二枚看板の吉居駿恭・溜池一太を擁する中央大学 箱根駅伝は全日本の無念晴らす舞台に
10月の箱根駅伝予選会を6位で通過し、約2週間後の全日本大学駅伝は12位。箱根駅伝で最多14回の総合優勝を誇る中央大学は今季、苦しいレースが続いている。ただ、選手のポテンシャルは高く、選手層も厚い。来たる本戦での目標は7位だが、上位進出も見据えている。
4年生を中心に取り組んだ「脱スマート」
「予選会か全日本のどちらかに専念する選手と、両方を走る選手とに分けたのですが、予選会は久方ぶりとあって〝置きにいく〟走りをしてしまい、全日本ではここに照準を合わせていた選手が機能しませんでした」
藤原正和監督は力を発揮できなかった2大会をこう振り返る。ただ、溜池一太(3年、洛南)と吉居駿恭(3年、仙台育英)のダブルエースを筆頭に個々のレベルは高い。選手層も厚く、藤原監督は「駅伝チームを二つ作れる」と自負している。
ではなぜ、不本意な結果に終わってしまったのだろうか。
「もちろん、マネジメントの問題もあったと思いますが、粘り強さ、泥臭さが足りなかった。気持ちの面ですね。何事もスマートにやるのは中大の伝統でもありますが、それが悪い方に出てしまいました」
そこで藤原監督は、この部分の立て直しを4年生に求めた。もっと気持ちを前面に出す集団にならないと、箱根でも勝負できない、と。これを受け4年生たちは、佐野拓実主将(洛南)を中心に、改善に向けた話し合いを行った。
「なぜこうなったか、4年生全員で本音をぶつけ合いました。その上で、勝利への執念をどうすれば出せるのか、意見を出し合い、走る前のトレーニングをより真剣に行って、ジョグの時間を数分でも増やすことから始めよう、ということになりました」
4年生が打ち出した意識改革がチーム内に浸透するまで、さほど時間はかからなかった。「脱スマート」を証明したのが、全日本の約3週間後に行われたMARCH対抗戦だ。全日本で7区14位に沈んだ吉居は、10000mで27分44秒48の中大記録を打ち立てた。本間颯(2年、埼玉栄)も27分46秒60で28分切り。阿部陽樹(4年、西京)ら他の選手も、気持ちが伝わってくる走りを見せ、チームは総合優勝。浮上への足掛かりをつかんだ。
エントリー外れた佐野拓実主将「サポートで貢献」
藤原監督はいまの4年生を「谷間の世代」と言う。1学年上には吉居大和や湯浅仁(ともに現・トヨタ自動車)ら、1学年下には吉居駿恭や溜池といったエースが存在する世代に挟まれている。一方で「優しい子が多く、チームの輪を尊重してくれる。下級生が力を伸ばしているのも彼らのおかげ」と評す。
その先頭に立っているのが主将の佐野だ。「就任当時は、選手としての実績がない僕が引っ張っていけるかのと、不安しかなかった」と明かすが、前主将の湯浅からかけられた「前回の箱根でシード落ちした中、厳しい1年になると思うけど、主将の経験は自分を強くしてくれる」という言葉が支えになった。
佐野は1人の選手としても成長するため、質の高い練習を重ねてきた。今年3月には日本学生ハーフマラソンで自己ベストを更新。だが、箱根予選会ではタイムが振るわず、最終学年でも本戦のエントリーメンバー16人には入れなかった。
「主将なのにメンバーを外れたのは、ふがいなかったですし、悔しくもありました。箱根を走るのは入学当初からの目標だったので……。でも自分は主将ですし、いつまでも下を向いてはいられないと、気持ちを切り替えました。外れたからにはサポートの仕事でチームに貢献していきます」
卒業延期の園木大斗、父の思いも乗せて
4年生には箱根を走るために卒業を1年延期した選手もいる。園木大斗(4年、開新)だ。園木は3年時の9月から丸1年、右ひざの故障で走ることができず、箱根出走を諦めかけていた。しかしその後、故障が癒え、不完全燃焼のままで卒業するのは……と藤原監督に相談したところ、「もう1年残って続けてみないか」と言われた。
