陸上・駅伝

特集:箱根駅伝×東京五輪

法政大学×坂東悠汰&青木涼真 箱根駅伝を目指し土台をつくり、卒業後に大きく飛躍

青木(左)と坂東は実業団で急成長し、五輪代表をつかんだ。法大時代にはその下地があった(ともに撮影・池田良)

今年夏に行われた東京五輪には、箱根駅伝で活躍したランナーが多数出場しました。箱根を経たランナーたちは、その経験をどうつなげていったのか。各校指導者への取材から、選手の成長の軌跡とチームに与えた影響をたどる特集「箱根駅伝×東京五輪」。6回集中掲載の4回目は、法政大からともに実業団に進み、5000m日本代表になった坂東悠汰(25、富士通)と3000m障害(SC)日本代表になった青木涼真(24、Honda)について、坪田智夫監督にお伺いしました。

学生時代の坂東にスピードと「気の強さ」

法大は箱根駅伝出場82回の伝統校だが、各駅伝の最高順位は出雲駅伝が7位、全日本大学駅伝が5位、箱根駅伝が3位にとどまっている。伝統校だが優勝争いをする強豪校ではない。それを反映してか、トラック&フィールドでは数多の代表を輩出しているが、長距離種目では16年リオ五輪まで五輪代表は1人も誕生していなかった。

それが東京五輪では5000mで坂東、3000mSCで青木と一気に2人が代表入りした。2人の高校時代の5000m自己記録は坂東が14分23秒71、青木は14分31秒99。青木が3000mSCでインターハイ8位に入賞していたが、2人とも全国トップというわけではなかった。

しかし法大在学中に坂東は、3年時の関東インカレ5000m3位、同10000m4位、日本インカレ5000m4位まで成長した。留学生選手が上位にいたので、日本人の順位では2~3番目。トラックでは五輪選手に成長する片鱗(へんりん)を見せていた。

ところが箱根駅伝は結果を残せなかった。2年時に1区を区間9位で走ったが、1年時の4区、3~4年時の2区はすべてふた桁順位。4年時のタイムは1時間09分01秒で、法大選手3人目の1時間8分台にも届かなかった。2区の法大記録は坪田智夫監督が00年の区間賞獲得時に出した1時間08分16秒で、2番目は徳本一善現駿河台大監督が01年に出した1時間08分59秒である。

坂東の4年時の箱根は2区区間12位。長い距離は決して得意ではなかった(撮影・大島祐介)

坪田監督は学生時代の坂東を次のように見ている。「20kmの力を引き上げることができませんでした。しかしスピードは当時からありましたし、トップに行くための気の強さ、我の強さも持っていました。1年目は練習で離れることもありましたが、憤りを自分に向ける選手でしたね。反対に外に理由を作って言い訳をする選手は強くなりません。強くなるには身体のポテンシャルの高さも必要ですが、それよりも大事なのは気持ち的な要素です。気持ちの前提がないと、体が強くても伸びません」

スタミナ的な体力は高くなかったが、体の強さがあったのでスピードを出せた。だがスピード練習は、そこまでしていなかったという。

「法政はインカレ前には個別メニューで高い設定タイムでも練習しますが、年間を通じて箱根を視野にスタミナ作りの練習が中心になります。上のレベルの選手に合わせたいのですが、中間層に合わせて練習を組まざるを得ない。坂東もスピードをやったら箱根ももう少し走れたかもしれませんが、そこは卒業後に頑張ってほしいと思っていました」

坂東はその期待通りの成長を見せた。富士通入社1年目(19年)の日本選手権10000mは、村山紘太(旭化成、現GMOインターネットグループ)、相澤晃(東洋大4年、現旭化成)と、当時の日本記録保持者と現在の日本記録保持者に先着して2位。2年目の日本選手権は5000mで優勝し、13分18秒49の日本歴代7位(当時、現歴代9位)まで記録を伸ばした。そして21年は日本選手権5000mで3位に入り、ワールドランキングで東京五輪代表を決めた。7月には1500mで3分37秒99まで出している。日本歴代順位で比較すれば、1500mは歴代6位で5000mを上回っている。

坂東は実業団1年目5月の日本選手権10000mで日本人2位の快走(撮影・安本夏望)

学生時代は年間を通じて箱根駅伝を意識することで、余裕を持ちながらスタミナ養成を図った。おそらくそれが土台となり、卒業後にスピードを研くことでトラックの五輪代表まで成長することができた。

