陸上・駅伝

東洋大主将・宮下隼人 チームのために区間賞を獲得し、鉄紺の「強さの証明」を

主将としてチームを引っ張る宮下。駅伝シーズンへの思いを聞いた(写真提供・東洋大学陸上部)

2年連続で全日本大学駅伝のアンカー、箱根駅伝の5区を走った東洋大学の宮下隼人(4年、富士河口湖)。今年主将の大役を任され、責任感ある立場でラストイヤーを過ごすこととなった。けがで苦しんだ前半シーズンを振り返ってもらい、駅伝シーズンへの思いを聞いた。

主将への任命、走れず思い悩むことも

宮下は箱根駅伝後の帰省期間から寮に戻ったタイミングで、酒井俊幸監督から今年度の主将に任命された。最高学年になるにあたり、自分か蝦夷森章太(4年、愛知学院愛知)が主将になるのではとも考えていたため、驚きはそこまでなかった。「いざ言われた時は、『やらなければいけない』という気持ちで身が引き締まりました。それと同時に、監督から認められたというか、主将という役割を任せてもらうことへの嬉(うれ)しさもありました」

箱根駅伝では区間3位の宮下だったが、この時右足の脛を疲労骨折していた(撮影・佐伯航平)

だが宮下は今まで、チーム内で役職についたことがなかったため、正直なところ不安も大きかった。加えて箱根駅伝5区を走っている最中に右足の脛(すね)に痛みを感じ、それが疲労骨折だったことも判明した。2~3カ月ほど走れない期間が続いて、「走らないと」という思いが先に立ってしまい、治りかけで走ってバランスを崩して結果的に故障が長引いてしまった。走りでチームの先頭に立つことができず、思い悩むこともあった。

長距離0点に終わった関東インカレ

5月の関東インカレでは、宮下は10000mにエントリーしていたが、足の調子が思わしくなく棄権することになった。5000m、10000m、ハーフマラソンの長距離種目で東洋大勢は入賞を逃し、まさかの0点に終わった。「今までであればトラック優勝を争うようなチームだったのですが、結果が出ませんでした。4年生として走らなければいけない自分と腰塚(遥人、4年、桐生工)がスタートラインに立てず、チームとしてもうまく力を発揮できませんでした」

関東インカレの結果を受けて、チームでミーティングを開いた。4年生のみならず、チーム内一人ひとりの危機感が足りなかったと意識を共有した。今年決めたスローガンは「鉄紺の証明」。ここには「第97回箱根駅伝総合3位という結果が偶然ではないことを優勝を目指して証明する」、「鉄紺のチームスピリッツ『その1秒をけずりだせ』を体現し証明する」、「走りだけでなく人間性の成長を見せる、証明する」という意味が込められている。だが、他大学に対して強さを「証明」することができなかった。「箱根駅伝の3位に満足しているのではなく、目指しているのはあくまで総合優勝だ、ということも確認しました」。そして夏合宿に臨んだ。

年始の箱根駅伝で2区4位と活躍した松山も、関東インカレ5000mでは力を発揮できなかった(撮影・藤井みさ)

昨年は解散期間が長く、チームに選手たちが戻ってきたのは8月。人によっては9月に入ってからやっと合流したという状態だった。今年は大学から合宿の許可もおり、コロナ前の2019年に近いスケジュールで合宿ができたという。夏のテーマは脚づくり。距離を踏んで、駅伝の長い距離になっても対応できるようにしていく。

強さを証明し、チームとして勝ちたい

宮下は2年時の出雲駅伝で大学駅伝デビューを果たし、そこから開催されたすべての駅伝を走ってきた。昨年、全日本大学駅伝のアンカーを務め6位でゴールした後、「上級生」としての自覚をにじませるような言動が印象的だった。そのことについてたずねると、少しはにかみながら「2年生の時は、自分のことで精一杯でした」と答えてくれた。2年時、自身初の箱根駅伝であこがれていた5区を走り、区間新記録を樹立し区間賞を獲得したが、チームは総合10位に終わった。

「すごく悔しさが残ってしまいました。自分だけがいい結果を残すのではだめなのが駅伝なんだなと感じました。自分の結果もだけど、チームスポーツなのでチームの結果を優先しようとその時感じました」。自分が走らなければ、という思いもあるが、同時に勝つためには「走るべき選手が走らないと勝てない」と駅伝を経験して感じた。チームのことを考えるがゆえの言葉だった、と教えてくれた。

