陸上・駅伝

特集:井村久美子~天才少女と呼ばれて

父が示してくれた「楽しい陸上」を、子どもたちにも 井村久美子のセカンドキャリア

楽しい陸上を伝えたい。その思いから「イムラアスリートアカデミー」を立ち上げた(写真は本人提供)

かつて「イケクミ」の愛称で親しまれた女子走り幅跳びの井村久美子さん(旧姓・池田、38)は現在、三重県鈴鹿市の「イムラアスリートアカデミー」でジュニア世代を中心に指導しています。2008年北京オリンピックに出て13年に現役引退を表明した当時、井村さんは今後に関して「主婦でいいや」と思っていたそうです。どのような経緯でアカデミーを開設し、どんな思いでスポーツに向き合っているのか。井村さんのセカンドキャリアに迫りました。

天才少女・イケクミは山形の陸上一家で育まれた 井村久美子・1

「楽しい陸上」の環境がないなら、つくればいい

井村さんは2008年の北京オリンピックに出たあと「あと4年だけ楽しみながらやりきろう」と決め、現役続行を表明した。その年、全日本インカレの男子棒高跳び優勝経験者で当時、鈴鹿サーキットで勤務していた井村俊雄さんと結婚。鈴鹿市に拠点を移して競技に向き合い、13年の日本選手権を最後に引退した。

主婦としての日々を過ごしていたある日、「三重県は小学生の陸上クラブが日本一多いんですよ」という話を耳にした。どんな練習をしてるんだろう。気になった井村さんは俊雄さんとともに、近くの競技場を訪れてビックリしたという。

「遠くにいても分かるほどの怒鳴り声が聞こえてきたんです。子どもがミニハードルを倒したら、コーチが『800m走ってこい』とか言ってて、『えーっ』て思ってしまって。確かに子どもたちの運動能力は高いんですけど、みんな表情が暗かったんです。主人もあぜんとして見てて、『自分があそこのクラブだったら、中学で絶対陸上やらないよね。もう小学校でいいやってなるよね』って言い合ってました」

自分がそうだったように、子どもたちには楽しんで陸上をしてほしいと思った(撮影・松永早弥香)

小学生ですでに走り幅跳びで5m18を跳んでいた井村さんの陸上競技の原点は、父の池田実さんが教えてくれた「楽しい陸上」だった。もともとスポーツも競争も好きではなかったが、父がボランティアで教えていた地域のスポーツ少年団で触れた陸上が楽しく、どんどん競技にのめり込んでいった。そんな楽しい陸上に接してきた井村さんにとって、目の前の光景はショックなものだった。「私たちは陸上が楽しくてやってきた。そんな環境がないんだったら、私たちでつくっちゃおうか」。これがアスリートアカデミー構想の始まりだった。

伝えたいのは「生き抜く力」

クラブをつくるにあたり、一番悩んだのは料金設定だ。周りの陸上クラブを見てみると、週2~3日で月2000円程度。コーチは仕事の傍ら、ボランティアとして関わっている人がほとんどだった。同じような料金体系だと、とても経営できない。だったら自分たちならではの付加価値をつけたらいいんじゃないか。そう考えたふたりは、井村さんの現役時代のスポンサー企業のひとつだった株式会社アイディアヒューマンサポートサービスが、メンタルトレーニングやカウンセリングをしていることに目をつけた。

スポーツを通じてコミュニケーションの力を培ったり、メンタルを鍛えたり、人間力を高められる学びの場を提供できたら楽しそう。子どもだけじゃなくて親も巻き込んで、ほかにも親向けのカウンセリングがあってもいいんじゃないか。そこからメンタルトレーニングやカウンセリングの資格をとり、13年にアカデミーを開設した。

室内練習場の壁には、子どもたちの今シーズンの目標が記されている(撮影・松永早弥香)

井村さんは言う。「技術って、陸上をかじったことがある人なら誰でも習得できるんですよ。速く走れた、遠くに跳べた、というような自分の感覚は何となく分かるものですし、指導者としてこの感覚を教えようというのもいいと思います。でも私は、陸上を通じて将来のある子どもたちに、生き抜く力を身につけてほしいと思ってます。ストレスへの対応力とか目標へのアプローチとか。アカデミーではストレス耐性トレーニングもやってます。服を着たまま水を被った状態で走ってみよう、田んぼの中を走ってみよう、と言って、いいストレスと悪いストレスを経験させます。またあるときは、リレーを応援なしでやってみようと提案することもあります。すると『先生、ぜんぜん面白くない! 』と言う子どもが出てきます。『そうだね。だから言葉って大事だよね』というような気づきにつながるんです」

今年4月には鈴鹿校に加えて桑名校ができ、生徒も110人ほどに増えた。メインは小学生だが、中学生や社会人の生徒もいる。16年リオデジャネイロパラリンピックの女子走り幅跳び4位に入った前川楓さん(チームKAITEKI)も、そのひとりだ。鈴鹿市の隣町である津市在住の前川さんは17年2月から井村さんに指導を仰ぎ、同年7月のロンドン世界パラ選手権で銀メダルに輝いた。そしていまは東京パラリンピックでのメダルを目指している。そんな前川さんに対して井村さんは「世界パラ選手権の活躍は本当にうれしかったです。でもそうした結果が出なくても、前川選手が頑張ってくれたらそれで十分です」と言って、ほほ笑んだ。

自分の中では死ぬまで現役」

13年に現役を退いたあとも、井村さんは当時と同じ補強運動やストレッチを毎日やっていて、いまでも走り幅跳びで6mを跳べる。「見本を見せられないと子どもたちは納得しないですし、いまでも走り幅跳びは好きなんで。自分の中では死ぬまで現役のつもりです」。そんな井村さんは、ゼロから始めた子の成長を本人と分かち合えることに喜びを感じている。

井村さんは人としての成長を子どもたちに期待している(写真は本人提供)

「人としての成長を見守っていける喜びって言うんですかね。成長する過程にはすごいしんどいこともあるでしょうし、毎日苦しくてポロポロ泣くこともあるでしょう。私自身、いろんなストレスから体重が急に増えてしまって、毎日どうしていいのか悩んでいた時期がありました。でもそうした経験が、いまの自分の引き出しになってます」

井村さんは小さいころ、いい結果が出たときは周りの大人に声をかけてもらえたのに、そうでないときは無視されることもあったという。「お互いに理解し合えなくてうわべだけの関係性になると、空虚感が生じます。そうなるとすべてが楽しくなくなりますよね」と井村さん。明確に結果が出るのがスポーツだ。だからこそ、結果によって子どもとの関わり方を変えることなく、普段からどんなときでもサポートするという“寄り添い”を意識している。

父が教えてくれた「楽しい陸上」から始まった陸上人生は、オリンピックで7mを跳んで終えるつもりだった。それは達成できなかったが、いま、陸上を通じて生きる力を伝えたいと奮闘している。

「自分自身の競技で完結だと思ってたんですけど、父に授けてもらった『陸上が楽しい! 』という記憶は、いまでもやっぱり忘れられないんです。だから陸上で何かを伝えるのは自分の使命なんだろうなと思ってます」

●井村久美子~天才少女と呼ばれて

天才少女・イケクミは山形の陸上一家で育まれた 井村久美子・1高校でストレスから過食症に、救ってくれたのは父だった 井村久美子・2天才少女は福島大に進んで「新生」した 井村久美子・3北京五輪前の同期との別れ、父は超えられなかった 井村久美子・4完父が示してくれた「楽しい陸上」を、子どもたちにも 井村久美子のセカンドキャリア

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