園木が箱根を目指したのは幼少期の頃。きっかけは箱根駅伝のテレビ中継を見ていた父親のつぶやきだった。「俺も走りたかったな」。それを聞いた園木は決意を口にした。「僕が代わりに走るよ」。園木の父は中大陸上競技部のOB。箱根を走りたいと入部したが、夢はかなわずマネージャーに。総合優勝を果たした4年時の第72回大会(1996年)は主務としてチームを支えた。
卒業を1年先送りにしても、自分のために、父のために、どうしても箱根を走りたかった。「箱根にかける思いは誰よりも強いです」。園木は5年目で最初の関門であるメンバー入りを勝ち取った。
溜池一太「エースは自分」、自身初の2区へ
箱根本戦でも中心となるのは、溜池と吉居の2人だ。藤原監督が「花の2区」を走るのは溜池と明言。溜池も「エースは自分」と2区での出走を希望している。
溜池は1年時から2年連続で1区を走った。実績と経験値の高さは折り紙付きだが、藤原監督によると3月のアメリカ合宿を機に、練習への姿勢が大きく変わったという。
「向こうで自分より速くて強いアメリカの選手を目の当たりにしたからでしょう。ジョグの量が明らかに増えました。溜池の成長を見て、才能がある選手が努力すればこうなると感じました」
夏合宿で走り込みすぎ、それが原因となった故障の影響で全日本は本来の走りができなかった。そこからの回復は順調で、箱根は万全の状態で臨めそうだ。
吉居は前回の箱根以降、レースは5000mに絞っていた。「距離走はできていたので、5000mしか走っていなくても大丈夫だと踏んでいたが、それが全日本でのつまずきにつながったところはある」と藤原監督。それでも吉居に対する信頼は揺るがない。箱根は1年時に4区で区間5位、前回は7区で区間賞を獲得した。今回も藤原監督が重視している区間を任されることは間違いないだろう。
山下りの6区を担うのは浦田優斗(4年、國學院久我山)。前回も6区に起用され、5位と好走した。「6区は、はじめの5kmは上り。そこをいかに攻めて走れるかがカギになる」(藤原監督)
1年生で出走が有力視されているのは、溜池の高校の後輩でもある岡田開成(洛南)だ。同じ1年の佐藤大介(埼玉栄)とともに全日本で3大駅伝デビュー。2区6位と期待に応えた。藤原監督は「好素材が多い1年の中でも抜きんでている。往路の主要区間に配置する可能性もある」と話す。
最後は「楽しかった」と喜び合うために
前回大会は優勝候補の一角に挙げられていたが、まさかの13位に。箱根まで約1週間となった時点から、エントリーメンバー16人中14人が次々に風邪で体調を崩し、無念のシード落ちになった。藤原監督は「なぜあのような事態になったのか、まだ自分の中で答えは出ていない」としながらも、同じことを繰り返さないよう、1年を通して体調管理に気を配った。体温や脈拍数などを毎日、紙に記入し、除菌効果がある空気洗浄機も活用。医師の知見も求めたという。
体調を崩した14人のうち、最後に発熱したのが阿部だった。主力としての責任感から8区を走ったものの、区間を走り切るのがやっと。順位を落としてしまった。あの悔しさは忘れていない。阿部は自分にリベンジをしたいと、前回と同じ8区を希望している。
「大会後はしばらく、メンタル的にかなり落ちてしまいましたが、そこから立て直しました。手洗い、うがいなど、基本的なことは欠かさず、自己管理もしてきました。最後は走るだけです」
目標は7位ながらも、3強と目される國學院大學、駒澤大学、青山学院大学の一角を崩すだけのポテンシャルはある。「どの10人が走っても中大らしい走りができる」と佐野主将。走り終わった時に「楽しかった」と喜び合える大会にするつもりだ。