陸上・駅伝

池田向希&川野将虎対談 東洋大OBコンビの東京オリンピック競歩(下)

東京オリンピック男子20km競歩、2位でゴールしガッツポーズする池田(撮影・内田光)

東京オリンピックの競歩には、20kmに池田向希、50kmに川野将虎(ともに旭化成)の東洋大学OBの2人が出場しました。池田は銀メダルを獲得、川野は6位入賞と、それぞれ今大会日本人最高成績を残しました。静岡県出身で高校時代から互いの存在を意識し、東洋大4年間から実業団・旭化成ではチームメート。卒業1年目の今年、目標としてきた大舞台で戦った経験について対談してもらいました。後編では、東京五輪が1年延期になった時の気持ちの持ち方、そして今も指導を受ける東洋大・酒井瑞穂コーチと酒井俊幸監督の指導について話してもらいました。

1年延期で勝ちパターンに気づけた池田と、自分を変えられた川野

東京五輪が2020年に開催されていたら2人は大学4年生だった。東洋大は12年ロンドン五輪20km競歩で西塔拓己(当時3年)が25位、16年リオ五輪20km競歩の松永大介(富士通、当時4年)が7位に入賞していた。3大会連続で東洋大の現役学生が五輪に出場し、先輩たち以上の成績を収めることが池田と川野のモチベーションになっていた。

――東京五輪が21年開催になり、延期された1年間にどんな取り組みをしましたか。

池田 自分はレースプランも試合出場も練習メニューも、最初に立てた計画通りに進めたい性格なんですが、それが上手くできなくて気持ちが切れてしまいそうになったことがありました。特にレースプランは、山西(利和・愛知製鋼。19年世界陸上金メダル)さん対策を立てても通用しなかった。しかし1年延期でトラックの5000mWや10000mWでスピードを研くことができ(5000mWは日本記録、10000mWは日本歴代2位)、最終的な自分の勝ちパターンはスピードを最後にぶつけることだとわかってきたんです。18年の世界競歩チーム選手権に優勝したときの勝ち方と一緒で、別パターンにも逃げずにトライして、1周回って自分の武器を再認識した形になりました。

川野は19年10月から2年近く50kmのレースに出られなかった。その間フィジカルトレーニングなどを行いレベルアップを図ってきた(撮影・日野健吾)

川野 50km競歩は2020年の大会全てが中止になり、代表を決めた19年10月の全日本競歩高畠大会(3時間36分45秒の日本記録)から2年近く50kmには出られませんでした。しかし昨年3月に延期が決まってからは、五輪本番まで50kmには出場しないで、スタミナと歩型を中心に基礎を固める期間を設ける計画を立てたんです。経験の少なさをどう埋めるかを考え、練習のバリエーションを増やしました。歩く練習以外でもフィジカル・トレーニングやヨガをしっかり行い、どんなレースでも崩れないフォームを身につけようとしましたし、夏のレースに向けた暑熱対策や内臓の強化も行いました。内臓強化としてはたくさん食べるだけでなく、自分に合った消化吸収を促進する食品をとったり、疲労回復を早める食事を心がけたりしましたね。池田と同じように自分も10000mWと5000mWの自己記録を更新し、武器であるスピードもアップできたと思います。

池田 2人とも4年生の後半から寮を出ていますが、川野はアパートからグラウンドまで、1日3往復歩いていました。数kmですが、それを1カ月、2カ月と続ければ大きな違いになります。そうした地道な積み重ねが、東京五輪でも最後の粘りに現れた。

川野 池田のすごいところは社会人になっても、朝練習に一番早く出てくるところ。初心を忘れず、同じ取り組みを継続してやっています。基本的な部分は変えていない。そのモチベーションはすごいと思います。

池田 練習に向けて準備することを大事にしています。それは学生だからやる、社会人だからやらなくていい、というものではありません。それが長期的な故障をしないことに結びついています。社会人になっても東洋大の学生と一緒に練習させてもらっているので、少しでも見本となって、学生にも気づいてもらいたいと思って続けています。

