上武大学・加藤泰靖 投手歴わずか5年半、右腕はまだまだ伸びしろだらけ
上武大学の加藤泰靖(4年、志学館)は、あふれ出る涙をユニホームの袖でぬぐった。第71回全日本大学野球選手権大会決勝。亜細亜大学に7-1で敗れ、2013年以来2回目の優勝は果たせなかった。「チームとして全国優勝を目標としてきましたが……。決勝の舞台は、普段やっていることがそのまま出る。亜大との差を感じました」。エースとして、主将として、栄冠をつかむことはできなかった。試合後の会見で、悔しさをにじませながら言葉をしぼりだした。
西武のドラフト1位に投げ勝った昨年
春の関甲新リーグでは、リーグトップタイの4勝を挙げた。6月18日から始まる侍ジャパン大学代表選考合宿のメンバーにも選ばれ、今秋のドラフト候補でもある。182センチ、82キロのがっしりした体格から、最速153キロのストレートを投げ込み、スライダー、カーブ、カットボールなど、変化球の球種も豊富だ。
昨年の前回大会は、西日本工業大学との1回戦で完封勝利。同年秋のドラフトで埼玉西武ライオンズから1位指名された隅田知一郎との投げ合いを制し、最高の形で全国デビューを飾った。
加藤は元広島東洋カープの澤崎俊和(青山学院大学)や、元福岡ソフトバンクホークスの金子圭輔が輩出した千葉・志学館高校の出身。「入部当時は体こそ大きかったものの、ごく普通の選手でしたね」。当時の監督で、現総監督の川俣幸一さんは振り返る。川俣さんは監督時代の94年夏、「第76回全国高等学校野球選手権大会」で、志学館を初の甲子園出場に導いた。
高校2年の春、初めて投手に
地元の木更津第一中学校では、軟式野球部に所属していた。部員が少なく、投手以外の全てのポジションを経験。志学館の野球部には捕手として入部したが、送球が安定しなかったことから、一塁、外野とポジションを転々とした。適応できるところが見つからず、投手に行き着いたのが2年の春だった。
「肩は強かったので、投手をやってみるか、と。投手しか残っていなかったので、本人もやるしかないという感じでしたね」。とはいえ、加藤には小学時代から全く投手経験がなかった。「珍しかったですね。高校野球をする子はたいてい、どこかで1度はやっていますから。40年近い私の指導者生活でも初めてでした」
加藤に対する川俣さんの指導は、ボールの握り方から始まり、足を上げた時の姿勢、ステップと、投球動作の基本を一つひとつ教えた。
「本人にとっては全てが初めてですし、覚悟もあったので、スポンジのように吸収していきました」。ただ、コントロールはなかなか定まらなかった。そこでボールをホームベースの外角低めの位置に置き、5球連続で当てる練習も。「できなければ終わらないので、時間がかかりましたね。ある時は『監督、終わりました』と報告に来たので『何球投げたんだ?』と聞くと『320球です』と」
肩が消耗していなかったのに加え、加藤は体の柔軟性があり、特に肩甲骨と股関節が柔らかい。開脚をすれば、180度近く足が開き、腹が地面についた。いくら投げ込んでも、故障とは無縁だった。
名将からの「いい球、投げるね」に自信
ようやく投手らしくなってきたのが3年春だった。川俣さんは加藤を公式戦で試そうと、春の県大会2回戦で先発に起用した。被安打3、自責点ゼロで完投。期待に応えると、準々決勝の木更津総合高校戦にも先発させた。「抑えようとする気持ちが強過ぎた」(川俣さん)。コントロールにばらつきがあり、置きにいったボールを打たれて失点を重ねた。
自信を失いかけた加藤に光が差したのが、日大三(東京)との練習試合だった。最後の夏を目前に控えた試合。強力打線を相手に好投した。ストレートがさえ、次々に空振りを奪った。「いい球、投げるね」。試合後、加藤に直接伝えてくれたのが日大三の小倉全由(まさよし)監督だった。川俣さんにとっては日大三時代の先輩でもあるが、「名将からの言葉は大きな励みになったようです」。
球速が145キロに達し、背番号「10」で臨んだ第100回全国高校野球選手権東千葉大会は、ベスト4に進出。3番手で登板した成田との準決勝は、自己最速を更新する148キロを計測した。
高校で野球をやめるつもりだったが
この時点では、高校で野球をやめるつもりだった。自衛官を志し、防衛大学校を志望していた。だが、運命はわからない。成田戦での投球に視線を送っている人がいた。上武大の谷口英規監督だった。「見たのはたまたまだったんですが、将来性を感じました」。加藤は谷口監督から声をかけられて進路を変更した。
高校時代は、ほとんどストレートだけ。細かいコントロールもなかった。「未完成ゆえ、出てくるまでには時間がかかるのでは」と川俣さんは想像していたが、早くも頭角を現した。1年秋にリーグ戦初登板を果たし、2勝をマークした。
「谷口監督に根気よく指導してもらったおかげでしょう。高校野球の引退後も、後輩たちと練習を続けていたのも、プラスに働いたかもしれません。変化球はその時に覚えたようです」
順調に進化した加藤は、2年秋に5勝を挙げてリーグの最多勝。大学選手権で名を上げた後の3年秋は、MVPになった。
「無印」から全国区の投手に成長
大学選手権の話に戻る。準決勝の佛教大学戦は、先発して6回を無失点。「絶対に、相手投手より先に得点を許したくなかった」と力投した。この試合は、久保山政志監督に連れられ、志学館の野球部員約80人も観戦していた。「100点満点なら70点くらいでしたが、後輩たちに少しはいい姿を見せられたのでは」と、加藤は胸を張った。
川俣さんは加藤が登板した試合をすべてバックネット裏で観戦した。「もちろん成長は感じていますが、打者との駆け引き、けん制、フィールディングなど、投手の総合力という点では、まだまだのように映りました。それはすなわち、伸びしろがある、ということです。投手になってから、まだ5年半ですしね」
加藤は高校時代から真面目で、頑固なところもあったという。谷口監督が加藤を主将にしたのも、一本気な性格を踏まえてのことだった。
「とにかく真面目なんです。よく練習し、よく悩み、よく緊張します。自分の殻に入ってしまうことも。主将になって、周りを見る余裕を身に付けてほしい、真面目というところから成長してほしい、と思ったからです」
谷口監督は、内面の成長がピッチングの成長にもつながると考えたのだろう。決勝では、6点を追いかける展開からマウンドに立ち、4回3分の1を1失点。大学選手権で成長過程を示した加藤について、「準決勝、決勝は合格点」とねぎらった。
加藤は「無印」から全国区の投手になった。しかし、ポテンシャルはまだ出し切っていない。今後、どこまで伸びるか。加藤のこれからに注目だ。