バスケ

特集:駆け抜けた4years.2021

早稲田・小室悠太郎と青学・斉藤諒馬 退部もよぎった中、最後までやり切った主将たち

小室(左)と斉藤は退部することも考えながらも、最後まで主将としてやり抜いた(撮影・全て青木美帆)

部の活動休止や大会の中止。厳戒態勢の下で行われた無観客試合……。新型コロナウイルスは学生アスリートたちにも大きな影響をおよぼした。この難局に直面した2人のバスケ部主将、早稲田大学の小室悠太郎(4年、北陸学院)と青山学院大学の斉藤諒馬(4年、山形南)にスポットライトを当て、前例のないシーズンをどのように戦い抜いたかを振り返ってもらった。

不完全燃焼のまま大学生活を終えてもいいのか

「部活をやめて大学生らしい生活をしてもいいかもしれない。正直、そう考えてしまいました」

早稲田大の小室はそう打ち明ける。

昨年4月から6月の2カ月間、大学が休校となったことを受けて、小室は金沢の実家に帰った。オンライン講義と部のミーティング、トレーニング、就職活動。やることはそれなりにあったが、それでも東京にいる時と比べれば格段に暇だった。

「バスケのない毎日を過ごしている内に『普通の大学生の生活もいいな』って、気持ちが切れてしまったんです。練習を再開してからも試合があるかは分からなかったですし、他大学の4年生が全員部をやめたという話を聞いて、『どうせ試合ができないんだったら、いっそここで部活をやめて、他のことをやった方がいいのかもしれない』って考えちゃって。『今できること、今できること』って自分に言い聞かせてはいたけれど、本当にそれをやることに意味があるのか……。不完全燃焼のまま大学生活が終わってしまうことが怖かったんです」

高校時代に国体準優勝、ウインターカップ3位という素晴らしい実績を残しているものの、小室は競技を極めるというより「広い世界を見たい」という思いで大学に進んだ。「高いレベルでバスケをしたいとは思っていましたけど、卒業後にプロになりたいと思ったことは一度もありません。大学で色々な世界を見た上で、社会人として活躍できればいいなと思って早稲田に進学しました」。そのような思いを持った青年が、就職までの残り少ない時間をできるだけ有意義に使いたいという気持ちは、誰にも責められない。

練習もできず試合の予定も見えない。小室(右)は気持ちが切れてしまったこともあった

そんな小室の元に、10月に今季初の公式戦が開催されるという報が届いたのは、夏の終わりのことだった。「この大会開催に向けて色々な方が動いてくれている。ここで自分がやめるわけにはいかない」。気持ちを揺らせていた小室は、最後まで部をまっとうするという意志を固め、同じようにモチベーションの揺らぎに苦しんでいたチームを、自らが先頭に立って牽引(けんいん)。12月のインカレでは2年連続でベスト4入りを阻まれた日本大学を3年ぶりに破り、大会を8位で終えた。

仕事にもしっかりやりがいを見いだしたい

小室が入学時から思い描いていた通り、卒業後は一般企業に就職する。社の部活動でバスケを続ける予定だが、練習は土日に限られ、配属先によってはこれにも加われない可能性があると言う。

「入社後にどのような業務に就くかは分かりませんけど、単純に仕事が好きになれたらいいなと思います。『土日のバスケのために仕事を“こなす”』みたいに、バスケに逃げることだけはしたくないというか、仕事にしっかりとやりがいを見いだして、楽しいって思えるようになりたいですね。とか言いながら、バスケ中心の生活になっちゃいそうな気もするんですけど(笑)。CSparkさんの動画に『いい上司になれそう』みたいなコメントをしてくれた方がいたんですけど、マジでそうなりたいです」

小室(右端)は主将として仲間を鼓舞しながら、ラストイヤーを駆け抜けた

190cmの上背で、2m弱の大型センターと互角に渡り合う。ゴール下からディフェンスの虚を突いたようにアウトサイドに飛び出し、高確率の3Pシュートを射抜く。「どんな時も下を向かない」と心に決め、アリーナ中に響き渡るような声で仲間たちに指示を出し、鼓舞(こぶ)する。他に例える者のない唯一無二のバスケットボール選手は、新しい世界へ飛び立つ時を心待ちにしている。

