箱根駅伝13位、3大会ぶりにシード権を失った中央大 得た教訓をさらなる成長の糧に
第100回箱根駅伝
1月2・3日@東京・大手町~箱根・芦ノ湖間往復の217.1km
総合優勝 青山学院大 10時間41分25秒(大会新)
2位 駒澤大 10時間48分00秒
3位 城西大 10時間52分26秒
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13位 中央大 11時間01分58秒
第100回箱根駅伝で「優勝候補」の一角と目されていた前回総合2位の中央大学。だが、一度も優勝争いに加わることなく13位に終わり、3大会ぶりのシード落ちとなった。まさかとも思える失速の背景には何があったのか。
死角が見当たらない戦力だったが
間違いなく中大の戦力は整っていた。4年生には吉居大和(仙台育英)と中野翔太(世羅)という、箱根での実績も十二分のWエースがいた。吉居大和は2年時の箱根で1区の区間新(1時間00分40秒)を樹立し、前回大会ではエース区間の2区で区間賞。中野は前回、3区で区間賞を獲得した。
同じ4年生にもう一人、柱となる選手がいた。大学で開花した主将の湯浅仁(宮崎日大)だ。2年時から2年連続で9区を走り、3位、6位と好成績を残していた。
学年ごとのバランスも取れていた。3年生には前回の箱根5区で3位と好走した阿部陽樹(西京)が、2年生には吉居の弟で、1年時に4区5位で箱根デビューを果たした吉居駿恭(仙台育英)がおり、大会前の会見ではいずれも、中心選手の風格を漂わせていた。
今季の駅伝シーズンも、幕開けとなった出雲駅伝こそ7位だったものの、全日本大学駅伝では4位と、チームの状態は上向いていた。母校の中大を率いて8年目の藤原正和監督によると、中間層の底上げもなされており、「死角」は見当たらなかった。
第100回という大きな節目の大会を制するのは、出場回数(7年連続97回目)、総合優勝回数(14回)ともに最多の中大か。昔からのファンも多い伝統校は大きな注目を浴びていた。
本番の約1週間前から、選手に風邪の症状
こうして臨んだ今回の箱根路。しかし、序盤から見る者に「異変」を感じさせる展開になった。1区で前回この区間4位の溜池一太(2年、洛南)が区間19位と大きく出遅れた。すると、2区の吉居大和も前回より1分42秒遅いタイムで区間15位に。
中大がおかしい……。
負の連鎖は3区にも及び、中野も区間20位。本来の姿とは程遠い走りだった。4区に入った時点でチームは18位。ここで襷(たすき)を受けた湯浅が持ち味の安定感ある走りを見せ、区間3位で走りきった。これでチームは13位まで上がったが、大学駅伝初出走となった5区の山﨑草太(1年、西京)は、順位をキープするのが精いっぱい。往路優勝の青山学院大学に12分22秒差をつけられ、総合優勝は極めて難しい状況になった。
予想できなかった優勝候補の失速。藤原監督は往路を終えると、その裏には選手の体調不良があったと明かした。それも2、3人ではない。箱根まで約1週間となった昨年12月23日から、エントリーメンバー16人中14人が次々に風邪をひいてしまい、一時は出場辞退も考えるほど深刻な状況だったという。
チームに光が差した吉居駿恭の区間賞獲得
それでも出場したからにはどんな状況であれ、ベストを尽くすしかない。一斉スタートになった復路では6区の浦田優斗(3年、國學院久我山)が区間5位と健闘し、順位を三つ上げる。シード圏内につけた中大は、続く7区で吉居駿恭が快走。兄・大和から受けた給水も力に、歴代3位の1時間2分27秒で初の区間賞に輝いた。
大会後、吉居駿恭は「優勝を狙っていたので……」と意気消沈していたが、給水に話が及ぶと、少しだけ柔らかな表情に。「兄からは『区間賞ペースだ。(駿恭は)ここからが一番強いぞ』と励ましてもらいました」
大学で一緒に過ごした大和との2年間、その背中を追いかけ続けた。印象深かった兄の姿には、前回の箱根2区で駒澤大学の田澤廉(現・トヨタ自動車)や青山学院大の近藤幸太郎(現・SGホールディングス)とのデッドヒートに勝った姿を挙げ「ああいう爆発力が、まだ自分にはない部分だと思います」と話した。
3年生になる今年はチームを引っ張る立場になるが、当面の目標は5000mでのパリオリンピック出場。昨年は学生歴代10位となる13分22秒01をマークした。「中大から世界へ」を体現することも、リーダーとしての役目だと考えているようだ。
6区と7区で持ち直した中大だったが、8区の阿部は明らかに体が重そうで、区間を走り切るのがやっと。個人順位は22位と不本意だったが、藤原監督は「ありがとう。よくやった。ご苦労さん」とねぎらいの言葉をかけた。「実は最後に体調を崩したのが阿部でした。元旦の朝に発熱しまして……」
それでも襷をつなぎたい。体力も落ちていたが、阿部は主力の一人として現状で出せる力を出し尽くした。
間違いなかった強化の方向性
最終的には13位でフィニッシュ。3大会ぶりにシード権を失う結果に、藤原監督の表情は硬かった。
「体調管理は選手の仕事ではありますが、それをしっかりさせられなかったのは、隙を作ってしまったのは、マネジメント側のミスです。監督就任8年目なのに、できていなかった。4年生には申し訳ないと思っています」
口をつくのは自責の言葉ばかりだったが、収穫がなかったわけではない。体調に大きな変化がなかった湯浅と、吉居駿恭は本来の力を発揮できた。不測の事態に陥らなければ、優勝争いに絡めた。藤原監督も「スピード練習に重点を置きつつ、トラックと駅伝の両立を図る」という強化の方向性に間違いはなかった、と自負している。
それは、今の4年生たちの成長度合いに表れている。卒業後、実業団の強豪・トヨタ自動車に進む主将の湯浅はこう話す。「入学した頃、自分がそうなるイメージはなかったですが、個人としてはやるべきことをやり、結果も出せた。自信を持って卒業できます。やってきたことに間違いはないと思ってます」
この1年間、背中で練習からチームを引っ張ってきた。4年生は自分のことに集中したいタイプが多く、まとまりに欠けていたところもあったが、会話の機会を増やすことで相互理解を深めていったという。
だからこそ、最後に隙を作ってしまったことを主将として悔いている。
「(箱根駅伝の)神様を味方につけられなかったのは、自分たちに何かが足りなかったからです。もしかすると、人として当たり前のことを丁寧にやる、その大事なところがやり切れていなかったのかもしれません」
地道に積み重ねてきたことも、小さなほころびから一気に崩れる。改めて思い知った怖さ、そこから得た教訓をさらなる成長の糧とし、来年の箱根では必ず主役になるつもりだ。