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特集:駆け抜けた4years.2022

坂本聖芽、けがで終わった最後のインカレ 東海大で得た武器を名古屋Dでの爆発力に

坂本はスター軍団・東海大を支えてきた1人だった(写真提供・東海大学男子バスケットボール部)

坂本聖芽(せいが、4年、中部大第一)は東海大学から名古屋ダイヤモンドドルフィンズへ。今はまだリハビリの毎日だが、2021-22シーズンから戦うことを諦めていない。ただ胸にはずっと悔しさが残っている。昨年12月のインカレ初戦でけがをしたことよりも、大学4年間をともに戦った仲間と一緒に最後のインカレを戦えなかったことへの悔しさ。「やっぱり割り切れるものではないですね」。それでもこう話す。「大学4年間は本当に東海でしか味わえないことばかりでした」

半強制でバスケを始め、バスケ中心の生活へ

群馬で生まれ育った坂本は小1の時にバスケを始めたが、その時はバスケ好きの父の言葉で半強制的だったという。「初めは基礎メニューばっかりでつまらないなと思ったし、僕自身じっとしていられないタイプだったんで、楽しくないなと思ってしまって……」。しかしシュートが決まる度にほめてくれる指導の中で、次第に「バスケって楽しいな」という気持ちに変わっていった。

大石中学校(埼玉)ではバスケ部に入り、放課後は埼玉のバスケクラブ「ガウチョーズ」へ。どちらかだけにするという選択肢は坂本にはなく、どちらでも日本一になりたいとバスケにのめり込み、中3の時にガウチョーズは全国ジュニア選手権で優勝、坂本はMVPに輝いている。ちなみに父とは小学生の時は1on1をすることもあったが、中学生になってからは父は応援する側に回った。「小学生相手にパワーで押してきて一度も勝てず、勝ち逃げされました」と坂本は笑いながら明かす。

高校でもバスケ強豪校の中部大学第一高校(愛知)に進学。「親離れしたい」という思いから群馬を飛び出した坂本にとって、初めての寮生活は苦ではなかった。1年目にはスタメン入りを果たし、ウインターカップにも出場。しかし会場の熱量に圧倒され、から回ってしまった坂本はスタメンを外され、控えに回された。中部大第一は4位という輝かしい結果を残したが、坂本にとっては苦い記憶として刻まれている。

2年目のウインターカップは2回戦で福岡第一高校に80-84で敗退。エースとして挑んだ最後のウインターカップでも準々決勝で福岡第一とあたり、71-74で敗れた。ともに第4クオーターで逆転される展開ではあったが、「チームを勝たせることはできなかったけど、特に2年生の時はインパクトを残せたかな」と振り返る。常田健コーチは自主性を重んじた指導をしてくれ、坂本は朝練前の朝練や居残り練習などを自発的にしてきた。「うまくなりたいなら自分でやるしかない」。高校の時からそう思えたことが、後の大学生活にも生きていく。

強豪・東海大で試合に出られない日々、響いた父の言葉

東海大に進むことに迷いはなかった。高校生の時に東海大の試合動画を初めて見て、「こんなに激しいディフェンスは見たことがありませんでした。ルーズボールへのあたりとか、徹底したチェックとか。もう、東海一択でしたね」。また、陸川章ヘッドコーチ(HC)から「ベンドラメにプレースタイルが似ているな」と言われた言葉にも胸が高鳴った。東海大の先輩でもあるベンドラメ礼生(サンロッカーズ渋谷)は当時から坂本の憧れでもあり、公私ともにアグレッシブな姿に今も刺激を受けている。

坂本は東海大のディフェンスに魅せられて進学を決めた(写真提供・東海大学男子バスケットボール部)

ただ東海大は各校のエースがそろう強豪校。小さい頃からチームの中心選手としてプレーしてきた自分も、東海大で活躍できるかは分からない。実際、大倉颯太(4年、北陸学院)や八村阿蓮(4年、明成/現・仙台大明成)などスター選手が同じ東海大に進むと知った時は不安も感じたが、常田コーチの「結局は自分次第だよ」という言葉に覚悟を決めた。

それでもやはりきつかった。「1年目はいろいろなことがありました。試合に出られない、というよりもまずベンチに入れない。同期も1年生の時から活躍してて焦りもあったし、今までにない感覚。悩みましたね」。そんな時、父が力になってくれ、ことあるごとにLINEや電話で励ましてくれた。「『他人を気にするな』『自分を信じろ』とか。いつも言われていることだけど、親に言われたら頑張れるなというか、支えてもらいました」。入学時からAチームには入っていたが最後の4チーム目。秋のリーグ戦ではベンチに入れたが、インカレでは5年ぶり5度目の優勝を応援席から見ていた。同期の活躍を見て、「自分ももっと頑張らないといけないな」と気持ちを引き締めた。

2年生の時には少しずつ試合に出られるようになった。「がむしゃらにアグレッシブにやろう」と試合に臨み、新人戦では2年ぶり6度目の優勝を果たす。2連覇がかかったインカレはベスト8で終わったが、坂本自身は段階を踏んで成長できているという実感があった。

3年生の時には特別指定選手として名古屋Dでプレーした(写真提供・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)

