パラスポーツの魅力と経験、車いすや義足と共に学校を巡り子どもに伝える 森宏明4
今回の連載「私の4years.」は、ノルディックスキー距離座位の日本代表として北京冬季パラリンピック(2022)に出場した森宏明(26)です。朝日新聞社員としてスポーツ事業部に勤務する傍ら、アスリートとして様々な大会に出場しています。5回連載の4回目は、パラリンピック競技の魅力と、自身の経験を子どもたちに伝える活動についてです。
新型コロナウイルス感染拡大で2021年に延期となった自国開催の東京2020パラリンピック、そしてその半年後に開催された2022北京冬季パラリンピックでパラアスリートたちの活躍を契機に、現在では「オリパラ」という言葉が社会全体に広まってきたように感じています。
そんな23年、パラスポーツ界の大きなニュースといえば、1月に車いすテニスの「レジェンド」と称される国枝慎吾さんが引退を表明されたことは記憶に新しいです。国枝さんは、パラリンピックでは04年アテネ、08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロ、20年東京の5大会連続でメダルを獲得し、シングルスで3個、ダブルスで1個の計4個の金メダルを獲得しています。
海外ツアーでは、車いすテニスが現行のグランドスラム(四大大会)に統合された09年以降、通算50勝(シングルス28勝、ダブルス22勝)という驚異的な成績を上げ、男子歴代最多記録を打ち立てました。さらには22年、最後に残ったウィンブルドン優勝を果たして生涯グランドスラムを達成するという前人未到の快挙を成し遂げます。
これを受けて日本政府は「パラスポーツの社会的認知度の拡大、スポーツの発展に極めて顕著な貢献をして広く国民に夢と感動を、社会に明るい希望や勇気を与えた」としてパラアスリートで初の国民栄誉賞を授与することに決定したのはつい先日のことです。
パラリンピックとは人間の努力が無限であることを示すもの
私たちは今まさにスポーツの新時代を目の当たりにしているといっても過言ではありません。
2月7日に行われた引退会見で国枝さんが当時のパラスポーツについて振り返るシーンが印象的でした。
「車いすテニスをやっているとよく『車いすでテニスやっていて偉いね』と言われることもありました。目が悪ければ眼鏡をかける、僕は足が悪いから車いす、それでスポーツをするしかない。スポーツをしたいっていうのも皆さん思うわけじゃないですか。結局そこは特別なことではないとずっと思っていて、でもアテネ・パラリンピックの頃は福祉として、何か社会的な意義があるものとして、という要素が強くメディアを通して伝わっていて、金メダルを取っても(新聞などの)スポーツ欄に載らない時期があってそれをどうにかスポーツとして扱ってもらいたい。パラリンピックもよく『共生社会の実現のために』と言われますけど、スポーツの感動とか興奮を与えられなければ、そこにもつながっていかない。だからスポーツとしてのこだわりは相当強く持ちながらプレーしていました」
オリンピックの競技が人間の能力の無限の可能性を示すものであれば、パラリンピックは、人間の努力もまた無限であることを示すものだといえます。
国枝さんは一貫して車いすテニスはこんなにも面白くて想像以上にエキサイティングなスポーツだと、見る人々に感じてもらうため、スポーツとしての魅力を高めるためには、という強い意志と努力がそこにはあるのだと感じて胸が熱くなりました。
そうしたパラアスリートたちそれぞれが向かう努力の先にいくつものドラマがあるのではないか、それが本質的な魅力として映り、人々の心を強く打つではないかと私は考えています。
「人とつながり、社会とつながる」価値観を大切にしていきたい
自分自身にも、競技生活を通して忘れられない出来事がありました。それは今から4年前の19年3月に札幌で行われたパラノルディックスキーワールドカップでのことです。
レースの合間に近隣住民の方と一緒にクロスカントリーで滑る「ファンラン」イベントが実施され、そこに出演者として参加をしたときのことです。
「なんで座って滑っているの?」
イベント参加者だった小学生の男の子に疑問を投げかけられました。
「自分は事故に巻き込まれちゃったからひざから下、足先がないんだよ」
自身の壮絶体験を包み隠さず人へ伝えることにすっかり慣れてしまっている私は、ありのままに当時の出来事を伝えます。すると先入観のない彼は、「へえ、そうなんだ。どれくらい痛かった?」とファンランを実施している最中でも目について気になったあらゆることを質問してくれたり、自らにまつわる話をたくさんしてくれたりと、イベントで楽しく交流してその日を終えました。