箱根駅伝と3000mSCのサイクルが上手く回った青木

坪田監督は坂東に関しては、卒業後に代表まで届くとイメージしていた。だが青木に関しては「驚きです。彼の4年間から、実業団2年目で五輪選手になることはイメージできなかった」と正直に話す。

青木は生命科学部で、陸上競技部が活動する八王子とは離れたキャンパスで授業を受けていた。授業のスケジュールでチームの練習に合流できるのは週に2日くらい。当初は、卒業後に競技を続ける気持ちはなかったが、「2年時の関東インカレ3000m障害に優勝して実業団入りを考え始めました」(青木)という。

坪田監督は「3000mSCと箱根駅伝のサイクルがうまく回った」と見ている。5月開催の関東インカレと1月の箱根駅伝で、青木は以下の成績を残している。

  関東インカレ 箱根駅伝
1年:3000mSC6位 8区区間9位
2年:3000mSC1位 5区区間賞(区間新)
3年:3000mSC1位 5区区間3位(区間新)
4年:3000mSC2位 5区区間4位

3000mSCのトップ選手が箱根駅伝を必ず走れるかというと、実は苦戦することが多い。坪田監督もその点を指摘したが、青木は両立を成し遂げた。法大では坪田監督以前に成田道彦前監督が、2区の区間賞を獲得している(78年大会で瀬古利彦を破っての区間賞)が、成田前監督も3000mSCの選手だった。

19年関東インカレ1部3000mSC、青木は東海大の阪口に先着され悔しさをあらわにした(撮影・藤井みさ)

確かに、歴代の5区区間賞選手で3000mSCを走っている選手もいる。障害を跳ぶ動きが山登りの動きに通じる部分がないとは言い切れない。だがそれよりも、レースに合わせる青木の調整能力が大きかった。「練習を1人で組み立てることができる選手で、試合で外さなかった」(坪田監督)という。

青木はHondaに入社して1年目に3000mSCの自己記録を8分25秒70に伸ばし、2年目6月の日本選手権で8分20秒70と標準記録を突破。東京五輪代表入りを決めた。9月には1500mで3分40秒94、5000mでも13分21秒81の自己新を出した。坂東ほどではないが1500mは今季日本13位、5000mは今季4位の好タイムである。

箱根駅伝のスタミナ練習を中心に3000mSCも積極的に行ったことで、卒業後に飛躍する土台が学生時代にできていた。坪田監督は「学生時代の青木にスピードはありませんでしたが、小川(智)監督に聞くと今、Hondaでも一、二を争うスピードがあるようです」とうれしそうに話す。

卒業後にノビシロを大きく残すのが、法大の特徴と言えるだろう。

ジョグの位置づけなど練習の目的を考えられた2人

ここまで紹介してきたように、法大では坂東と青木に個別メニューを組んだわけではなく、他の選手と同じスタイルで育成した。高校3年時の5000mのタイムも坂東で全国92位、青木は185位だった。「法大に入ってくる選手に世界を目指そうと言ったら、入学後にやることとピントがずれてきます」と坪田監督。

高校のトップ選手がなかなかスカウトできない法大だが、一匹狼的に高校で強かった選手が入学する傾向はある。坪田監督自身が神戸甲北高出身で、兵庫県にある全国的高校駅伝名門の報徳学園高、西脇工高、須磨学園高ではなかった。坂東も兵庫県で淡路島の洲本高、青木は埼玉県の春日部高出身である。

坂東は大学最後のレースとなったクロカン日本選手権で優勝。笑顔でガッツポーズ(撮影・藤井みさ)

「高校でも指導してくださる先生がいらっしゃいましたが、力的には2人ともチームの中で抜き出た存在でした。自分で練習を組み立てる経験があったのだと思います。入学後も、特に青木は授業が別のキャンパスでしたから、1人で練習の流れを考えて的確な判断をできるようになりました。フリーのジョグの日でも、前の日の練習とその疲れや、次の日の練習に向けてどういう状態を作っていくかを考えて走っていた。チームで同じ練習をやっていても、2人とも自分を作ることができる選手でしたね。そこができると強豪校でなくても強くなるし、大学でも成長して、実業団でも伸びていきます」