――旭化成入社後初レースが東京五輪でした。長距離の名門チームで競技をすることのプラス面も感じられますか。

池田 旭化成はマラソンもトラックも、過去に何人も五輪選手を輩出しています。東京五輪前も旭化成の川嶋伸次コーチと相澤さん(相澤晃。10000m代表で東洋大OB)が競歩チームと同じ千歳で合宿をされていましたが、スタッフが落ち着いているので選手は練習でも試合でも無駄なことを考えずに臨むことができると感じました。私も安心感が持てたから落ち着いたレースができたのだと思っています。宗(猛)総監督、西村(功)監督からもあたたかく見守っていただき、五輪に向けて平常心を作ることができました。レース後も喜んでくださり、励みになるお言葉もいただきました。柔道では大野将平選手(73kg級)と永瀬貴規選手(81kg級)が東京五輪で金メダルを取りました。社としても五輪に向かって行く姿勢が作られていて、代表選手が出たから慌てて対応しているようなところがありません。

東洋大・酒井瑞穂コーチと酒井俊幸監督の指導とは?

東洋大の酒井俊幸監督は17年まで、長距離・駅伝だけでなく競歩の指導責任者でもあった。12年当時は五輪出場が指導者としても精一杯で、「世界で戦う準備ができなかった」と振り返る。しかし翌13年のモスクワ世界陸上で西塔は6位入賞し、16年リオ五輪の松永が7位と、日本選手の20km競歩五輪初入賞を達成した。しかし歩型指導が不十分と自覚していたし、長距離・駅伝の指導との両立がスケジュール的にも難しいと感じていた。17年シーズン後半から監督夫人で元競歩選手の酒井瑞穂さんが競歩コーチに就任し、池田と川野の2人が大躍進を見せた。

――東洋大・酒井監督も酒井コーチも、厳しくも愛情のある指導をすることで知られています。どんな指導が印象に残っていますか。

川野 瑞穂コーチは歩型などの技術も、国際的な傾向などを勉強されて丁寧に指導してくれますが、心の指導もそれ以上にしていただいています。去年、自分が左ハムストリング(大腿裏)を痛めてフォームが崩れ、不安な気持ちもコントロールできていない時期があったのですが、東洋大・酒井監督と2人で自分の気持ちを立て直してくれました。今年の春先までは、フォームが安定せずハムの痛みも出る時もあり、不安定な感情を出して周囲に気を遣わせてしまう時もありましたが、「今の川野じゃ勝負できないよ。本当の自分と向き合わないと何も変わらない」と、はっきりと言ってくださったんです。自分のどこが短所で、何が長所かをもう一度突き詰めて考えましたし、フォームもフィジカル・トレーニングも、ドリルのやり方も瑞穂コーチと相談して全て見直し、これまで以上に細かく見てもらいながら自分で修正を重ねました。池田も言ってくれたように自分は、秘めた力のようなものを発揮することがあります。瑞穂コーチには、集中すればそれが出せるといつも言っていただいていました。今回、おう吐してしまった後にすぐ前を追うことができたのも、そうした言葉をかけていただいていたからだと思います。

池田 川野を見ていて、取り組み方が明らかに変わりましたね。最後の2カ月くらいは合宿をして一緒に生活していましたが、日常生活の時間の使い方も、競技第一というところを一段と徹底するようになった。瑞穂コーチとも念入りに話し合って、細かい部分まで確認していました。

酒井瑞穂コーチ(右)と酒井監督は、技術だけでなく心にもアプローチして2人を伸ばしてきた(写真提供・旭化成陸上競技部)

川野 瑞穂コーチは高校の教員だった頃、自分の職務や高校生の指導をしてから競歩の練習をされていました。今も東洋大長距離・駅伝の監督補佐をされて、2人のお子さんの母親という家庭のお立場もある。そのなかでも競歩の指導者として世界と戦っています。東京五輪のテーマである多様性と調和を、まさに体現されている方です。そういったなかで自分たちを見てくれるので、足りない部分がよくわかるのだと思います。

池田 私は7月の猪苗代合宿中に東洋大・酒井監督と瑞穂コーチから「何のために競技をしているのか。何のために五輪に出るのか」という問いかけをしてもらいました。それまでは競技力を上げて結果を残すことしか考えていませんでしたが、なんでここまで夢中になって競技をしているのか、自分の内面を見つめ直しました。結果を残すことはもちろんですが、競歩を追求することで人として成長していきたい気持ちがあることに気づきました。

――人間的な成長があれば、競技力の向上にもつながっていく?

