応援

特集:うちの大学、ここに注目 2023

慶應義塾大学が應援部ではなく、應援「指導」部の理由 観客と一緒に応援を作っていく

大観衆が詰めかけた中、堂々と指揮を務める村上さん(すべて撮影・慶應スポーツ新聞会)

4年ぶりに神宮球場が「若き血」で揺れた。制限がなくなり、満員の応援席が戻った5月最終週「華の早慶戦」。慶應義塾大学應援指導部の代表・畑山美咲さん(4年、県立相模原)は「應援指導部」になることができたと振り返り、副代表・村上圭吾さん(4年、慶應)は「この時を待っていた」と観客とともに応援できる喜びをかみ締めた。背景にあったのは、コロナ禍での成長や応援に対する強い思いだ。

華の早慶戦、応援の力で得た1点

週末に行われた早慶戦の開門時間は、試合開始3時間前の午前10時。さまざまな企画が行われ、畑山さんは「他の団体の方も一緒に應援指導部と協力して盛り上げられるというのが、慶早戦ならでは」と話す。観客数も土日は2万人を超え、3回戦が行われたのは火曜日にもかかわらず、三塁側応援席はほぼ満席。村上さんも「空気が違う」と感じた。野球部にとっても、應援指導部にとっても、そして観客にとっても特別な舞台。想定を超える観客数に畑山さんは試合前、「写真で見た以前のあの景色が見られる」と期待を寄せ、村上さんは、立ち見が出るほどの観客を見て「この全員を引っ張っていかないといけない」と部としての責任も痛感していた。

試合が始まれば不安は吹き飛んだ。「右、左」と観客に動きを笑顔で伝え、マイクでも応援を先導。得点が入れば肩を組んで「若き血」を歌い、大量得点時には「スリー慶應」、勝利後には「丘の上」など、慶大の応援歌が響き渡った。1球ごとに盛り上がりを見せる異様な雰囲気の中でも、観客と一緒に選手に声援を届け続けた。その思いは確かに選手に伝わり、1勝1敗で迎えた3回戦では、主将の廣瀬隆太(4年、慶應)のソロ本塁打で挙げた得点をエース・外丸東眞(2年、前橋育英)が守って完封勝利。応援の力が勝利を呼び込んだ。

マイクを使って「夏疾風」を先導

当然だったこと、コロナ禍で禁止された

今の4年生たちが1年生だった3年前。内野席にも外野席にも応援団の姿はなく、2020年の春季リーグ戦はわずかな観客に見守られながら、わずか9日間の開催だった。「誰かを応援する」という当たり前にやってきた行為が、突然禁止された。同年の秋季リーグ戦では、応援団による応援が認められたが、場所は観客のいない外野席。選手とも観客とも距離があり、孤独を感じる部員もいた。

早慶戦において、応援団が内野エリアに戻ってきたのは2022年。しかし、観客に声援を促すことはできなかった。「我々は應援『指導』部という名前なのですが、(今)春のリーグ戦までは『應援部』として、応援しないといけなかった」と畑山さん。観客と一緒に応援を作っていくという、應援指導部本来の役割を果たすことはできず、もどかしい思いを抱いていた。

この春ようやくよみがえった応援席。そして満員となった早慶戦。村上さんは「今を待っていた」と入部したときから待ち望んでいた光景を目の当たりにした。これまでの3年間、應援「指導」部としての活動が全くできなかった無念を晴らすかのように、4年生の表情は輝いていた。

晴れやかな表情で試合を見つめ、チアリーディング部門はパフォーマンスを披露

ノウハウがなくても応援を作り上げられた要因

過去3年間で失ったものが多すぎた。ただ、畑山さんは「一人ひとりの発声など、應援部として培ったところも必ずあると思う」。村上さんもリーグ戦開幕前に「ゼロから作っていくというところに関しては、コロナ禍でいろいろ試行錯誤してきたので、部として自信を持っていけたらいいと思う」と語り、得たものも確かにあった。この春季リーグ戦の間も、部員たちは確実に成長していった。今まで観客と接したことがなかったにもかかわらず、急に観客を相手にしないといけない。最初は戸惑うことも多かったが、観客と接するのが得意な部員を見て、一人ひとりが挑戦し続けた2カ月間だった。

ノウハウがない中でも、応援を作り上げることができた要因の一つに、コロナ禍で進化した「総合練習」があるのではないか。この練習は野球の六大学リーグ戦の開幕前と早慶戦前の年に4回行われ、應援指導部の吹奏楽団とチアリーディング部門の全部員が4時間かけて行う執念の練習だ。仕切るのは応援全体をマネジメントする4年生の応援企画責任者3人と、3年生の野球応援責任者(野球サブ)の3人。スクリーンにスコアボードを映して1球ずつ表示し、神宮球場を再現。観客が誰もいないホールでも、観客がいる想定で声を出し続ける。「ロジカルな応援」をさらに追求し、選手目線の応援に尽力してきた。結果、戸惑いがあっても自分たちに自信を持って、応援を指導することができたのだろう。

ノウハウがない中でも、大勢の観客と一緒に応援を作り上げた

進化を経て、復活を遂げた応援文化

コロナ禍でどう応援を届けるか。そして制限がなくなった後は、どう応援を作り上げるか。今の部員たちは応援ができないつらさを知っているだけに、例年以上に応援活動と向き合ってきた。応援は大会があったり、応援を競う試合があったりするものではない。その中で、早慶3回戦後に村上さんは「自分からやっていかないと成り立たないところがあり、自分から挑戦していく人が多い」と、片付けを進める部員を見ながら3日間を振り返った。畑山さんは「自分が得意なことに挑戦し、苦手なことは放棄するわけではなく、誰かを頼って頑張っている」。部員同士が信頼関係を築いていることを教えてくれた。

部内の活気あふれる様子は、そのまま応援席の雰囲気につながっている。初めて早慶戦に来た現役の学生、早慶戦に限らず毎試合応援に来る熱烈なファン、執念を見せ続けた應援指導部、昨秋のリベンジを果たした野球部。その全員が「若き血」に燃える神宮球場を目に焼き付けたことだろう。それは「紺碧の空」に染め上げるべく熱唱した一塁側の早稲田もまた同じ。「早慶戦」の文化が復活を遂げた。「みんなで若き血を歌うのは楽しいと思ってもらえたらうれしい」(畑山さん)、「来て良かったなと思われるようになりたい」(村上さん)。観客とともに作り上げる応援の進化が、止まることはない。

應援指導部をまとめる代表の畑山さん

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