翌日のレース最終日、いつものように会場に入ってアップをしていると、コース外から自分を呼ぶ声が聞こえてきました。振り返るとそこには昨日交流して仲良くなった彼がお母さんと一緒に応援に駆けつけてくれていました。
「森選手、今日のレース頑張れー!!」
私はすごく驚いて彼のもとまで行きました。
「昨日のイベントで森選手と仲良くなったから、今日も応援に行きたいってこの子が言い出してびっくりしました!」
一緒に来たお母さんもほほえみながらそう話していました。
「今日のレースが終わったらサインちょうだい!」
自分は彼との交流を経て、それがたとえ2人の間に形作られた小さな社会であったとしても、その中でパラスポーツの魅力が十分に伝わったような実感がありました。
自分がスポーツを通して大切にしていきたい価値観は「人とつながり、社会とつながる」ことそのものだと、その瞬間に気づきました。
特に当時の私がハッとしたのは、切断した足や義足といった要素も、子どもたちからすれば「不思議なもの」に感じるからこそ疑問を持って質問をする。そうして対話を通じて自分なりに解釈を持つことで、いずれ障がいに対する理解が深まり結果的には障がいという垣根を越えて人間と人間の関わり合いに発展していく。とてもシンプルですが、今でも私が大切にしている考え方です。
自身の経験を教育の題材に……学校訪問の日々
こうした出来事をきっかけに、私のなかでひとつの変化が起こります。
自分自身の事故の経験や身体的に障がいを持ったことによって社会がどう見えるようになったのか。そして義足での生活は自分で考えて工夫を凝らし、ときには周りの人の支えにより壁を乗り越えてきたことで、今ではスタンダードになっているこの自分の日常も、社会では何か特別な意味を持つこともあるかもしれないとポジティブに捉えられるようになりました。
ひょっとすると教育の題材にもなり得るのではないかと思い立ってからは、あらゆる学校へ訪問。教育現場で自身の生い立ちや当時の事故の経験を生徒の方たちの前で話をする機会が多くなりました。
そこで私が気づいたことは、子どもたちが学び、考えていく過程で「ポジティブな影響」がとても重要だということです。例えば、自分の義足のことについて説明をするときには、まず当然ながらショッキングな話題に触れますが、最後には「でも自分はこの足、気に入っているんだよね」と言ってから子どもたちの前でガチャっと外して実演をしてみせる。
すると彼らは度肝を抜かれたようにその足に釘付けとなり、自分の生身の足とは違うそれにたちまち興味を抱きます。
私はこのタイミングを見計らって「気になる人がいたらぜひこの足触ってみてください」と毎回言うわけです。子どもたちはそれに呼応して例のごとく集まってきて、まずは近くで様子を伺うように義足を観察、そして次第に慣れてきたら触って、さらには持ち上げてみて、思い思いに楽しんで目をキラキラと輝かせている光景はなんだかとてもうれしくなります。
どんなスポーツでも競技性を高めてスポーツとしての価値を追求し、ハイレベルでエキサイティングなプレーは人を魅きつける一方で、いまソーシャルなつながりがパラスポーツにおいてとくに重要な意味をもたらすのではないかと考えています。
私が日々関わりを持っているHOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS(HAS)代表の斎藤雄大さんは、当初パラスポーツに携わるなかで「ジュニア育成の重要性」を強く感じて年齢や性別、障がいの有無に関わらず、さまざまなスポーツ活動に挑戦できるスポーツ拠点を創設しました。
現在、障がいのある子どもたちがHASのジュニアアスリートクラブで様々なスポーツにチャレンジしています。斎藤さんはクラブ活動を通じて、障がいをもつ子供たちの行動に勇気づけられ、多くの気づきを得ることがあると言います。HASでは、障がいの有無に関わらず、みんなが参加していいという考え方を大切にしてきており、対等な関係性において実際に健常者と障がい者がコミュニケーションを図って日頃から交流していくことが重要だと考えられていました。
少し先の未来では、健常者の子たちと日常的に遊ぶ車いすの子や、車いすの子たちとよく遊ぶ健常者の子たちといった光景がスタンダードになる社会もそう遠くないのかもしれません。
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