相次ぐ同期の退部に気持ちが塞ぎ

青学大の斉藤も、小室と同様に「部をやめたい」という思いにさいなまれたひとりだ。ただ、その理由は異なる。斉藤の場合は、ともに頑張ってきた仲間たちを失ったことが大きかった。

昨年2月の中旬、副将に就任した同期の赤穂雷太(現・千葉ジェッツふなばし)がプロに転向するため、部をやめた。インカレ後にヘッドコーチが変わり、新たなチームカルチャーを構築していこうという矢先のことだった。エースとよき相談相手を失い、斉藤は大きなショックを受けた。

さらに、予想もしなかったことが起きた。緊急事態宣言が明け、部の活動が再開した直後、2人の4年生が退部したのだ。斉藤はもちろん引き止め、「やめてほしくない」という意思も伝えた。しかし、彼らの気持ちは変わらなかった。4人いた同期は、気づけば藤倉陽伸(4年、横須賀学院)ひとりになっていた。

苦楽をともにしてきた4人の同期の存在は、斉藤にとってかけがえのないものだった

「すごくつらかったですけど、最後は『いろんなことを考えた上での決断だったらしょうがない』と言いました。雷太がやめた時も気持ちが折れかけましたけど、3人目の退部者が出た時はさすがにメンタルにきて、病院に通院していた時期もありました。あまり暗くなるのも嫌だったので、チームメートには言っていなかったですけれど……」

退部しなかった2つの理由

藤倉からも「やめたい」という言葉を聞いた。斉藤自身も同じ気持ちだった。しかし最終的にそれを選ばなかった理由は2つあると斉藤は言う。

「この件で恩師や親と話をした中で、なんというか、心から応援してもらっているんだなってことを肌で感じたんです。暗いニュースが多いからこそ、応援してくれている人に何か明るい話題を届けたいと思ったことが、最後までバスケを続けようと思えたきっかけだったように思います」

もうひとつは、自分があくまで学生であるという自覚だ。

「自らの意志でプレーしているプロは、引き際を自分で決められて当然だと思うし、やめたとしてもファンの方にいろんなものを残せると思うんです。でも、学生ってそうじゃないじゃないですか。いろんな人の協力があってバスケをやらせてもらっている身なので、最後までやり切ることが何より大事なんじゃないかなと思って。そう陽伸に伝えたら『諒馬が頑張るんだったら俺も頑張るよ』って言ってくれました」

仲間を支え、仲間に支えられながら、斉藤(右端)は4年間をまっとうした

ベンチメンバーである藤倉は、それほど出場機会が多くない。斉藤は主力唯一の4年生、そして主将としての役割を果たさなければという思いのあまり、下級生を厳しく叱咤(しった)することも多々あった。そんな時にフォローをしてくれたのが藤倉だったという。「陽伸は下級生とも仲がいいので『あいつがこんなことを言っていたよ』みたいなことを教えてくれたりして、すごく助けられましたね」

実業団で“3足のわらじ”生活

振り返れば、当然苦しいことが多かった。様々な環境の変化に翻弄(ほんろう)され、Bリーグ入りという夢もあきらめた。しかし、このような状況下だったからこそ得られたものもある。

「自分って、人を頼るのがすごく苦手なんですよ。『こんなこともひとりでできないの?』って思われるんじゃないかって気にしちゃって。だから4年生が2人になった当初も『自分がひとりでやらなきゃ』って思いが強かったんですけれど、ささいなことでも周りに確認をしたり、いろんな情報を取り入れたり、下級生にも頼れるところは頼ろうと思えるようになったのは、この1年のおかげだと思っています。自分はひとりじゃないんだなってことが、本当に身に染みて実感できました」

卒業後は実業団に進み、社業に励みながら日本一を目指す。さらには、部の活動と並行して3x3でもプレーし、将来の日本代表を狙う心づもりだ。“3足のわらじ”を携えた斉藤のバスケ人生は、これからもずっと続いていく。

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