陸上・駅伝

特集:佐藤悠基 The Top Runner

中学時代から世代トップ、佐久長聖高校で世界との勝負を意識 佐藤悠基1

常に第一線を走り続けてきた佐藤悠基。今までとそしてこれからをじっくりと聞いた(撮影・佐伯航平)

佐藤悠基、34歳。ジュニア時代から世代トップレベルの実力を持ち、つねに第一線を走り続けてきた。日清食品グループからSGホールディングスに移籍した昨年12月には日本選手権10000mで27分台を出し7位、年始のニューイヤー駅伝では4区区間賞。いまなお日本トップレベルにいる彼は、どんな思いで競技に取り組んできて、今後何を目指すのか、じっくりと取材させてもらった。6回連載の初回は、陸上を始めた頃のことから、清水南中学で才能を伸ばし、佐久長聖高校で活躍したことについて。

シールがほしくてずっと走っていた

静岡県清水町に生まれた佐藤。幼稚園のころからスイミングスクールに通っていたが、小学校に入って「走ること」に出会う。「通っていた小学校で、校庭を3周走るとシールが1つもらえる、という取り組みがあったんです。シールがほしくて、早めに学校に行って校庭をぐるぐる走ってましたね」。長く走ることが好きになっていったのは、それがきっかけかもしれない、と振り返る。校内のマラソン大会では、1年生から6年生までずっと優勝していた。

ちなみに昨年まで横浜DeNAベイスターズでプレーした石川雄洋(たけひろ)は、佐藤と幼稚園から中学校まで同じという幼馴染だ。小さな町から同い年の陸上日本代表選手とプロ野球選手が誕生していたことになる。

水泳では、リレーの選手としてジュニアオリンピックにも出場した。それと並行し、6年生の時に地域の陸上クラブに入部した。6年生の4月に初めて出た大会で、1500mを走り2位に13秒近い差をつけてダントツで優勝。陸上クラブの先生は、佐藤が進むことになる清水南中学の陸上部の顧問の先生でもあった。短距離の指導をメインにしていたが、佐藤に「長距離をやってみないか」ともちかけ、そこから佐藤も本格的に長距離を始めた。そして小学生のうちに1500mを4分40秒台で走る力を身につけていた。

強豪チームとの練習で才能を伸ばし、中学新記録樹立

そのまま中学校では陸上部に入部。前述の通り、顧問の先生は短距離が専門だったが、その先生が当時女子チームが全国中学駅伝に出場していた御殿場中学校の先生と知り合いだった。週末は強豪チームに混ぜてもらい、一緒に練習をすることができた。「運が良かったと思います」と佐藤。長距離のトレーニングのノウハウを学び、普段から専門的な練習を自分でもできるようになっていった。

中学校の授業が終わったら陸上部の練習、それが終わってから水泳。そんな生活を中2まで続けたが、「陸上のほうがいけるな、と思って陸上に絞りました」。だが水泳を続けていたことで、成長期に心肺機能が高まったり、けがのリスクも少ない形で体を鍛えられたりと、走ることにもプラスに働いていたのかなと佐藤は言う。

清水南中学校時代の佐藤(右から2人目)。御殿場中学校との練習でレベルアップした(撮影・朝日新聞社)

強豪校とのトレーニングで実力を磨き、迎えた中3秋の国体。男子少年B3000mに出場した佐藤には「8分45秒の静岡県中学記録は切りたい」という思いがあった。「その時予選で初めてケニアからの留学生と一緒に走ったんです。ついていったら8分27秒が出て、次の日決勝で走ったら8分24秒24で、自分でもまさかと思ってびっくりしました。今思えば、2日連続で走ってあの記録が出たんだったら、連続で走らなければもうちょっといけたかもしれないなとも思いますね」

中学記録を大幅に、それも2日連続で更新した佐藤には、一躍陸上界からの注目が集まった。県内のみならず、県外の複数の強豪校からも誘いがあった。当時の静岡県には、全国で成績を残している高校がそこまでなかった。「もっと強くなりたい」と考えた時に選択肢として、県外の高校を考え始めた。

とはいえ、15歳にして初めて親元を離れることになる。九州の学校からも誘いがあったが、「そんなに遠くないところのほうが負担が少ないかな」という気持ちもあり、長野県の佐久長聖高校を選んだ。佐藤の1学年上には上野裕一郎(現・立教大学陸上部監督)がいるなど、強い選手と切磋琢磨できることも決め手となった。「寒いのはちょっと気になってましたけど。行ったことないので、どれぐらい寒いのかわからなかったけど、まあいいやと思って」と笑う。

