宇部鴻城高・江本嵩至顧問、教え子・山野力の姿に感じた喜び 挑み続けた城西大時代
今回の「M高史の陸上まるかじり」は江本嵩至さん(34)のお話です。城西大学では箱根駅伝エントリーメンバーに入り、城西大学大学院に進んでからもマネージャー・主務として男子駅伝部を支えました。その後は母校・宇部鴻城高校(山口)で教諭に。全日本実業団ハーフマラソンで日本人学生最高記録(1時間00分40秒)を樹立した駒澤大学新主将・山野力選手(3年、宇部鴻城)は教え子にあたります。
野球を経て高校から陸上の道へ
山口県出身の江本さん。小学校、中学校と野球少年でした。「高校で甲子園を目指したいと思っていましたが、段々体格差が出てきて体力の差を感じ、野球では難しいと感じていました。走るのは幼稚園の頃からマラソン大会で常に上位だったこともあり、自信がありましたし、高校で何か本気になれる部活をやりたいということで陸上を選びました」。更に高校時代に全国高校駅伝(都大路)出場経験もある父・衛司(えいじ)さんの影響も。「父から陸上を勧められたことは一度もありませんでしたが、どこか父親を追いかけていた自分もいたように思います」といったこともあり、宇部鴻城高校に入学してから陸上の道へ。
陸上を始めてからは「これはいくらでも追いつけるなと、楽しみな気持ちが一番ありましたね。どんどん力がついていって、最初はチームメートから大きく遅れていたタイムもどんどん更新していきました。野球ですと努力しても負ける時は負けますし、自分がヒットを打たなくてもチームが勝つ時もあって不思議な感覚でした。それはそれで面白かったですが、陸上はダイレクトに自分に返ってくる面白さがあって、どっぷりハマっていきましたね」。入学当初は3000mで10分30秒かかっていたそうですが、6月には9分10秒台まで記録も伸ばし、同級生たちとも一緒に走れるようになったそうです。
高校時代の個人での最高成績は山口県総体3000mSC7位。「5000mを回避して、3000mSCで中国大会に行くぞと思っていたのですが、同じような考えで3000mSCに選手が集まってきました(笑)。予選、決勝と自己ベストでしたがあと1秒ほど届かなったです」。5000mでは14分48秒が高校時代のベストですが、トラックよりもロードレースや駅伝が好きでした。
「駅伝ではチームも部員が7名で、補欠もいなくてギリギリでした(笑)。山口県は西京高校が強かったので、そこにかなわなくても県で2番を目指していましたね。結果的には県駅伝で3位とメダルをもらうことができたのですが、目標に届かず悔しかった反面、思い出に残る駅伝でしたね」。1つの目標に向かってみんなで挑戦していく経験を学んだ高校3年間となりました。
城西大学で箱根路を目指す
高校卒業後は城西大学へ。高校では7人だった部員も大学では約60人の大所帯に! 「ずっと目指していた世界でしたし、入学できたこと、入寮できたことが嬉(うれ)しくて楽しみばかりでしたね。同級生には高橋優太、佐藤直樹といった全国で活躍していた選手がいて、こんなに違うんだと思っていました。それでも、まだまだ伸びることができると思っていたので、追いかけていきました」。入学時には差を感じていたものの、1年目から箱根駅伝の予選会メンバー、更には箱根駅伝のエントリーメンバーに入りました。
「距離走が得意で30km走も上位で上がれるようになり、夏合宿の後半にはBチームからAチームに上げてもらったんです。ハーフマラソンの距離に適正があるかもしれないと。ただ、自分自身の経験値の問題なのか、予選会など大事な場面で上の方で戦っていけない自分がいて、もがいてしまって、レースになると硬くなってしまいました」
1年目から箱根駅伝のエントリーメンバーに入り、4区にエントリーされながらも当日変更でサポートにまわりました。この時、4区を走ったのは同級生の佐藤直樹さん。「4区の付き添いだったのですが、自分が憧れていた舞台を今から同級生が走るんだということで、当日変更の悔しい思いもありながら、初めての箱根駅伝をこんなに最前線で感じることができて、楽しかったという思いも同じくらいありましたね」
1年目に一気に伸び、想定したよりも早くチームの上位に入れたという江本さんでしたが、そこからは思うように伸びていくことができなかったそうです。
「距離に対してはすごく自信があったのですが、スピード練習で置いていかれていました。スピードが出ない体を無理やり動かして、体の使い方を見失い、不調に入っていってそこから抜け出すのに苦しみましたね。夏になって距離を踏むと調子が上がって、予選会まではギリギリいけるけど、箱根前にまた置いていかれるという年間のサイクルにはまってしまっていました」。結果的に4年間、箱根路を走ることは叶(かな)いませんでした。
指導者を見据え、大学院進学後に主務を経験
大学卒業後は城西大学大学院に進み、城西大学のマネージャーとなることに。
「実業団に行きたい思いもありましたが、トラックのタイムも残せず行けませんでした。一般企業の説明会も聞きに行ったのですが、なんかピンとこないんです(笑)。教員免許取得のカリキュラムも取っていたので、どうせなら母校に帰りたいと思いました。ただ、当時母校の教員の空きもなかなかなかったですし、それなら勉強期間ということで『大学院に進学してマネージャーとしてサポートする側の勉強をしてみたら?』と櫛部(静ニ)監督に声をかけていただきました」
こうして大学院に通いながらマネージャー生活がスタート。主務も経験しました。
「将来、指導者になるんだという思いがあったので、マネージャーとしての仕事も楽しくて一つひとつ勉強していくぞという気持ちでした。一緒に選手としてやってきた後輩もいたので、そばにいて支えていけたらと思っていましたね。事務的な作業、試合のエントリー、学連関係、テレビ局や新聞社などの取材対応など、いろいろな仕事がありました。当時は目まぐるしく、なかなか仕事もまわせていなかったですが、あの時間があったから今教員になってからの視野も変わってるのかなと思います」
マネージャーをしながら大学院では経営学研究科でチームワークの研究をしていました。「教員になることが見えていたので、自分がする研究は指導に生きてくるものにしたいと思っていました。チームワーク、チームマネジメントの研究は指導者になっても生きています」。例えば“チーム”と“グループ”の違いについての研究では「2人と2人がいて4の力は『グループ』、2人と2人がいて5にでも6にでもなっていくのが『チーム』ですね。ただの足し算ではなくお互いが力を発揮していくことで、4人じゃできない仕事ができる。それがチームワークが発揮されている状態とよく生徒にも伝えています」。足し算ではなく掛け算、駅伝でよく表現される言葉もチームワークやチームマネジメントと共通しているんですね!
