陸上・駅伝

特集:第53回全日本大学駅伝

岐阜協立大・揖斐祐治監督、真面目を貫いてきた選手らと伊勢路で襷をつなぐ

岐阜協立大学という大学名で全日本大学駅伝に出場するのは今大会が初となる(写真提供・岐阜協立大学)

2019年4月に岐阜経済大学から岐阜協立大学に名前が変更。そして今年、全日本大学駅伝に5大会ぶりに出場し、岐阜協立大として初めて伊勢路を駆ける。「歴代の主将が誰一人諦めることなく、毎年『全日本に出る』という部をつくってくれたので、それが今年の結果につながりました。『どこの大学なんだ?』って皆さん思うでしょうから、少しでもインパクトのある走りができたらと思っています」。12年からチームを率いる揖斐(いび)祐治監督(41)はそう話し、チーム強化を推し進めるためにスポーツギフティング「Unlim(アンリム)」を開始した。

タイムはまだなくても、真面目に取り組める選手を

揖斐監督は岐阜県出身。土岐商業高校(岐阜)時代に全国高校駅伝(都大路)に出場し、最長区間の1区で日本人1位(区間2位)の結果を残している。駒澤大学では名将・大八木弘明監督の下で鍛えられ、学生3大駅伝には1年生の時から全て出走。特に1年生での全日本大学駅伝では4区を走り、区間2位の好走でチームの初優勝に貢献した。「関東の大学だと、どうしても全日本は箱根を見据えてのレースになってしまいますが、私にとっては地元の近くを走る貴重なレースで思い入れも大きかったです」と揖斐監督は当時を振り返る。

揖斐監督(左)が駒澤大学1年生だった時にチームは全日本大学駅伝初優勝。揖斐監督は2年生以降、3区を走り、3年連続区間賞だった(撮影・朝日新聞社)

その後、実業団のエスビー食品に進み、06年3月をもって現役を引退。同年4月からは麗澤大学のコーチに、08年からは東亜大学スポーツ健康学科専任講師をしながら女子駅伝部監督として学生たちを指導していた。

そんな時、岐阜経済大(当時)から全日本大学駅伝に向けてチームを強化する力になってほしいと打診を受け、揖斐監督は地元・岐阜の強化につながればと思い、地元に帰る決断をした。揖斐監督が着任した12年から駅伝部を発足する予定だったが、メンバーや大学の事情で1年目は陸上部の駅伝監督として学生を指導。翌13年4月から駅伝部の監督としてチームを強化している。

就任1年目、陸上部の長距離選手は6人だけだったが、揖斐監督は全国の高校に出向き、2年目の13年には新入部員も含めて28人ほどの部となった。同年9月には寮が完成し、選手のサポート体制も少しずつ整った。記録を持つ選手は、箱根駅伝がある関東の大学に集中する。その中で揖斐監督が大事にしたのは、記録よりも学生の気質だ。「高校の先生には、『タイムはなくてもいいので、真面目にやれる子を紹介してほしい』と伝えました。こつこつやれる子。チームのメンバーに入れないけどキャプテンをやっていたような子が集まり、いいチームになりました」

駅伝部創設元年に伊勢路初出場、悔しさを味わった

当初の計画では、揖斐監督が初めてリクルートした代が4年生になる16年に全日本大学駅伝初出場を目指していた。しかしその学生がまだ1年生だった13年に、チームは東海地区選考会を勝ち抜き、本戦初出場をつかんだ。

駅伝部ができた2013年、チームは全日本大学駅伝初出場をつかんだ(撮影・朝日新聞社)

当時は戦力的にという以前に、まだ長い距離を走れていない状況で本戦に挑み、1区の段階で首位の駒澤大から8分近く離されての23位だった。「選手たちはかなり悔しかったでしょうし、全日本がどんな舞台なのかを痛感したレースだったと思います」と揖斐監督は言う。翌14年は本戦を逃したが、15年と16年は続けて本戦に出場し、16年には18位で東海地区に2枠をもたらした。

その16年を最後にチームは伊勢路から遠ざかっていたが、冒頭の通り、どの代も主将を中心に4年生たちがチームを盛り上げ、全日本大学駅伝への気持ちを切らすことなく挑み続けた。「5年も出られていなかったら、どこかの代で諦める気持ちが出てしまうと思うんですけど、学生たちは諦めることなく継続してくれました」と揖斐監督は学生たちをたたえる。

2016年にチームは過去最高の18位となり、東海地区に2枠をもたらした(撮影・朝日新聞社)

チームは毎年11月に世代交代し、出雲駅伝の選考会も兼ねた12月の東海学生駅伝には新体制で挑む。そして昨年11月、大橋光太郎(4年、龍谷富山)が主将に就任。他のチームは4年生も含めたメンバーで東海学生駅伝に挑む中、岐阜協立大は愛知工業大学と1分程度の差で3位に入り、「来年はやれる!」という雰囲気がチームの中に広がった。

