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特集:第73回全日本大学バスケ選手権

新潟医療福祉大の守屋健次郎・壮次郎、共に戦ってきた双子が最後のインカレで見た景色

双子の守屋健二郎(左)と壮次郎は、小学生の時からずっと一緒に戦ってきた(撮影・全て小沼克年)

第73回 全日本大学選手権大会 1回戦

12月6日@国立代々木競技場第二体育館(東京)
新潟医療福祉大学 59-73 近畿大学

12月6日、バスケットボールのインカレが開幕し、大会初日は都内の3会場で男女1回戦が行われた。国立代々木競技場第二体育館では近畿大学と新潟医療福祉大学がオープニングゲームで激突。新潟医療福祉大は追い上げ及ばず、59-73で敗れはしたが、試合後に4年生のポイントガード・守屋壮次郎(能代工、現・能代科学技術)から出た言葉は「出し切った」だった。

前半の16点ビハインドから1点差まで詰め寄る

前半を終えて24-40。新潟医療福祉大は相手の高さだけでなく速さでも後手に回り、早々に大きなビハインドを背負った。しかし、第3クオーター(Q)に入ると流れが一気に変わる。リバウンドとルーズボールに対する執着心と、ディフェンスの意識をチームで徹底することで徐々にリズムを生み出すと、吉田韻希(4年、延岡学園)、水野颯士(4年、新潟商業)のアウトサイドシュートが冴えわたり猛追。この第3Q終了時点で45-52まで迫り、第4Q序盤、ついに1点差まで詰め寄った。

それでも、そこから近畿大が身長206cmのカロンジ パトリック(4年、東山)にボールを集めて落ち着きを取り戻す。新潟医療福祉大は果敢にリングへ向かうも、最後は59-73と再び引き離された。

大学4年目で初のインカレのコートに

前線からの守備や会場中に届くような大きな声を張って仲間を鼓舞し続けた守屋は、試合終了のブザーが鳴ると両手を腰に当て、ほんの数秒、天を仰いだ。

守屋壮次郎は初戦敗退に悔しさをにじませながらも、持てる力を出し切れたという思いがあった

「本当に出し切ったというか、自分たちがこの1年積み重ねてきたものを近畿大相手にぶつけられたと思います。悔しくないと言ったら噓(うそ)ですけど、本当にスッキリした気持ちで終われました」

チームとしては3年ぶりのインカレ出場。守屋が1年の時も出場を果たしているが、当時は応援席にいたという。ラストイヤーで大学バスケ最高峰の舞台に立った守屋は、「バスケットの聖地でもある代々木第二でやれたことはすごく光栄というか特別でした。大学生活最後にチームメートにいい思いをさせてもらいました」と感謝を述べた。

守屋壮次郎(右端)はこの仲間たちとインカレの舞台で戦えたことに、感謝の気持ちでいっぱいだった

双子の兄・健次郎と歩んだバスケ人生

守屋には、瓜二つの双子の兄がいる。その兄・健次郎(能代工、現・能代科学技術)も新潟医療福祉大に所属しているが、選手ではなく学生コーチという立場でチームを支えてきた存在だ。この日の試合前のシューティングでは、「声をかけやすいので手伝ってもらってます」と、弟が兄にパス出しやディフェンスをお願いしている場面もあった。

壮次郎は言う。「(チームが)分かれるとしたら大学かなとも思っていたんですけど、仲もいいですし、そのまま2人で一緒に頑張ろうということになりました。地方の大学からインカレに出て、1つでも勝ちたいという思いが2人ともあったので。まあ、(健次郎は)学生コーチとしてすごく大変な立場ですけど、本当に支えてもらえましたし、一緒の大学に来て良かったなと思ってます」

小学校3年から揃(そろ)ってバスケを始め、そこから小・中・高・大と、今日のこの日までずっと同じチームで活動してきた。しかしこれからは、2人は初めて別々の道を歩んでいく。壮次郎は大学での4年間を区切りに、バスケ中心だった生活から離れる。

これからは別々の道に進んでも、これからも互いに支え合って歩んでいく

「本当に楽しかったですし、バスケットがきっかけでこうしたかけがえのない仲間たちに出会えました。なんていうか……、バスケットボールに感謝、じゃないですけど、本当に今までやってきてよかったなと思います」

この先、例えどんな壁にぶち当たろうとも、壮次郎にはかけがえのない仲間と、兄・健次郎がいる。

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