大学バスケ

連載:監督として生きる

名将に海外に学び、「絶対」がないバスケと向き合う 筑波大・吉田健司3

東芝のアシスタントコーチ(AC)時代から現在に至るまで、吉田さんはマイケル・ジョーダンの母校・ノースカロライナ大に何度も視察に訪れている(写真はすべて本人提供)

昨年12月のインカレ男子で筑波大は3年ぶり5度目の優勝を果たしました。そのチームを率いる吉田健司ヘッドコーチ(HC、61)は2004年に東芝を退社後、母校である筑波大学男子バスケットボール部の技術顧問に、06年にはHCに就任しました。連載「監督として生きる」ではそんな吉田さんの現役時代も含め、4回の連載で紹介します。3回目は東芝バスケットボール部で指導していたころのお話です。

引退後も見据えて東芝へ、社業でチームビルディングを学び 筑波大・吉田健司2
破天荒な名将 東海大バスケ・陸川章HC(上)

自分が経験したバスケが通じない、だったら……

27歳で東芝バスケットボール部を引退し、34歳でアシスタントコーチとして部に戻ってきた吉田さん。社業に打ち込んだ7年間の内に、プレーの常識が大きく変化していたことに、吉田さんは衝撃を受けた。「当初は、自分がやってきた経験の範疇(はんちゅう)で指導できればと考えていたんですが、ジェネレーションギャップはすさまじかった。『自分の経験してきたバスケはもう通用しない』と痛感しました」

自分の経験が通用しないならば、アップデートするしかない。吉田さんはすぐさま頭を切り替え、“今”のバスケを知ることにフォーカス。コーチングに関する映像資料を手あたり次第に購入し、練習以外の時間はひたすらそれらを見続けた。国内で販売されているものをあらかた手に入れた後は、海外からも取り寄せた。トレンドを追いかけているばかりでは戦術の本質は見えないと気づいてからは、過去の作品も続々購入。最新のシステムへと変化していく過程を整理し、ノートに書き留めた。

名将たちのエッセンスも、アシスタント時代に吸収したものだ。吉田さんは、当時拓殖大男子バスケットボール部監督だった森下義仁さんに学んだ。「森下さんは理論的なバスケでチームを強くしていました。選手の本質を見抜く力も素晴らしくて、一人ひとりの性格を踏まえた上で導かれていた。こういった素晴らしいコーチの考えを、自分の財産として残す必要があると感じたんです」。空いた時間を使って拓大の試合に通い、試合後の食事会にも同席。名将がその日の試合をどのようにとらえていたかを聞き出し、自らの考えと照らし合わせながら血肉としていった。

現役時代は、映像を積極的に見るわけでも、戦術に興味があるわけでもなかったという。吉田さんは猛勉強の動機をあくまでも「そうしなきゃいけない状況になったから」と振り返るが、これらの積み重ねによって、吉田さんはコーチングの面白さと奥深さにどんどんのめり込んでいった。

毎年のように海外視察も重ね

コーチに昇格し、練習の多くを取り仕切るようになった3年目には、とうとう海を渡った。吉田さんのバスケの理想形で、マイケル・ジョーダンの出身校としても知られるノースカロライナ大を2週間視察。練習がない時間帯は、それまでに練習中に撮影されていた映像を片っ端から見て、名門チームがどのような練習をどのような時期にしているかをインプットした。

ノースカロライナ大でACを務めたデイブ・ハナースさん(撮影当時はデトロイト・ピストンズAC)と。吉田さんにとって、同大との関係を築くきっかけとなった恩人だ

吉田さんは還暦を迎えた今でも、新しい学びを欠かさない。これまでに購入した映像は一体どのぐらいなのかとたずねると、「1500本ぐらいですかね」とサラリ。「これは2月に買ったものです」と言いながら、オンライン取材のディスプレイ越しに見せてくれたDVDは、32本あった。アメリカには毎年訪問し、ノースカロライナ大、ユタ大、カンザス大など数々の強豪校から新しい情報を入手。ヨーロッパ勢の選手育成力にも着目し、スペインやリトアニアなどでそのシステムやプロセスを学んでいる。東頭俊典さん(アースフレンズ東京ZのHC)は、アメリカの名門大のコーチが「ヨシダは毎日、朝から体育館にいる。あんなに勉強する人は見たことがない」と言っていたと証言している。

吉田さんはコーチを担う以上、キャリアがどれだけ重なろうとも勉強の継続は絶対だと断言する。

「世界には数えきれないぐらいのバスケがあって、100人のコーチがいれば100通りのスタイルがある。『絶対』はないんです。ですから、どれだけ年をとっても『去年やったバスケは通用しない』と考え、新しいものを取り入れようとしています。コーチはやっぱりいろんな引き出しを持っていないと。使わない引き出しも当然ありますよ。でもそれはそれで、自分の肥やしだと思って持っていればいいんです」

「選手が前を向けるような指導」が前提

サラリーマンからコーチに転身して4年目の97年、吉田さんは満を持して東芝バスケ部のHCに就任した。ノースカロライナ大から学んだ最先端のスタイルで対戦相手を驚かせ、その年にいきなりリーグ3位と好成績を挙げると、その3年後には、当時最強を誇ったいすゞ自動車の牙城(がじょう)を破り、JBLトーナメント、天皇杯、リーグの三冠を達成。その功績を評価され、翌年からは日本代表の監督にまで上り詰めた。本格的なコーチングキャリアは10年未満。異例の大出世だ。

2013年、スペイン代表を06年世界選手権優勝に導いたペップ・エルナンデスさんに現地でインタビュー。世界のバスケに触れて引き出しを増やすという意欲は、還暦を過ぎた今でも変わらない

吉田さんは、日本最高峰のチーム、選手を指導して得た学びについて、こう話す。

「やはり、選手が前を向けるような指導の大切さだと思います。どのようにコミュニケーションをとれば、選手やスタッフたちに信頼してもらえるか……要はリーダー論ですね。新しいコーチに出会ったとき、選手はみな不安になります。『本当にこれで勝てるの?』と疑心暗鬼にさせず、『これは強くなれそう、うまくなれそう』という安心感を与えながら指導しなければいけない。新しい知識を身に付けることも、その一つです」

2004年の3月、吉田さんは東芝を退社すると同時に、同バスケ部から離れた。新たなるチャレンジの舞台として選んだのは、母校である筑波大だった。

61年ぶりのインカレ優勝の裏側、育成機関の絶対的使命を胸に 筑波大・吉田健司4完

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