高校時代はエースとして誰よりも点をとるために8:2でオフェンスに重きを置いてきたが、大学では6:4とディフェンスへの意識を高め、そのための体作りにも取り組んできた。苦しい時こそ、東海大のアイデンティティーであるディフェンスで流れを変える。派手ではないが、東海大のディフェンスに憧れてきた自分だからこそ、そこだけは譲れない。3年生になった2020年は新型コロナウイルスの影響で様々な大会が中止になったが、試合に飢えていた東海大の選手たちは津屋一球主将(現・三遠ネオフェニックス)のもと、公式戦無敗で2年ぶり6度目のインカレ優勝を成し遂げた。控えメンバーとして持ち前のスピードと運動量でチームを支えた坂本の姿がそこにはあった。

インカレ連覇を胸にラストイヤーへ

インカレ優勝を先輩たちから引き継いだ坂本は、「ここからまた強くならないと絶対インカレ連覇はできない」と考え、最上級生としてチームの雰囲気作りに心を砕いた。後輩に積極的に声をかけ、練習中に雰囲気が悪い時はハドルを組む。自主練にも一層力を入れた。

特に同期の佐土原遼(4年、東海大相模)は同じ控え選手ということもあり、練習でもコミュニケーションを取る機会が多かったという。「練習の時から闘争心というか、アツい選手で、同じセカンドで出ていて本当に頼りになりましたし、2人で引っ張っていこうと話していました」と坂本は言い、「本当に心強いです」と加えた。高校までチームの中心メンバーとしてスタメンに出ていた坂本だが、控えとして試合に出ることでチームの強度を高められるのであれば、「ぶっちゃけスタメンも控えも変わらない」と自分の果たすべき役割を全うすると心に誓った。

春のトーナメントはけがで出られなかった大倉の思いも背負い、日本大学との決勝に挑んだが、57-61で日大に15年ぶり11度目の優勝を許した。続くリーグ戦とインカレでの雪辱を胸に、山形合宿へ。坂本自身は合宿中にけがをしてしまい、全メニューを消化できなかったが、「この合宿をいい形で終えるとリーグにもいい入りができるんですが、そばで見ていても分かるほど、チーム力が高まったいい合宿でした」と坂本。その言葉通り、リーグ戦は3年ぶり6度目の優勝を成し遂げた。けが明けだった坂本はプレータイムの制限こそあったが、最後のインカレに向けて最高の状態に仕上げられていた。

けがも癒え、最後のインカレには万全の状態で挑んだ(中央が坂本、撮影・松永早弥香)

今度は自分たちが後輩たちにインカレ連覇を残す。その思いを胸に挑んだ松山大学との1回戦、坂本は試合中に負傷。「大丈夫そうだな」と思いながらベンチに戻ったが、時間が経つにつれて足をつくのも痛くなり、トレーナーから「もしかしたら折れているかもしれない」と言われて頭が真っ白になった。会場を抜け出し病院へ。右足の第5中足骨骨折という診断に言葉を失った。「本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。何で今なんだろう。1年間やってきたメンバーだったので、自分が出てチームを勝たせたかったし、優勝しているイメージも湧いていたのに……」

インカレは開幕したばかり。少しでも力になれたらと、坂本は松葉杖でチームメートのそばにいた。そんな坂本をチームメートは坂本の背番号「60」で出迎えた。60番のユニホームでアップをし、バッシュに「60」を記し、選手入場時にも60番のユニホームを掲げた。「後輩も同期もみんなの気持ちが伝わって、本当にうれしかったです」。白鷗大学との決勝、坂本はユニホームを着てベンチに入り、松葉杖をつきながらハドルに加わった。しかし結果は58-63での逆転負け。自分が出ていたら……。そんな思いが何度も胸にこみ上げてきたが、坂本は決勝直後の記者会見で「ここまで連れてきてくれた仲間には感謝しかない。このインカレの舞台に立てて本当に良かったです」と口にした。

チームメートは坂本の「60」を背負ってインカレに挑んだ(写真提供・CSPark)
最後の最後まで坂本(左端)も一緒に戦った(写真提供・CSPark)

「おかえり」と迎えられた名古屋Dで活躍を誓う

最高の形で大学バスケを締めくくることはできなかった。陸川HCにインカレ連覇をプレゼントできなかった悔しさもある。だが「高校の時にはここまでなれると思っていなかった」と言えるほど、ディフェンスを自分の武器にすることができた。「リバウンドやルーズボールは本当に誰よりも意識が高いというか、練習中から意識していたことなので、それは身についたのかなと思う。でももっとできると思っているんですけどね」

最後のインカレを終え、坂本は3年生の時に特別指定選手としてプレーした名古屋ダイヤモンドドルフィンズに帰ってきた。「みんな『おかえり』などと声をかけてくれて、自分のことを忘れていないんだなと思えてうれしかったです。練習中は本当にバチバチやり合うけど、一度コートを出ると明るい雰囲気で居心地がいいんです」。チームの強みであるトランジションオフェンスにも相性の良さを感じ、大学で鍛えたディフェンスも加えたアグレッシブさで、見ている人がワクワクするようなプレーをBリーグの舞台で誓う。

一日も早く復帰し、Bリーグの舞台でかつての仲間との戦いを待ちわびている(写真提供・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)

今度は大倉や八村、佐土原たち同期もライバルとなるが、「お互いに成長した姿をまたプロの舞台で見せられたらいいな」とコートの上で再会できる日を心待ちにしている。

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