陸上のマネージャー、大学院の研究、更に夕方からは定時制高校の非常勤講師もしていて三足のワラジ生活をしていた大学院時代。「いろいろ経験させてもらっていたなと思います。目標としていた箱根は走れませんでしたが、目標に向けて頑張れたこそ、実はいろんなものがつかめていたのかなと思います」。大学で箱根駅伝を本気で目指した4years.に加えて、大学院での研究やマネージャー経験が指導者になられてからも生かされていると言います。
母校で教員、指導者の道へ
大学院終了後は母校・宇部鴻城高校で教員に。陸上競技部の顧問、そして陸上部の顧問としては珍しく科目は情報科を担当しています。
「情報科の免許を取得する時は、これからの時代必ず必要になる教科だろうなくらいの気持ちで取得しました。ですが、今ではコロナ禍もあって情報科の立ち位置は思っていた以上に大変で、日々進化していく情報という教科の特性に鍛えられています。教科指導は苦労しますが、暑い日でもエアコンの効くパソコン教室で授業ができるとこには救われています(笑)」。また、情報に加えて通信課程で商業の免許を取得し、現在は情報と商業も教えています。
陸上部の顧問として指導歴も9年目。「選手を見ていると一人ひとり本当に持ち味が違うので、同じ練習をする中でも言葉がけを変えてみるように意識しています。みんなに共通して言うこともありますが、全員が型にはまらないように意識しています。また、部活をする上でも生徒にはまず一生懸命やろうねと伝えていますが、いろんなことを経験してほしいと思っています。合宿で役割分担をしてみたり、コロナ禍前はみんなでバーベキューをしてみたり、みんなでいろんなことを感じてほしいなと思っています」
2月13日の全日本実業団ハーフマラソンで日本人学生最高記録を樹立した山野力選手も江本さんの教え子です。
「山野は高校時代からとても真面目でストイック。そして負けず嫌いでしたね。高校時代はインターハイなど上の舞台で走らせてあげることができませんでしたが、大学生になってトップレベルでどんどんいろんなことを経験しているので、いろんなプレッシャーを感じながらも成長していくんじゃないかと感じていますね」。その言葉通り、大学に入ってからも全日本大学駅伝や箱根駅伝の優勝メンバーに入るなど着実に成長、そしてここにきてハーフマラソン日本人学生最高記録と一気に飛躍を遂げていますね!
指導のやりがいについて、「3年間一緒にいてそれで終わりじゃないんです。例えば、自分はもう山野のことを指導はできなくても応援し続けることができます。これはすごく嬉しいなというのを山野が箱根を走っている時に感じましたし、この仕事はずっとつながっていくものなんだと思いました。自分の手から離れてからも応援できる存在がいるというのはすごく幸せなことですね」
今後の指導者としての目標について、「やはり都大路に出たいですね。なかなかそこを目指す土台にまだ立てていないですが、ずっとそこは目指しながらやっていきたいです。そして個人で一人ひとりの選手がしっかり最大限に力を伸ばしていける環境を作っていきたいです。競技も上で続けるという子もいれば、高校でやめる子もいるので、それぞれが自分たちの可能性の限りやっていける指導を心がけていきたいですね」
最後に、江本先生から教え子・山野力選手へのメッセージもいただきました。
「学生日本記録更新の結果に喜びの気持ちでいっぱいです。山口の地で、積極果敢に攻める走りにドキドキさせられ、躍動感ある山野らしい走りにワクワクさせられました。ラスト1kmで先頭に出た瞬間は、競技者としての大きな成長の一歩を感じることもできました。走ることに真っ直ぐな山野です。高校時代は毎週日曜の自主練で、地元・宇部の常磐公園を無我夢中で走りまくっていました。ぜひ、あの時の気持ちも忘れることなく競技に打ち込んでほしいと思います」
教え子の活躍は指導者冥利に尽きるとよく耳にしますが、江本さんの言葉からもにじみでていますね。教え子が活躍し続ける姿を力に変えて、江本嵩至さんの指導者としての現状打破も続きます!