人間力を伸ばす指導、切磋琢磨できるチームメート

当時の佐久長聖高校を指導していたのは、現在東海大学陸上部の監督を務めている両角速監督だ。「両角先生は、今はある程度自立した大学生を見ているので、今と当時は全然違うかなと思います。高校生を見ている時はもっと厳しかったですね。15歳から18歳という、競技者としてもですが、人としても大事な時期でもあるので、そこの部分をしっかりやりなさい、といつも言われていました」。普段の生活からしっかりしていないと、それが競技にも影響していく、という考えで指導されていたという。佐藤は競技について、技術面でああしろ、こうしろと言われた記憶はほとんどない。人間力の面でしっかりと育てられたことは、いまの基礎になっていると語る。

初めての寮生活では下級生に与えられる仕事もあり、いままでの生活とはガラッと変わった。「でも自分で選んだ道なので。仕事も慣れれば全然大丈夫でしたし、どう効率よくこなしていくか、先輩に怒られないように、ということだけは考えてましたね」といたずらっぽく笑う。

自分で選んだ環境だから、厳しくても言い訳をすることはなかった(撮影・佐伯航平)

練習でははじめから先輩たちに食らいついていった。次第に力がつくと、勝ったり負けたりするようにもなった。上野とは先輩だが良きライバルという存在で、お互い刺激しあって2年間を過ごせた。もっと上を目指したいと思っていた佐藤にとって、身近に最も勝つべき目標がいるという環境は申し分のないものだった。

ちなみに上野は高校3年の時にインターハイ1500m、5000mで日本人1位になるなど、無類の強さを誇っていた。上野と同学年だった大牟田高校の伊達秀晃、西脇工業高校の北村聡(現・日立女子陸上部コーチ)、洛南高校の松岡佑起(現・大塚製薬陸上部アシスタントコーチ)は「四天王」と呼ばれていた。佐藤は高校時代に上野と、東海大学に進んでからは伊達と、日清では北村と同じチームで切磋琢磨した。偶然ではあるが強い選手とのめぐり合わせに「人に恵まれてやってこれたかなと思う」と話す。

留学生に勝ちたいと挑み続けた

中学3年でケニア人留学生の強さを知った佐藤は、彼らに挑み、勝ちたいという思いが強かった。佐藤と同じ世代には、山梨学院付属高校にメクボ・ジョブ・モグス(現・サンベルクス)、仙台育英高校にサムエル・ワンジルなど特に力のある留学生がいた。「そういう選手たちに挑んでいくのが当たり前だと思える環境がすごくよかったですね」。それがおのずと世界に目を向ける第一歩にもなっていった。

高3の都大路での佐藤(中央)。1区を走ったがこのときは区間7位(撮影・朝日新聞社)

佐藤には、自分は世代トップの選手だという自負があったので、同学年の選手には負けないように、という気持ちが常にあった。高校3年の時のインターハイでは、あまり他の日本人選手の記憶はなく、「ケニア人留学生にどう勝つか」ということを意識してずっと走っていた。1500mと5000mにエントリーしたため、4日連続でのレースとなった。このときのことが高校時代では最も印象に残っている。「4日間ずっと集中して走れました。1500mは結果を考えずにチャレンジしたので、最後に失速して奮わずでしたけど(5位、日本人4位)、そのあとしっかり立て直して、4日目でベストパフォーマンスを出せました。自分の中でもすごく大きかったですね」

5000m決勝では、留学生と互角に渡り合い、モグスに次ぐ13分45秒23で2位(日本人トップ)。この記録は当時の高校歴代2位のタイムだった。「夏場のインターハイで13分45秒は、記録以上の価値があるのかなと思ってます。4日連続で走って4日目に出した記録でしたし」。だが高校生だったから勢いでいけたのかな、とも言い添える。最近では高校生で5000m13分台を出すランナーも珍しくなくなったが、佐藤は意外にもタイムを意識して走ったことはほとんどないのだという。

「そもそも僕の頃は高校生がそんなに記録会に出たりしてませんでした。出ても年1~2回、日体大記録会ぐらいかな。記録会は一定のペースを刻んでいけばある程度のところまではいけます。僕の中では、選手権で勝てたか、そこで記録を残せたかということのほうが重要です。インターハイでも勝負していって、ゴールしてみたら13分45秒だった、という感じでしたね」

記録を出すことよりも、勝負に勝つほうが重要だとずっと思ってきた(撮影・佐伯航平)

実際に、インターハイの地区予選などは、タイム的に見たら平凡な記録が残っている。ともに走っている選手が強ければ強いほど、スイッチが入って集中力が高まり、結果を残せる。佐藤悠基は昔から本番に強い男だった。

結果的に高校時代を通しての目標だった「留学生に勝つ」は、完全には達成できなかった。「越えられない壁、でしたけど自分にとってはそれがよかったのかなとも思います。たまに勝ったり、あとは負けたり。また勝てるように、負けたから勝てるように、というのがモチベーションになっていました。留学生たちと良いライバル関係でいられたと思います」

「世界への挑戦」はこうして大学へとつながっていった。

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