法政大・渡辺倫果、必然の「ミラクル」 世界ジュニアではばたく
2021年12月、さいたまスーパーアリーナで行われた全日本フィギュアスケート選手権。女子6位と大躍進したのが法政大学2年の渡辺倫果(青森山田)だ。4月13日にエストニア・タリンで開幕する世界ジュニア選手権に初出場する。中高生時代はカナダを拠点にしていたがコロナ禍でやむなく日本に帰国。MFアカデミーに移籍し、千葉のリンク「三井不動産アイスパーク船橋」で練習に励む。今シーズンの飛躍のきっかけや今後の目標について独占インタビューした。(※ギフティング受付は終了しました)
人生初のトリプルアクセル成功
この大躍進を誰が予想しただろう。
20年の全日本選手権はショートプログラム(SP)落ち、19年は出場さえできなかった。21年はフリーで人生初のトリプルアクセルジャンプを成功。ほかのジャンプも全て着氷し、技術点は北京オリンピック女子銅メダリスト、坂本花織(シスメックス)に次ぐ2位。SP8位からフリー4位に順位を上げ、総合199.15点で6位に入った。
「ミラクルです」
渡辺は無邪気に笑う。過去の成績だけ見ればそうかもしれない。だがこの1年の過程を振り返れば必然の「ミラクル」と言えるのではないだろうか。
「自分が求めていたものがここにある」
渡辺は中学時代、関徳武コーチの指導を受けるため単身カナダに渡った。しかし新型コロナウイルスの感染拡大で日本に帰国。しばらくトップ選手が集う木下グループで練習した。周りはジャンプもスケーティングも上手な選手ばかり。刺激を受けた。濱田美栄コーチの指導でジャンプが改善され高く跳べるようになった。
21年4月に法政大学の通信制に入学。スケートでは千葉県船橋市に設立されたばかりの「三井不動産アイスパーク船橋」のMFアカデミーに一時的に籍を置くことにした。2007年冬季アジア大会銅メダリストの中庭健介コーチ、南雲百恵コーチに指導を仰いだ。
「お預かりの状態で妥協している部分があった」と当時は迷いがあった。特に演技構成点が伸び悩み、「何を頑張っていいかわからないし、頑張っても伸びない。どうすることもできないという感じでした」と振り返る。
そんな渡辺に、審判資格も持つ中庭コーチはどうしたらスケーティングが伸びるか、無駄なく滑れるか、的確にそして丁寧にアドバイスした。南雲百恵コーチは表現の方法やフリーレッグの使い方などスケートの見せ方を教えた。
「自分が求めていたものがここにある」。コロナ禍、カナダへ渡航の見通しが立たない中で渡辺は拠点を変える決心をした。
昨夏、中庭コーチに渡辺自身の覚悟を伝えた。
「私のスケート人生の1回目はここで現役を引退したい。そしてスケート人生の2回目はここから始めたいです」
もちろんコーチは快諾。晴れて正式にMFアカデミー所属となった。
中庭コーチに何でも相談
コーチとは密にコミュニケーションをとるようにした。
「これまでは言われたことをやっていて、それがどんな意味があって、演技にどうつながるかわからずやっていました。若いうちはそれでもできてしまう。ジャンプを跳ぶ体力もあります。だけど大人になるといかに無駄なく練習を長く積んでいけるかが大事になります。試合でもこういう場面だとこうなりやすいからこうしないといけないと考えて演技しないといけません。そういうのが必要だと気づかせてくれました」
これまで自分の意見を言うことをためらうきらいがあったが、中庭コーチには素直に自分の気持ちを伝えることができた。「自分のスケート人生だったり、自分がどうなりたいかとか、何を目標にやっていて、何が足りていなくて、どういうふうにやれば補えるか。先生に全部話すことができて、先生は私に何ができるかを考えてくれます」
技術面ではスケーティングを強化した。スケーティングが上達するとジャンプも良くなった。本格的なシーズンに入るとトリプルアクセルを1日に2本必ず下りるまで安定した。
フリーの得点はジャンプでミスしても100点を切ることがなくなり、演技構成点もトップ選手との差が約15点縮まった。
ユニバ中止から切り替えて全日本へ
10月の東日本選手権で優勝し、波に乗り始めたがショックな出来事が起こった。12月にスイスで開催予定のユニバーシアード代表に決まっていたがコロナ禍で中止に。目標の大会が目前でなくなり、その夜は涙が止まらなかった。中庭コーチに励まされ「全日本でやるしかない」と切り替えた。
12月末の全日本選手権ではすべてがかみ合った。「自分は本番だけでできるタイプでないので、練習で百発百中でも本番できないことがあります。試合だけできないのは理由があります。緊張したときどうなる傾向があるか、試合を重ねていって導き出して。たまたま人生で初めてトリプルアクセルを下りたのが全日本でした」
強化指定選手に選ばれる8位以内を目標にしていたが、それを上回る6位。
「全日本であの演技ができたのはMFアカデミーに移って本気で自分のスケートや先生と向き合うことができたからだと思います。木下グループとMFアカデミー、両方を経験したからこそ、あれだけいいものが出せたと思います」
自分のスケートに向き合い、コーチの指導で足りないものを補い、実力を発揮することができたからこそ生まれた「ミラクル」だった。
そして、ジュニア世代の最高峰の大会である世界ジュニア選手権代表(3月・ブルガリア、後に延期)に初めて選出された。
世界ジュニア延期、母から「前に進め」
喜びもつかの間、2月にその世界ジュニアがコロナ禍で中止になる可能性を伝えられた。
ユニバーシアードに続き目標だった国際大会の開催見合わせ。「運も実力のうち。自分がこんなんだから試合がなくなっていくのかな」。大粒の涙があふれた。
全日本6位の成績も信じられなくなった。「成績がたまたまなんじゃないかと思うこともありました。実力と成績が見合っていないような感じがして疲れてしまいました」
心の整理がつかず練習を休むことにした。「俺に何かできることある?」と中庭コーチは寄り添った。その言葉にまた泣いた。
自宅で落ち込んでいると、母親が活を入れた。
「紙とペンを渡され、夢を書いて、その夢をかなえるために必要なもの、それをするために必要なものの準備で必要なもの、それをやるためにいま何が必要かを書きなさいと。そしていまこれが必要だと思うなら前に進め、世界ジュニアがなくなっても自分の夢がなくなったわけじゃないと言われました」
自分の夢はオリンピック出場。その夢をかなえるためには前に進むしかない。気持ちが吹っ切れ、翌日には練習を再開した。
世界ジュニアは延期され、4月にエストニアで開催されることが決まった。
北京オリンピックの日本勢の活躍を見て気持ちは高まった。「オリンピックはいままで夢物語でした。だけど全日本で6位に入って夢物語でなくなってきています。『狙いたいです』と言える立場に少しはなったかなと思います」
まもなく開幕する大舞台に向け、納得いく練習は積んできた。目標は6位以内。 「今シーズン最後の試合なので自分の納得のいく演技、そして次につながる演技ができたらと思っています。表彰台は狙いすぎず、狙いにいきたいです」と意気込みを語った。
この世界ジュニアの経験がきっと4年後のオリンピックにつながっていく。