帝京大学のNo.8奥井章仁、4大会ぶりの頂点へ「厳しい試合で逃げずにプレーする」
ラグビーの第58回全国大学選手権で帝京大学が4大会ぶりの王座復帰を目指す。前人未到の9連覇以来、節目の10度目の大学日本一へ攻守に欠かせないのがNo.8奥井章仁(あきと、2年、大阪桐蔭)だ。1月9日の決勝(午後1時15分キックオフ@東京・国立競技場)で3大会ぶり14度目の優勝を狙う明治大学と顔を合わせる。
攻守に出色の動き
今季の奥井はけがで欠場した関東対抗戦の早稲田大戦以外は全て先発でフル出場してきた。全国大学選手権に入り、昨年暮れの準々決勝から3週連続の試合。「大学側、トレーナーさんのサポートがいろいろあってけがも全然ないですし、体調もしっかりなっている」と万全の状態で決勝に臨む。
帝京大で2年目を迎え、攻撃に絡む場面が増えた。「毎プレー、毎プレー、必死ですが、1年生の時と違うのがボールを持つ機会が多くなった。いろいろチャンレンジできることも多い。自分からもらいにいって、持ち味を出せているのかなと思います」。厳しい防御は健在だ。苦しんだ準決勝の京都産業大戦、後半にみせた自陣ゴール前でのトライを防ぐタックルは出色だった。
ソフトボールと二刀流
大阪府枚方市出身、父が楕円(だえん)球に親しんだこともあり、小学1年生から枚方ラグビースクールに通った。同時に一つ上の姉がはじめたソフトボールについていき、小学生の間は両方やり続けた。「土曜日はソフトボールの試合で、日曜日はラグビーの試合みたいな感じでやっていました。最終的にはピッチャーでしたけど、結構、ラグビーよりも得意でした」。のちに高校野球でも強豪の大阪桐蔭高に進むが、「野球でも行けたのでは?」とふると、「いやー、ラグビーでよかったです」と笑顔で返ってきた。
中学校に進むとき野球にするかラグビーにするか悩んだが、ラグビースクール同期の何松健太郎(東海大2年)から一緒にやろうと誘われ枚方市立楠葉中のラグビー部に入った。高校は地元の強豪、東海大大阪仰星ではなく大東市の大阪桐蔭を選んだ。「自分のプレースタイルに合っていた。1年生から試合にはずっと出させてもらいました」。全国大会には3年連続で出場し、1年で準優勝、2年でチーム初の全国制覇に貢献、主将になった3年生の時は8強まで進んだ。
2年の時から高校日本代表に選ばれ、3年生の時には飛び級でU20日本代表になった。「海外の選手とやるのもすごく経験になったが、代表という環境の中でラグビーをやり、考え方を変えさせてもらう機会になった」と言う。例えば高校3年の時は体重は今より5kg以上重い106~108kgあったが、代表コーチから「バックローで勝負したいなら、体を絞った方がいい」とアドバイスを受け、単に体重を落とすだけでなくFWに必要な体作りを心がけるようになった。
試合に出られない経験が成長促す
「結構、家におりたい派なので、最初あまり関東(の大学)は考えてなかった。いろんな人と話し、関東でラグビーをした方が絶対自分のためになると言われた」こともあり帝京大へ進んだ。大阪桐蔭高から一緒に進んだフッカーの江良颯と早速レギュラーの座をつかんだが、関東対抗戦の慶應義塾大戦の前にけがをした。だましだましやっていたが調子は戻らない。準決勝で敗れた前回の全国大学選手権2試合は出場機会がなかった。
「人生で初めてでしたね。自分が試合に出ず、チームのシーズンが終わるというのは。小学校から出させて頂いてましたし、中学校も出てました。高校も3年間出させてもらっていて、初めての経験やったんで。感情的にも何か複雑で。あの時はただ、グラウンドの外で見ていただけでした」
ラグビーのエリート街道を歩んできた。試合に出るという当たり前のことが、そうではなかった。「責任感とういのが2年生になって出てきたと自分でも思っています」。真紅のジャージーに袖を通せずに卒業する部員も多い。チームを代表して試合に出る意味などを考えるようになった。「キャプテンの細木(康太郎)さん、バイスキャプテンの押川(敦治)さん、上山(黎哉)さんと本当にいいチーム作りをしてくれている。だからこそ、僕は自由にプレーさせてもらっている。言いたいこと発言できたり、やりたいことやらせてもらったり。リーダー陣に感謝しています」。9連覇の偉業を知る選手はいなくなったが、チームは最高の雰囲気で最後の試合に向かう。
関東対抗戦の明大戦(11月20日)は14-7(前半14-0)の接戦だった。「本当に厳しい試合になると思っている。そこを逃げずにどれだけタフにプレーできるかが鍵になると思っています」。先頭に立って体を張りにいく。