埼玉医科大AC・室伏杏花里選手 東洋大で杜の都入賞、初のクイーンズを経てエースへ
今回の「M高史の陸上まるかじり」は埼玉医科大学グループアスリートクラブ女子駅伝部の室伏杏花里選手(25)のお話です。白鷗大足利高校(栃木)では全国高校駅伝(都大路)4区区間2位。東洋大学では全日本大学女子駅伝(杜の都駅伝)8位入賞を引き寄せました。埼玉医科大学グループで昨年のクイーンズ駅伝初出場にも貢献。女子の実業団では珍しい医療関係のチームとしても注目の埼玉医科大学グループで、チームの成長とともに進化し続ける室伏選手にお話をうかがいました。
個人で全中出場も駅伝は補欠に
栃木県出身の室伏選手。小学校では4年間バレーボールをしていましたが、学校のマラソン大会で優勝したこともあって中学から陸上部へ。「一緒の学年に良きライバルがいました。2年生の時にその子が全中を決めて、自分は出られなかったので、悔しかったです。全中出たい!と思いました」。悔しさをバネに3年生で全中出場を決めました。初の全国の舞台では「圧倒されました。予選でベストを更新して組1位通過だったのですが、準決勝では疲れてしまいました」と難しさも感じました。
3年生の時にチームは全国中学駅伝出場を決めましたが、室伏選手は貧血によりメンバーから外れてしまいました。「応援に来てくださった方たちへのお茶出しなどをしていましたね。悔しいなぁと思っていました」と、個人では全中出場を果たしたものの駅伝では悔しさも味わった中学時代でした。
都大路初出場で区間2位の好走
高校は白鷗大足利高校へ。高校から寮生活となりました。「同じ部屋にバスケ、バレー、テニスの先輩と4人での生活でした。先輩方は優しかったですが、生活の時間帯や流れが違ったので最初の1年目はなかなか慣れなかったですね」。その後は寮生活にも慣れて、800mや1500mを中心に取り組んできました。
高校時代、印象に残っているのは高3の北関東総体800m。6位までがインターハイに出場できる中、室伏選手は決勝進出をかけて予選に挑みました。「3組あって2着プラス2名が決勝に進めるのですが、1組目を走って2分13秒で5着だったんです。その時点でもう決勝に進めないのが分かって、そのあと2組、3組を見ていたら1着が15秒とか16秒で、すごく悔しかったですね」。800mという競技の特性上、レース展開でタイムも変わってくるとはいえ、悔しい北関東総体となりました。
その悔しさを駅伝できっちりと晴らし、この年、白鷗大足利高校の女子は初の都大路を決めました。念願の都大路の舞台では4区を任され、初出場ながら区間2位の好走! 3000mの高校時代のベストが9分52秒37だった室伏選手ですが、4区の3kmではやや下り基調のコースとはいえ、9分28秒で走破! 「3000mは苦手意識がありましたが、都大路では覚醒しましたね(笑)。すごく楽しかったです!」。13位でもらった襷(たすき)を5人抜いて8位まで押し上げる走りは、チームメートもびっくりの快走でした。
「高校3年間、寮生活を経験して、両親もすごく応援してくれてとても感謝しています。また、顧問の先生の指導にも信頼して練習についていけました」。恵まれていたと話す高校3年間となりました。
東洋大で杜の都入賞に貢献
高校卒業後は東洋大学に。「大学は4学年あるという新鮮さを感じました(笑)。大学時代すごく楽しかったです!」という学生生活のスタートとなりました。
永井聡監督のご指導の下、東洋大では1年目から駅伝のメンバーに。杜の都駅伝では2区(5.6km)を任されました(現在は距離変更で2区は3.9km)。「自分の中で3kmが苦手と感じていた中、いきなり5.6kmで大丈夫かなと思っていたのですが、『大丈夫だよ!』と先輩が声をかけてくれたので不安を気にせずに走れました。それをきっかけに5000mも挑戦したいと思えましたし、今となっては5000mが好きになりました(笑)」。800m、1500mが得意だった高校時代から長い距離にも徐々に対応していきました。
大学4年間で特に印象に残っているのは2年生の杜の都駅伝と言います。「チームの目標としていた8位入賞を達成して、感動しました。アンカーの1年生(山口いずみ選手)が見えてカーブを曲がってきた時に、みんなで声が上がって、あの瞬間は忘れられないですね!」。9位の関西大学とは3秒差という最後の最後まで分からない展開を制しての8位入賞となりました。
