パラスキー

連載:私の4years.

特集:北京冬季オリンピック・パラリンピック

ビジネスでスポーツを支える 「人と社会をつなげる」人材になることが夢 森宏明5

全国ミニバスケットボール大会の会場、代々木体育館での森さん(本人提供)

今回の連載「私の4years.」は、ノルディックスキー距離座位の日本代表として北京冬季パラリンピック(2022)に出場した森宏明(26)です。朝日新聞社員としてスポーツ事業部に勤務する傍ら、アスリートとして様々な大会に出場しています。5回連載の最終回は、オリパラ関連業務に携わったことや、現在のスポーツ事業部での仕事、将来のことについてです。

野球漬けの日々が事故でどん底に突き落とされ パラリンピック競技に出会う 森宏明1

これまで自身の事故を乗り越えてパラノルディックスキーと出会い、そして競技者としてパラリンピックへの挑戦が始まりました。競技生活の中では社会とのつながりを強く感じた経験から、パラスポーツの魅力について考えてきました。

私は普段、アスリート活動と並行して朝日新聞社のスポーツ事業部に勤務しています。

サッカーやバスケットボールに関するスポーツ協賛事業と全日本大学駅伝や数々のウォーキング事業など多岐にわたって本社が主催・後援するスポーツイベントを担う部署です。

バスケ事業担当 イベント企画や競技団体との交流に駆け回る

そのなかで私は現在、公益財団法人日本バスケットボール協会(JBA)と公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(B.LEAGUE)とのパートナー契約をはじめとするバスケ事業の担当をしています。

朝日新聞社は2017年にJBAとB.LEAGUEのサポーティングカンパニーに就任して7シーズン目を迎えていますが、もともと全国ミニバスケットボール大会やウインターカップ、全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)などアマチュアスポーツを応援してきており、バスケットボールを楽しむ子どもから大人まで、一気通貫で応援をしてきた経緯があります。

また、過去の新聞紙面では、JBAやB.LEAGUEのパートナーになる以前から『SLAM DUNK』の作者でもある井上雄彦先生がB.LEAGUEの選手をインタビューする連載企画が月1回掲載されていたりもしました。 

新聞社での仕事というと記者のイメージが強いと思いますが、私の場合はイベントの企画から運営、各競技団体との窓口や各パートナーとの交流など、社内外の調整業務を担うことが多く、ビジネスの側面でスポーツを支える仕事をしています。

また、イベントの事務局機能として業務を行うこともあります。イベント当日はTシャツを着て運営側として現場に立ち、ときには出演者のアテンドをすることもありました。

その他には、会場内にメディアルームを用意して、ネット回線をつなぐような設営準備もあったり、最近では会社のマーケティング活動の一端を担う顧客データの管理も重要になっていたりと業務の幅は意外と広いように感じています。

学生自体になんとなく想像していたメディア業界の仕事、そしてスポーツビジネスの現場は、華やかなイメージとは裏腹に地味で泥くさいことが多いような気がしていますが、イベント参加者が楽しんでいる様子を見るのは好きで、実際に現場で働いていると、良かったなと思う瞬間に立ち会えることもあります。

普段は朝日新聞社で働く(撮影・朝日新聞社)

オリパラで移り変わる東京の街「大会に関わってみたい」

私自身の転機となったのは13年9月、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決定し、それを病室のテレビで観ていた17歳のときでした。14年1月でリハビリを終えて退院し、日常生活に戻ってから東京の街は徐々に「TOKYO2020」とともに移り変わっていったように思います。

こうした街や人々の意識の変化を目の当たりにして、いつしか自分もこの大会に関わってみたいと考えるようになっていました。

このときは真っ先に自身がパラスポーツへ取り組み、地元開催の東京パラを目指すといった考えは頭の中にはなく、どちらかといえば街が一体となってこれから盛り上げようとしているオリンピック・パラリンピックというスポーツイベントそのものに興味を持ちました。

15年、大学に進学してからは自分自身の興味でもあったオリパラについてリサーチを始めます。

事故後は自身も障がい当事者であることからパラスポーツのコミュニティーとの関わりは少なからずあって、そこではいつも「パラバブル」が起きているという話題をよく耳にしていました。

そこには東京大会が決まったことによってこれまでオリンピックの陰で不遇の時代を経験してきたパラアスリートが、テレビのCMや各種イベントに引っ張りだこな状態で、また競技団体も企業のスポンサー増加などによって多くの収入が入るようになったという背景があります。

パラの急激な盛り上がりの要因を学生時代の研究テーマに

私はそれから東京パラの開催を契機に、国内で生じているパラリンピックの急速な盛り上がりの要因についての考察を学生時代の研究テーマにしたいと考えました。

実際に13年の東京招致を経て開催が決定し、各企業がスポンサードを含むパラスポーツ支援に対してどういった取り組みをしているかなどの事例を調べたときに、オリパラマーケティングとしてスポンサーシップにおける「アクティベーション」というものがあることを知ります。

