、優勝を飾った。

高校3年間を通じて、中3で出した自己ベストの6m19を越えることはできなかった。井村さんはそんな3年間を「自分が競技をする中で一番ポイントになった時代」と表現する。日大山形でいきなり指導者がいなくなり、強い選手もダメになることを身をもって知った。そして父に指導してもらえるようになってから、安心して競技に打ち込める幸せをかみしめた。

「あの時代があったからいまがある」と井村さん(撮影・松永早弥香)

「天才少女」と呼ばれていた時期には想像もしていなかった3年間。陸上から離れたいとは思わなかったのか。この質問に井村さんは少し考えてから、こう応じた。

「父が最初に教えてくれた『楽しい陸上』が私の原点でした。父がスパルタで鞭(むち)を持って『やれーっ』て言ってきたら、すぐやめてたと思います。楽しいというのが陸上の原点だったからこそ、嫌なことがあっても『絶対この先に楽しい陸上があるはず』『どうにかすればそんな陸上にまた出会えるはず』って思えたから続けてこられたんだと思います」

井村さんは苦しい時期を乗り越え、大学へと進んだ。

●井村久美子~天才少女と呼ばれて

天才少女・イケクミは山形の陸上一家で育まれた 井村久美子・1高校でストレスから過食症に、救ってくれたのは父だった 井村久美子・2天才少女は福島大に進んで「新生」した 井村久美子・3北京五輪前の同期との別れ、父は超えられなかった 井村久美子・4完父が示してくれた「楽しい陸上」を、子どもたちにも 井村久美子のセカンドキャリア

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