池田 練習に取り組む姿勢に現れると思いますし、裏表を作らない素直な心があれば、自分のやってきたことを信じてレースに力をぶつけられます。感謝の気持ちは結果を出して恩返しをしたい思いの強さになり、最後で頑張ることの原動力になる。レースを外さないことにもつながると思います。視野を広く持てば周りの選手をリスペクトすることができ、切磋琢磨することにもなる。レース中も周りの状況を正確に把握して判断ができる。そうして力を出し切る真剣勝負ができれば、結果はどうあれ相手を称えることができます。

来季は20km競歩で2人が直接対決も

大卒1年目の五輪で銀メダルと6位入賞という結果を残した2人。池田は24年のパリ五輪での連続メダルを目標としているし、川野は新種目の35km競歩でメダルを目指して行く。来季は川野が35kmのために、20km競歩にも出場して強化していくプランを持っている。50km選手としては世界有数の20kmのタイムを持つことが川野の武器だったが、そこをもう一度研くつもりだ。

池田 川野は20km競歩でも自分より1秒良い自己記録を持っています。20km競歩でも通用するスピードを持っているのに、50km競歩にこだわってきた理由は何だったの?

川野 大学に入る前から50km競歩に憧れみたいな気持ちがあったんだ。練習で長い距離を歩いて適性があるかな、と感じていたし。谷井(孝行・当時日大、現自衛隊体育学校コーチ)さんと山崎(勇喜・当時順大)さんも学生でアテネ五輪(04年)の50km競歩に出場されていたけど、その後は学生で50kmにチャレンジする選手はいなかったから、自分がそこに挑戦してやろう、という気持ちになった。それで大学2年から50km競歩出場に踏み切った(3レース目の大学3年時10月の全日本競歩高畠で日本記録)。

――50km競歩が東京五輪で最後となると、高校の頃から知っていたのですか。

川野 リオ五輪後に聞いたので、大学に入った頃だったと思います。正式になくなることを知ったのは19年3月でした。それを聞いていっそう、東京五輪で勝負をしたい気持ちが強くなりましたが、50km競歩が最後だからというよりも、学生のうちに50kmに挑戦したい気持ちが強かったです。

――そんな川野選手が来季は20km競歩にも出場するプランがあると聞いています。銀メダリストとなった池田選手としては負けられない?

池田 川野は高校の頃はずっと背中を追っていた相手です。違う種目を目指すようになってからも、自分が19年の世界陸上で6位と敗れた直後に川野が高畠で五輪代表を決めたことで、自分の取り組みを見直すことができました。負けたくない気持ちはこれからも消えることはありませんし、ライバル心はより大きくなっています。負けたくないからお互いに頑張れる存在です。

――20kmなら負けるはずがない、という自負もありますか。

池田 五輪で一度メダルを取ったから自分は強い、他の試合はどうでもいい、とは少しも思いません。レース毎に目的があって、試合毎の目標に全力で向かっていくことが重要になる。だから川野が出場していれば、1人のライバルとして全力で戦います。川野はどんなレースをするかわからないところがあるので、怖い存在です。メダルを取ってもまだまだ上はいるとわかったので、そういう選手に向かっていくことは自分にとってプラスになります。

50km競歩は今大会で終了。新たな種目・35km競歩に向け、川野は今後20kmのレースにも出場する予定だ(撮影・日吉健吾)

――川野選手は20kmでの池田選手と戦うことをどうとらえていますか。

川野 20kmのレースは2年以上一緒に歩いていないので、池田と同じ土俵で戦うことができたらそれ自体がうれしいでしょうね。同じレースを歩くことを楽しんで、自分の力を全力でぶつけたいです。先ほども話したようにレース中の池田は落ち着きがあり、状況判断に優れています。自分にない部分をたくさん持っているので、35km競歩に向けても池田と戦うことはとてもプラスになります。多くのことを吸収したいと思っています。

――パリ五輪に向けてどんな方針で強化をしていきますか。

池田 今回もやりたかった練習が全てできたわけではありません。瑞穂コーチが考えた距離歩とリズムチェンジを組み合わせた質の高い練習があり、五輪まで何回か挑戦したのですができませんでした。他にも同じようにこなせなかった練習もありました。そういった練習ができればもっと自信をもって勝負ができます。これまでも、1つの目標を達成したら次の目標が出てきて、それに対して向かって行くことで成長できました。これからも同じです。その姿勢を続けていけばパリ五輪までの3年間で、今よりも技術的にも精神的にも強くなっています。そうなった状態でパリ五輪を迎えたいと思っています。