東洋大学の魅力についてうかがうと「各自練習を大事にすることです。自分のジョグの時間やプラスアルファを大切にしていたことは、今にも活(い)きています」。M高史も室伏選手の学生時代に東洋大学さんの練習にうかがったことがありますが、全体で行うポイント練習の後に自主的に追加で走る選手が何人もいて、とてもいい雰囲気で練習されていたのが印象的でした。
また、室伏選手が学んでいた食環境科学部では「白衣を着て実験などしていました。豚レバーの水分を調べたり、顕微鏡を覗(のぞ)いたりしていました」と理系の勉強もしていたそうです。
「練習や寮生活で仲間と過ごす時間は楽しかったです。今でも連絡をとっています。私は貧血もちで中学、高校と貧血で走れない時期があったのですが、大学に入って管理栄養士さんが食事を作ってくださるようになり、食事で貧血改善もできて、競技に打ち込めたのも大きかったです」と鉄紺のユニホームで仲間と熱く過ごした4years.を振り返りました。
クイーンズ駅伝初出場への道のり
大学卒業後は埼玉医科大学グループアスリートクラブ女子駅伝部へ。「社会人になって時間の使い方が変わりました。朝練をして、仕事をして、練習をする。最初は慣れなかったです」。環境にも徐々に慣れていき、競技面ではクイーンズ駅伝出場がチームで一番の目標となりました。
プリンセス駅伝では1年目にアンカー。2年目はスタートの1区を任されましたが、「(1区)区間ビリでした。大学の時にも1区でビリを経験していたので落ち込みました。ただ、私は切り替えが早い方で、ずっと同じことで悩んでいることがあまりないです」。悔しい結果も持ち前の切り替えの早さで次の目標に向かっていきました。
3年目はプリンセス駅伝の最長区間である3区(10.7km)に出場。「ようやくチームでクイーンズ駅伝に出場できました。自分自身も少しずつですが成長できているのかなと思います」。チームとしては19位となり、念願のクイーンズ駅伝出場を決めました。
迎えたクイーンズ駅伝では後半の勝負所となる5区(10.0km)に登場。「チームとしても(プリンセス駅伝で)下から2番目という成績で出場となりましたし、5区は強い選手しかいなくて緊張もありました。すごく難しいコースだったのですが、みんなが一生懸命つないで持ってきてくれた襷ですし、『初めての出場を楽しんで走りな』と送り出してくれたので、楽しもうと思ってスタートしました。結果は苦しい走りになってしまったのですが、この経験を無駄にしないように次につなげたいと思います」。区間26位と納得のいく走りではなかったそうですが、駅伝に向けてジョグの長さを変えたり、10km区間用の練習になったりと、心身の準備をして挑んだクイーンズ駅伝デビューとなりました。
更に今年2月13日に行われた全日本実業団ハーフマラソンでは、初ハーフで1時間12分35秒をマーク。「雨で寒い中でしたが、思っていたより走れたかなと思います。3分30秒切りのペースで1時間13分30秒を目標にしていました。練習の一環で3分30秒で押していければと思っていたので、1分ほどいいタイムで走りきれました」。設定していたタイムを上回る走り! スタミナの強化やロードへの適応力も発揮されました。
競技で進化し続けるために気分転換や休養も大事な要素。練習や仕事以外のオフの時間、以前は出かけることも好きだったそうですが、「コロナ禍ではあまり外出もできないので、動画鑑賞ですね。今は韓国ドラマにハマっています(笑)」としっかりリフレッシュしてまた競技に打ち込むことができています。
今後の目標については、「昨年、クイーンズ駅伝に初出場できましたが、出ただけで終わってしまいました。クイーンズ駅伝に出場して戦えるようになりたいです。また個人でも5000mの自己記録(16分16秒47)更新や10000mをトラックでまだ走ったことがないので挑戦していきたいです!」と更なる飛躍を誓います!
昨年、クイーンズ駅伝初出場を決めた埼玉医科大グループアスリートクラブ女子駅伝部。若きチームを走りで牽引(けんいん)し、チームとともに現状打破し続ける室伏杏花里選手に注目ですね!