選手自身が考えるのはジョグの部分が大きいが、法大ではポイント練習のタイム設定も、個人の重要な試合前は選手が考える。坪田監督はタイムを記入しないで選手にメニューを渡し、「どのくらいのタイムでやろうと考えている?」と問いかける。監督と選手で話し合って微調整をしていくが、坂東と青木は坪田監督の考えと違いがあまりなかったという。そこは個別練習と言える部分で、卒業後に選手が練習を考える下地も作っていたのである。

箱根駅伝は坂東&青木時代の6位を上回る5位が目標

最近の箱根駅伝の法大成績では、坂東3年&青木2年の18年大会、その翌年の19年大会で連続6位になったのが最高成績だ。18年大会では山登りの5区で青木が区間賞、14位から9人抜きの快走で往路を5位でフィニッシュした。山下りの6区で佐藤敏也(2年、現トヨタ自動車)が区間3位、9区の磯田和也(4年)も区間4位と好走し、総合6位でフィニッシュした。

19年大会は1区の佐藤が区間5位でスタートしたが、4区では12位まで後退していた。それを5区の青木が7人抜きで前年と同じ往路5位で芦ノ湖にフィニッシュ。復路は全員が区間4~8位と区間上位で走り続け2年連続総合6位で大手町に戻ってきた。6区の坪井慧(3年)は現在コニカミノルタ、7区の土井大輔(4年)は黒崎播磨、8区の鎌田航生(1年、現4年、法政二)は前回箱根駅伝1区区間賞、9区の大畑和真(4年)は安川電機と、その後も競技を頑張っている。

その頃の法大は、五輪選手に成長する2人が在籍したことでチームが活性化した。

19年の箱根駅伝では5区3位(区間新)。チームを12位から5位に押し上げ、シード権獲得に貢献した(撮影・松嵜未来)

「坂東も青木も我の強さを持っていましたが、チームと一緒の練習が嫌だ、という態度はいっさいなく、みんなと一緒に強くなるんだ、という気持ちを見せてくれました。人間力があったんだと思います。主力がジョグを丁寧にしていて、それを他の選手も見て参考にしていた。だからチームが強くなって、箱根のシードをポンポン取れたのだと思います」

今季のチームも鎌田が日本学生ハーフマラソン優勝、関東インカレ10000m7位など学生トップ選手に定着した。全日本大学駅伝8区区間7位の河田太一平(3年、韮山)、同駅伝1区区間5位の内田隼人(3年、法政二)と駅伝で実績のある2人に加え、松本康汰(3年、愛知学院愛知)と中園慎太朗(3年、八千代松陰)が11月に10000mで28分台をマークした。予選会チーム内2位のルーキー小泉樹(1年、國學院久我山)も成長株だ。2回の総合6位と同じように、復路で区間上位を連発しそうな雰囲気がある。

そして学生戦力が充実し始めたタイミングでOB2人が東京五輪に出場した。「それで学生たちがガラッと変わったということはありませんが、鎌田などは青木に面倒を見てもらっていた選手なので、心に刺さっていると思います。五輪代表2人も法政の環境で育ちました。食事やケアなど特別な環境でなくても、コツコツ積み上げれば在学中に学生トップレベルに成長できた。学生も目標を持てば箱根は難しくない、と感じていると思います。そういう意味では2人の五輪出場に勇気をもらいましたね」

成田前監督が持っていた3000mSCの法大記録は青木が破ったが、坪田監督の箱根駅伝2区の法大記録を坂東は破ることができなかった。その記録に今回、鎌田が挑戦する。坪田監督は「最低でも1時間7分台前半を」と期待している。

鎌田(左)は前回、1区区間賞。今年は2区で各校のエースと対決する(撮影・北川直樹)

ちなみにニューイヤー駅伝5区の区間記録は、コニカミノルタ時代の坪田監督が出したものだが、青木がその更新に意欲を見せている。向かい風が強い区間なので、坪田監督のときと同じように追い風が吹いたとき、と条件はつくのだが。坂東と青木に限らず、前述の法大OB実業団選手が元日のニューイヤー駅伝で活躍すれば、箱根駅伝で学生たちが目標とする「5位以内」の追い風となる。

法大にとって五輪長距離選手が誕生して初めて迎える箱根駅伝。現役学生が坂東&青木時代の6位を上回れば、正月三が日は“駅伝の法大"として強烈なインパクトを残してくれるだろう。

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