文教大・鈴木春奈「人を笑顔にするために」、未来を担う選手に自分の背中を見せる
「こんなに寂しいことはあるのだろうか」
今年1月に行われた冬季国体に神奈川県のトレーナーとして選手団に付き添っていた鈴木春奈(文教大3年)は、ガランとした会場で演技をする選手を見てなんとかしてあげたいと思った。自分も選手として出場した舞台は、どれだけ温かい雰囲気に包まれていたか。国体を最後に引退したのが5年前。こんな現実を目の当たりにするとは思っていなかった。
(※競技引退に伴いギフティング受付を終了しました)
自分のTwitterで国体を実況、反響を受けて決意
本来であれば、試合会場の客席にはたくさんの観客が入る予定だった。しかし、新型コロナウイルスの感染防止対策で、冬季国体は無観客での開催が決まった。試合はライブ配信が行われていたが、アクセスが集中し、選手の演技がコマ送りのような状況で見える時もあった。鈴木はそのことを知り、現地にいる自分に何かできることはないかと、自身のTwitterから選手たちの演技の実況をすることにした。
今まで実況をしたことはなかったが、15年間選手としてやってきた経験も踏まえ、選手一人ひとりの演技の内容を140字にまとめ、可能な限り配信した。現地に来られなかったスケートファンから多くの反響があり、こんなにも多くの人がスケートに興味をもってくれているんだと実感。そして選手の実況をしていて、鈴木自身ももう一度観客の前で滑りたいという思いも湧いてきた。今までは自分自身のためにフィギュアスケートをしてきたが、今度は「人を笑顔にするためにスケートをしてみよう」と、今年4月、5年ぶりにまた選手として活動することを決意した。
夢はオリンピック、周りからも期待され
小さい頃からピアノやバレエ、水泳など、たくさんの習い事をしてきた。その中で1番続いたのが、3歳の時にハマボールスケートセンター(神奈川)で始めたフィギュアスケートだった。当時は選手が練習の時に履いている可愛いスカートに憧れてフィギュアスケートを始めたが、7歳の時に「オリンピックに出るんだ」と決め、新横浜で指導をしている佐藤信夫コーチに師事した。
フィギュアスケートは7月1日から新しいシーズンとなるため、6月30日までに誕生日を迎える選手は、1つ上の学年の選手と戦うことになる。4月生まれの鈴木はその対象となり、常に1つ上の学年の選手とともに戦ってきた。
「何よりも練習が好き」という鈴木はコツコツと努力を積み重ね、ノービスの時から日本代表として国際大会に参加。中学1年生の時には全日本ジュニアでの結果が考慮され、全日本選手権への推薦選手に選ばれ出場した。翌年にはジュニアグランプリシリーズの派遣も決まり、当時目標としていたオリンピックも視野に入ってきた。将来が有望だということで早くから関係者の目に留まり、「ぜひうちに」と誘われるような形でスケート部がある高校へ進学し、順風満帆な選手生活を送っていた。
しかし、高校進学後は周囲の期待に応えなければならないと、毎日プレッシャーとの闘いだった。スケート部はあるもの部員は鈴木1人のため、部の存続のために結果を出さなければならない。周囲の期待はひしひしと伝わるが、ときには結果が出ないこともあり、もどかしい思いもした。
治療院でパワフルな女性に出会い、世界が広がった
結果が出ないことに悩んでいた頃、体のケアのために通っていた治療院でパワフルな女性と出会った。その方はちょうど妊娠中で、大きいお腹を抱えながら鈴木のケアをしてくれた。産後も赤ちゃんをおんぶしながら自分のケアをしてくれるような、たくましい女性だった。その女性は柔道整復師という国家資格を持っており、その免許を使ってできることを教えてくれた。3歳からスケートの世界しか知らなかった鈴木にとっては「こんな道もあるのか」と、視野が広がった瞬間だった。
ずっとフィギュアスケートに携わっていきたいと思っていたが、その携わり方を模索していたところだった。まだまだ数が少ないフィギュアスケート出身のトレーナーとして選手のサポートをしていく道もあるのでは。そう考え、専門学校への進学を決めた。それと同時に、高校卒業とともにスケートを引退することも決めた。誰もが大学に進学してスケートを続けると思っていただろうが、毎日プレッシャーに押しつぶされるような高校生活を送っていた鈴木には迷いはなかった。「このままだと好きなスケートが嫌いになってしまうと思ったんです」。高校3年生での国体を最後に、競技を引退した。
「栄養サポート」をもっと身近なものに
専門学校に進学してからは勉強に追われる日々を過ごしていたが、その中で様々なスポーツ経験者と出会うことができた。それぞれの競技の話を聞いていると、今まで狭い世界のことしか知らなかったことを改めて実感した。また、フィギュアスケートの世界に取り入れた方がいいものも見えてきた。
そのひとつが「栄養サポート」だ。フィギュアスケートは今でこそ強化合宿などで栄養指導が受けられるようになったが、個人で栄養士によるサポートを受けている選手はごくわずか。他のチームスポーツなどに比べると、栄養面でのサポートを受ける機会がかなり少ない。また鈴木自身も摂食障害の経験があり、間違った知識を持ったまま競技をしている選手は多いと感じていた。
専門学校の卒業の年になり、進路を考えていく中で、「栄養の勉強をもっとしたい」と強く思うようになっていた。加えて「大学は卒業したい」という思いもあり、専門学校卒業後は管理栄養士の資格が取れる文教大学に進学することにした。大学卒業後は、現在持っている柔道整復師とこれから取得する管理栄養士の2つの資格を生かして、体の内側・外側の両面からトータルサポートができるトレーナーになることを目指している。また、栄養サポートがもっと身近に受けられるよう、今後はSNSなどを通じて情報発信もしていく。
自分がアンリムを利用することで選手に伝えたい
現役復帰をするにあたり、スポーツギフティングサービスで「Unlim(アンリム)」の利用も開始した。一般的にフィギュアスケートはお金がかかるスポーツと言われており、スケート靴などの道具だけでなく滑走料も必要になる。「スポンサーはトップにならないと付かないというイメージがあるんですけど、アンリムは一定の基準を満たせば利用できると知り、自分が利用することでより多くの現役選手に『こんなサービスもあるんだよ』と知ってもらえたらと思ったんです」
現在は国体出場を目標に、かつての練習場所だった佐藤コーチの下で週3回ほど練習している。7月からフリーの振り付けを始め、初戦は9月30日開幕の関東フィギュアスケート選手権になる予定だ。いざ練習を再開すると、ジャンプの回転数を上げる時に恐怖心に襲われ、スピンで目が回り三半規管の衰えを感じるなど、5年のブランクは大きいと実感することがたくさんある。
しかし、今回の現役復帰の決め手は自分だけのためではない。「見ている人が笑顔になってくれますように」。そう語ってくれた鈴木の顔は希望で満ち溢(あふ)れていた。