従来のスポンサーというのは、広告により成立していることが主だったのですが、アクティベーションはスポンサーとしての権利を最大限に活用した新しいタイプのマーケティング手法として登場しました。

その当時オリパラは、業種ごとのカテゴリーにスポンサーが分けられており、企業は従来のロゴに加えて独自のCMを放送し、さらにはアスリートとコラボしたりするなど、スポンサーに与えられた権利を活用して、自社のブランドをより効果的に宣伝できるようになっていました。

「自分自身はこういう仕事がしたい」とその時にスポーツビジネスの仕事に対して興味が湧くこととなります。

オリパラ1年前、各地では連日カウントダウンイベントが開催され、大勢の人たちでにぎわっていた

朝日新聞で念願のオリパラ関連業務に携わる

19年春、朝日新聞社に入社しました。16年1月から朝日新聞社が東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のオフィシャルパートナーになってからは、TOKYO2020や、さらにその先を見据えながら、社としてのスポーツ戦略を担う部署として「オリンピック パラリンピック・スポーツ戦略室(現・スポーツ事業部)」が発足されており、私はそこに配属されて念願のオリパラ関連業務に携わることとなります。

このときはTOKYO2020の大会組織委員会との窓口として社内外の調整を行っていました。

通勤の利便性を考慮して、ちょうどそのとき工事中だった晴海の選手村が自宅から見える場所に住んでいたこともあり、これから訪れるビッグイベントに胸が高まっていました。

ちょうど大会1年前で、各地では連日カウントダウンイベントが開催されていました。大勢の人たちで都心のイベント会場がにぎわっていて大会の機運が高まっていた時期です。

新入社員時代は上司や先輩方と一緒に同行して各地のイベント会場にも行くことがあって、スポンサー同士の横のつながりもできたりして、非常にせわしなくも楽しい時間を過ごしたことは素敵な思い出です。

朝日新聞社内での壮行会。意気込む森さん

コロナ禍 オリンピックの延期決定に一気に力が抜け落ちる

20年に入り、オリパラ開催まで1年を過ぎてあとは走り切るだけと考えていた矢先、新型コロナウイルスが猛威を振るって世界各地ではロックダウンが起こり、日本でも緊急事態宣言が発令されました。

20年3月、世界ですべての活動が止まり、東京オリパラも例外ではなく21年に延期が決定し、私はこのとき全身の力が一気に抜け落ちるような感覚に陥りました。

また、自身の競技活動でも国際大会が軒並み中止や延期となったことで、自分にはどうすることもできないという無力感にさいなまれたことを今でも覚えています。

その時期は自宅から晴海へ向かい、選手村が見える豊洲大橋から東京湾をぼんやりと眺めていました。なぜいま自分はスポーツをするのか、そもそもスポーツの価値って何なのだろう。

すっかり考え込んでいて、なにか活路を見いだそうとしていたのかもしれません。新たなスタートを切れたのは、「やっぱりスポーツが好きだから」という想いと、なにより周囲の方々の支えがあったからこそ気持ちの部分で救われたと感じています。

それから2年後、自身初のパラリンピック出場を果たすことができ、大会前は社内での壮行会を通して、色んな方から祝福のメッセージをいただきました。

私自身、会社に入って働きながら競技を続ける理由は、周囲の人とつながり、身近な存在としてあり続けたいという思いがあるからです。

アスリートコミュニティで話す森さん(右)

パラの垣根を越えてあらゆるスポーツ競技者と交流

障がいという概念を越えて「超人」や「パラリンピアン」だったり、スポーツの世界でポジティブに捉えられることが増えていく一方で、アスリートとして社会とのつながりが希薄になってしまわぬよう、自分でもアクションを起こして社会に働きかけていきたいという考えにいつしか変わり、今ではパラの垣根を越えてあらゆるスポーツ競技者と積極的に交流する機会をもっています。

私は幼少期から野球やあらゆるスポーツに挑戦する機会がありましたが、自分自身がスポーツビジネスの現場で働くにつれて、その環境が当たり前でないことをコロナ禍であらためて実感しました。

どの競技でも、活動を続けていくためには、やはりお金が必要になっていきます。私も、経済的な理由で競技を断念する経験が過去にはありました。

競技を続けられなくなるリスクは、競技者としてトップレベルを目指す選手でも同様にその悩みが尽きることはありません。

だからこそ、次の時代における私たちの役割は、子どもたちがスポーツ以前に社会の一員として、大いに挑戦できる機会と環境、そしてこれらの選択肢をつくっていくことにあるだろうと感じています。

子どもたちに夢や希望を与えていくためにも、まずは自分がプレーヤーとして走りながら、その経験から生まれる何かを社会に還元できるような人材になれているかどうかが第1フェーズでした。

次は、「人と社会をつなげる」人材になることが私の夢です。たとえばパラスポーツという中にもいくつもの競技があって、色んなバックグラウンドを持った方がいる。点と点で存在している世界観を結びつけるような役割を持てる人間になっていたらいいなと思います。

私の4years.

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