川野 パリ五輪では50kmから距離が短縮されると思うので、50km競歩で培ってきたスタミナに加え、スピードもとても重要になります。速いペースでも崩れないフォームをもう一度作っていく必要があります。夏のレースですから東京五輪の経験を生かし、さらに有効な暑熱対策も行い、万全な状態で勝負できるようにしていきたいです。世界陸上も夏開催で22年、23年と2回行われます。2年間で試行錯誤しながら2度目の五輪となるパリ五輪に向かって行きます。

一日一日の積み重ねが奇跡の7年間に

池田と川野はともに静岡県の高校出身で、出会いは高校2年時だった。高校では川野が勝ち続けたが、東洋大に入って池田が国際大会で活躍するようになった。一方の川野は50km競歩に挑戦することで新境地を開いた。高校時代は想像していなかった五輪ダブル入賞(メダル&入賞)だが、東洋大に入学後は五輪ダブル代表を成し遂げようと鼓舞し合ってきた。出会ってから7年で、2人は奇跡のような軌跡を描いてみせた。

――川野選手が6位になったあと、2人でどんな話をしたのでしょうか。

池田 50km競歩の翌日に会うことができましたが、41km過ぎに止まってしまったときの心境を、まず聞きました。川野のレースをテレビで見て自分のテンションも上がっていたので、そのテンションで話しかけましたね。あとは2人とも入賞でき、日本人トップだったことをすごく喜び合って。

――先ほど性格の違いが話に出ました。他にどんな違いがありますか。

池田 トレーニングではフィジカルに違いが出ることが多いです。学生時代前半は一緒に行って高め合う感じでしたが、その後は種目が違ってきましたし、体格や筋肉の付き方も違います。練習で生じる課題も違ってくるので、フィジカル・トレーニングで鍛える部分が違ってきました。練習量も種目の違いで異なりますし、五輪近づいてくると多い日と少ない日のメリハリのつけ方も違ってきました。

出会ってから7年。さまざまな流れや運が重なってともに歩み、お互いの存在が大きな刺激になっている(写真提供・旭化成陸上競技部)

川野 食事の量も練習に合わせて違いが出てきます。レースが近づくと50km競歩はエネルギーを貯めないといけないので、ご飯の量もおかずの品数も違ってきました。東洋大ではご飯250グラムを基準としていますが、500グラム食べるようにしました。レース中の給水もあるので、量を食べたり飲んだりするトレーニングも行いました。

池田 摂りすぎだ、というアドバイスもありましたが、川野は信念を貫きました。だからあのコンディションでも、最後までスタミナがもった。練習量は同じレースに出るときは月に数10kmの違いだと思いますが、川野が50kmに出るときは150kmくらい多く歩きます。

川野 そこまで違わないと思われるかもしれませんが、池田も20km選手の中ではスタミナ練習をしっかりと行っているからだと思います。そこもすごいところですが、ペースを変化させる練習は本当にすごい。1秒単位で変化させるペース感覚を身につけていて、それがレースにつながっています。

――高校2年で2人が出会ってから、7シーズン目で今回の結果を出しました。出会った頃のことなどを思い出したりするのですか。

池田 6年前の出会いや、そこからの7シーズンという見方に特別な思いはないんです。それより1年1年、極端に言えば一日一日の練習の積み重ねで、お互いを意識して高め合ってきたことが今につながっています。(ダブル入賞の要因の)一番は東洋大に一緒に入ることができて、今も同じ所属で、同じ瑞穂コーチの指導を受けられていることです。2人の出会いやその後のプロセスに、運という部分もあったとは思います。

川野 高2の出会いからお互いに高めたい強い気持ちがあったから、競歩の強豪大学である東洋大に2人とも進学し、その後の頑張りも続けられたのだと思います。池田と同じ道を選んでやっていく中で、瑞穂コーチをはじめ人との出会いが本当に大きかった。瑞穂コーチ、東洋大・酒井監督と出会ったことで、競技力、人間力を向上させられたんです。同じコーチから指導を受けることで、相乗効果が生じる環境で頑張ることができました。そこが一番だったと感じています。

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