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特集:第76回全日本大学バスケ選手権

大東文化大・富山仁貴 淡路島からやってきたPF、4年間で変化させたプレースタイル

淡路島から大東文化大学へ進学し成長した富山仁貴(すべて撮影・小沼克年)

第76回全日本大学バスケットボール選手権大会 男子準々決勝

12月8日@国立代々木競技場第二体育館
東海大学 63-56 大東文化大学

【写真】女子は4度のオーバータイムの末、白鷗大学がインカレ連覇!男子は15日決勝

12月8日に行われた第76回全日本大学バスケットボール選手権(インカレ)の男子準々決勝で、大東文化大学は56-63で東海大学に敗れた。2年連続のベスト8敗退。4年前、淡路島から大東文化大の門をたたいた富山仁貴(4年、淡路三原)は、関東1部の荒波にもまれたからこそここまで成長できた。「本当に感謝しかないです」

同点にこぎつけ、コートで試合終了を迎えた

狙い通りのロースコアゲームには持ち込めた。しかし、序盤で幾度も獲得したフリースローチャンスをものにできず、追いかける展開が続いた。「ロースコアゲームの中でフリースローを決めきれないところがこの1年を通しての課題でしたので、最後も同じような流れになってしまいました」と西尾吉弘ヘッドコーチ(HC)。第4クオーター(Q)中盤には塚本智裕(3年、北陸学院)の3ポイントが決まって53-53の同点に追いついたものの、その後はスコアを伸ばせずタイムアップを迎えた。

この日、大東文化大のフリースロー確率は22分の7。先発を務めた富山も、試合を通して7度フリースローレーンに立った。そのうち、沈めたのは3本だったが、第4Qの勝負どころではジャンプシュートと3ポイントを決めて気を吐いた。

勝負どころでは3ポイントを決めた

残り2分14秒で、3点ビハインド。直前のリバウンド争いで「足に違和感が出た」という富山は、この場面で交代を余儀なくされた。それでも、ほぼ勝敗が決した残り8.5秒、再びコートへ。

「いけるか?」。西尾HCに問われ、富山は答えた。「いけます」

大学バスケ最後の試合は、コート上で終了のブザーを聞いた。悔しさと充実感が入り交じったのか。それとも、ただただ悔しかったのか。試合後は今の気持ちをうまく言葉にできず、少し照れくさそうな顔をしながら言った。

「負けてしまって悔しかったですけど、それ以上に……。いや、まあ、悔しいですね」

一時はベンチへ下がったが、試合終了間際で再びコートに立った

新人王獲得後は、苦しい日々が続いた

「自分は淡路島から出てきた身なので、最初は右も左もわからない状態で大東に来ました。1年目は(コロナの影響で)3月に関東の新人戦があったんですけど、それまでは全く試合に出ることができなくて、自分にとっては初めての経験でした」

身長194cmでパワーフォワードを主戦場とする富山は、地元の淡路島で高校までを過ごした。入学当初は、関東1部というハイレベルな場所でなかなかベンチ入りできない日々が続いた。しかし、1年時に出場した第61回関東大学バスケットボール新人戦で優勝に貢献。高校時代に全国制覇を成し遂げ、鳴り物入りで入学した同学年の山内ジャヘル琉人(4年、仙台大明成)を差し置いて新人王に輝いた。

2年生になると全日本大学バスケットボール新人戦(新人インカレ)がプレ大会という位置づけで初開催され、大東文化大はこの大会でも優勝。今度は山内が最優秀選手賞を受賞し、富山は優秀選手賞に選出された。

2年時の新人インカレでは山内(左)が最優秀選手賞、富山(右)が優秀選手賞に選ばれた

持ち前の高さと機動力、得意のドライブを武器に、チーム内では順調に頭角を現した。だが、上級生になるとリーグ戦やインカレで思うような結果を残せず、「個人的にもチーム的にも、もっともっと努力しなきゃいけない」という焦りが募った。大学ラストイヤーとなった今年は調子の良し悪(あ)しに関わらず、まずはチームメートとのコミュニケーションを怠らないことに意識を向け続けた。

「自分が2年生の時は、4年生に中村拓人さん(現・広島ドラゴンフライズ)や高島紳司さん(現・宇都宮ブレックス)たちがいて、プレー面やメンタル面など色々とサポートしていただきました。自分の代で下級生の頃から試合に出ていたのは自分とジャヘルだったので、そういったことを次は自分が後輩たちに示したいと思っていました。自分はジャヘルみたいにプレーで引っ張ることがなかなかできないので、 4年生になってからは積極的に声をかけることを意識してプレーしていました」

最終学年ではチームメートとのコミュニケーションを意識

プレーの幅を広げ、次はBリーグの舞台へ

「フルメンバーというか、1年生から4年生が出られる大会でタイトルを取りたかった」と富山。当然、インカレでの結果に心残りはある。それでも、右も左も分からなかった自分を支え続けてくれたみんながいたからこそ、ここまでやってこられた。

「西尾さんやチームメートだけでなく、家族にもサポートしてもらいました。新人王もそうですけど、このインカレの東海大学戦までずっと試合に出られる状況を作ってくれたことに関しては、本当に感謝しかないです」

「1年の時はあまり考えずにプレーしていた」と振り返る富山自身も、近い将来を見据え、この4年間で努力を積み重ねてプレースタイルを変化させた。オフェンスパターンはドライブが主体だったが、今では3ポイントも躊躇(ちゅうちょ)なく放ち、ボール運びや攻撃の起点となるハンドラーを担う場面も増えた。

「大学ではパワーフォワードでしたけど、プロに行くともっとフィジカルの強い選手がたくさんいる中でやっていかないといけない。そう考えるとポジションアップしなければいけないですし、シュート力、ディフェンスの脚力もまだまだ足りないので、これからもレベルアップできるよう頑張りたいと思います」

次なる舞台はBリーグ。富山仁貴は、胸を張って新たなステージへ歩み始めた。

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