大橋について揖斐監督は「非常に真面目。当初はタイムをもっていなかったけど、学年を重ねるうちに走りもよくなり、チームの核となる選手に育ってくれました。キャプテンとしてチームをまとめてくれ、しっかり意見もできる」と話す。大橋は「4年生はチームの顔」だと言い、練習でも私生活でも手本となる姿を下級生に見せられるよう、とりわけ自分には人一倍厳しくあろうとしている。

伊勢路の経験者ゼロ、日々の練習でもコースを走る

しかし大橋は全日本大学駅伝東海地区選考会の直前にけがをしてしまい、メンバーから外れた。走りでチームを支える役目は副将の榊原陸(4年、報徳学園)に任せ、大橋は裏方に周り、出走する選手とそうでない選手の間に温度差が出ないよう、何度もミーティングをして部の雰囲気を盛り上げてきた。

6月に行われた選考会、1組目に出走した中尾啓哉(3年、高岡向陵)が31分03秒92と2位以下に約36秒もの差をつけ、同期の村松俊哉(浜松商業)も4着に入り、岐阜協立大が首位に立った。その流れに乗って2組目以降の選手も好走し、総合2位で本戦出場をつかんだ。5大会ぶりの出場に大橋はまずホッとし、「自分たちの力だけではなくて、今までの積み重ねだから」という思いから、すぐに去年の主将と副将に報告したという。

選考会で村松(右端)と中尾(右から2人目)が1組目で好走し、チームは流れに乗った(撮影・松永早弥香)

東海学連選抜も含め、チームには伊勢路経験者はゼロ。揖斐監督は自身が学生だった時の経験も踏まえ、全日本大学駅伝の戦い方や気持ちの作り方を学生たちに伝えた。特に大学がある岐阜県大垣市からは2~3区のコースまで車で1時間程度という土地の利を生かし、練習の一環でコースを走ることもできたらと考えている。「選手たちにはまだ距離に対する不安があるので、全区間しっかり走れるよう、この夏に走り込もうとしています」

今のところ夏合宿は例年通りに実施できる予定だが、新型コロナウイルスの状況次第で中止になる可能性もある。そのため今年は見通しが立っているうちに8月20日から長野県で2週間と長い合宿に取り組み、状況を見て9月と10月にそれぞれ岐阜県で合宿ができればと考えている。全日本大学駅伝に向けて距離を踏み、例年であれば20km走までだったが、30km走もメニューに加える予定だ。「まずはペースを少し落として走行距離を増やし、じっくり下地を作る。学生には苦しい思いをさせるでしょうけど、学生のモチベーションは例年より高いですから、喜んでやってくれると思います」と揖斐監督は学生たちの意識の高さを感じている。

練習環境を整えるためにアンリムを活用

万全の準備をして5大会ぶりの伊勢路を見据えているが、チームを更に強くするため、揖斐監督は環境を整えていく必要性を感じている。例えばチームのそばにはトレーナーがおらず、けがや疲労の対策は他大学に遅れをとっている。また合宿の回数も、関東・関西に比べたら限りがあるのが現状だ。スポーツギフティング「アンリム」で集まった支援金は、学生たちを取り巻く環境を整えるために使いたいと考えている。

「そうした支援金の話はありますが、アンリムを通じてこれまで以上にたくさんの人々に岐阜協立大学駅伝部を知ってもらい、応援してもらえたら、学生たちもより気合が入るだろうなと思っています。もちろんその期待に応えられるだけの練習を積んで、結果を残していかないといけません。学生たちが頑張る大きなきっかけになってくれたらいいなと考えています」

主将の大橋のけがも癒え、夏合宿ではAチームに復帰し、自らの走りでチームを牽引(けんいん)している。大橋が全日本大学駅伝で思い描いているのは距離が長い7区と8区。「今年、愛工大は選考会に出場できませんでした。愛工大に限らず、本戦に出場できなかったチームの思いもしっかり背負って、(選考会でトップ通過だった)皇學館にも勝ち切って、東海地区に3枠をもたらしたいです」。大橋はそう言い切った。

全日本大学駅伝が終われば世代交代だからこそ、大橋(右)は伊勢路を集大成の舞台だと考えている(写真提供・岐阜協立大学)

揖斐監督は全日本大学選手権が決まった際、すぐに恩師である大八木監督に電話をした。「『おお、頑張ったな! 久々だな』とかなり喜んでくださいました。他の大学でも同世代や先輩世代が監督をされていますので、私も監督として当時お世話になった方々と一緒に大会に挑めることがとても楽しみです」と11月7日の本戦を待ちわびている。

過去4大会は全て繰り上げスタートとなり、ゴールである伊勢神宮に襷(たすき)をつなげられていない。だからこそ今大会ではなんとしても、みんなの思いがこもった襷を最後までつなぐ。選手たちは歴代の先輩たちの思いも背負い、岐阜協立大学として初の伊勢路を駆け抜ける。



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