駅伝シーズンのチーム目標は、3大駅伝の1つで優勝すること。その中でも箱根駅伝で総合優勝したい、という気持ちが一番大きい。昨年度は往路2位、総合3位で、前年の10位から躍進した。「今回は嬉しかった3位でしたが、3位で終わっていいチームではない、うまくいけば総合優勝を狙えるチームだと思います。強さを証明して、箱根駅伝で総合優勝をしたいです」と目標を語る。

チームのために、走る駅伝では区間賞を狙う(撮影・朝日新聞社)

宮下は全日本大学駅伝では8区、箱根駅伝では5区を2年連続で走っている。駅伝ファンにとっても、アンカーとしてゴールテープを切る姿がおなじみになってきているのではないだろうか。特に箱根駅伝5区の区間記録保持者ということもあり、他大学の選手からもマークされる存在だ。他の選手たちから意識されていることは感じていますか? と聞くと、「記事などを読んでいて、自分の名前が多く出るなとは感じていました」。だが意識することはあまりないという。「自分の今持っている力を100%出すだけです。もし今回(の箱根駅伝)も5区を走ることになったとしても、アンカーとしてしっかり走りきりたいと思います」

宮下にとって、アンカーとはどういう役割だろうか。「アンカーを走る時は、走る前は緊張しています。でもしっかり締めくくってやるという気持ちも湧いてきて、逆に燃える、頑張れる材料になれますね」と穏やかな表情で答える。

箱根5区、そして全日本の8区を任されている通り、宮下の強みは上り、そして長い距離を淡々と一人で押していけることだ。逆に競った展開や、ラスト勝負に苦手意識があるという。「自分はスピードがない選手だと思っているので、ラスト勝負になる前に引き離す走りをしていきたいです」

オリンピックを見て強くなった世界への思い

将来的、それも近い将来にはマラソンを走りたいと考えている宮下。今回、酒井監督が主将に任命したのも、「世界で戦える選手になってほしい」と期待を込めてのことだとコメントしていた。宮下自身は、「世界」への意識はどうか。

「なんとなく今までは、漠然と『いつか日の丸をつけてマラソンを走りたい』、というぐらいの気持ちでした。ですが池田(向希、旭化成)さん、川野(将虎、旭化成)さん、相澤(晃、旭化成)さん、服部(勇馬、トヨタ自動車)さん、それから短距離でもOBの方が出られているのを見て、オリンピックって素晴らしい舞台だなと感じました。3年後のパリオリンピック、7年後のロサンゼルスオリンピックに、日本代表として出たい。オリンピックのマラソン代表になりたい、という意識が強くなりました」

酒井監督は宮下に「世界で活躍するマラソンランナーになってほしい」と期待している(写真提供・東洋大学陸上部)

特に今回の大会で印象に残ったシーンをたずねると、競歩50kmでの川野の歩きを挙げた。「途中アクシデントもあったのに立て直して(先頭集団に)追いついた気迫の歩きは、すごかったです。練習されているのも近くで見ていたので、普段の頑張りが出てくるのかなと思いました」。川野には前回の箱根駅伝の際に給水をしてもらったり、競歩の歩き方を教えてもらったこともあったりと、身近な存在だった。その選手が大舞台で力を出し切る姿に宮下も力をもらい、刺激になった。そしてそういう選手たちが活躍できている下地を作った東洋大学に所属していることを強みにしたい、とも言う。

ルーキーとも切磋琢磨、頂点を目指しひとつに

東洋大には今年、石田洸介(東農大二)、甲木康博(城西大城西)といった強力なルーキーも加入した。特に高3のときに5000mの日本高校記録を更新(当時)した石田には、大きな期待がかかるが、宮下は「あまりプレッシャーに感じさせないようにしたい」という思いを持っている。「今までの環境では『別格』のような扱いもあったようですが、今は他の1年生も含め、チーム内で切磋琢磨(せっさたくま)するライバル、という気持ちでいます。チームのみんなが彼に負けられない、という気持ちで取り組んでくれればと思います」

休日は趣味のお菓子作りで気分転換もしているという宮下。穏やかで礼儀正しい姿勢から、内に秘めた熱い思いを感じさせる。気迫のこもった走りで東洋大を頂点に導けるか。

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