ラグビー

連載:伝説の名勝負

1990年冬、ラグビー早明戦2度の死闘(下) 12月2日 プライドかけ、人生観変わる激闘を!!

1991年の大学選手権決勝、胸を張る明治(奥)と肩を落とす早稲田

大学スポーツには、いまも語り継がれる名勝負がたくさんあります。4years.ではその主役たちに取材し、当時の思いや、いまだから言えることを語っていただきます。そしてできるだけ立体的に名勝負を再構成し、随時連載でお届けします。

第1回は1990年から91年にかけての冬、2度の死闘を演じたラグビー早明戦。3回の連載の最終回です。

1990年冬、ラグビー早明戦2度の死闘(中) 明治・吉田「キヨシー!」叫んで独走

あの死闘で両校を受験した高校生も

1991年1月6日、国立競技場に6万人の大観衆を集めた大学選手権の決勝。最高の舞台で明治が早稲田を16-13で下した。その1カ月前、関東大学ラグビー対抗戦で同点優勝となった“雪辱”を果たした。

明治は1月15日の成人の日、日本選手権で大学チャンピオンとして社会人王者の神戸製鋼に挑んだが、15-38で敗れた。日本一には輝けなかった。当時の神戸製鋼は1988年度から7連覇を達成するチームの3年目。明治OBのNo8大西一平、「ミスターラグビー」CTB平尾誠二らを擁し、学生が勝つのは厳しい相手だった。

1990年度の2度の「早明戦」の死闘のあと、両者の力関係は明治が優勢となる。94年度まで対抗戦で5連覇を達成し、一時代を築いた。その遠因はやはり、90年12月2日、24-24の引き分けにあった。

明治の3年生だったPR佐藤豪一(国学院久我山)は「100点取っても、ノーサイドの笛がなるまで怖い。トラウマになった。それだけいい教訓になったし、つらい思い出です」と振り返る。現にNo.8小村淳(函館有斗)が主将に就いた翌1991年度の明治は、対抗戦で早稲田、帝京以外の5試合は相手をゼロに封じて連続完封記録を作り、大学選手権でも危なげなく2連覇を達成した。

1990年度の早明戦で4年生だった世代は、1年生のときに「雪の早明戦」を経験しており、大学ラグビーが最も人気のあった時期に濃密な4年間を過ごした。現に1990年度の2度の死闘を見て、早稲田や明治を志望した高校生も多かったという。

今泉「明治は目標だった」

あらためて早稲田の4年生FBだった今泉清(大分舞鶴)に「明治というのはどういう存在か」と尋ねると、「明治は目標だった」と返した。「早稲田のラグビーは、明治に勝つことを素晴らしいと感じてきましたから。それは目標でした」

また明治の4年生でキャプテンだったWTB吉田義人(秋田工)に、早稲田という存在について聞くと「明治にとって、早稲田がいたから明治がある。早稲田もそう思ってくれてたはずです。だから、プライドをかけて戦うのに値するライバルであり、仲間です」とキッパリ言った。

90年度の早明戦で早稲田の3年生FLだった相良南海夫(早大学院)、明治のPR佐藤も同じ見解だった。

「ライバルというより、普段は仲間という感じでした。あの翌年、私が4年の早明戦の3日ほど前に、明治の主将だった小村から早稲田の寮に『チケットまわしてくれる?』って電話があったほどです。早明戦は6万人の観衆を集めていた重みもあるし、語り継がれるような戦いもあった。歴史的にもお互い切磋琢磨してきた存在であり、早明戦は本気をぶつけあうステージです」(早稲田のFLだった相良)

「早稲田には高校時代の仲間や先輩もいましたし、4年間、毎日、常に意識してました。早稲田とも慶應とも研ぎ澄まされた緊張感の中で試合をやってたので、いまでも仲間です。お互いをよく知っていて、放っておけないような。家族や兄弟のような存在です。明治のOBには『明早戦』と呼べって言う人もいるけど、僕は早稲田をリスペクトしてるので、あくまでも『早明戦』でいいのかなと思っています」(明治のPRだった佐藤)

佐藤「まず早明戦を見てほしい」

今年も28年前と同じ12月2日に、平成最後となる94回目の「早明戦」がキックオフを迎える。2014年からは秩父宮ラグビー場での開催に戻った。かつて国立競技場で開催されていたころのような大観衆の熱気は感じられないかもしれないが、今年は優勝のかかった大一番ということもあってチケットは完売している。

今年の慶應戦で相手スクラムをめくり上げる明治(手前、撮影・斉藤健仁)

2009年から13年まで明治の監督を務めた吉田は、強い口調でこう言った。「これまでの明治のOBたちが、その時々、魂を込めて早稲田と戦ってきた。先輩たちが築き上げた思いを継承してほしい気持ちもありますけど、まずは自分のプライドをかけて、いままでサポートしてくれた人たちに感謝しつつ、強い精神力を持って真っ向勝負してほしい。それと、ラグビーというスポーツは相手をリスペクトする精神を大事にしているので、応援している学生には、素晴らしいプレーだと思ったら相手のチームでも拍手してほしいです」

明治のPRだった佐藤は最近、在学中に早明戦を見ていない明治の卒業生が多くなっていると実感している。だから一般の学生に「まず早明戦を見てほしい」と訴える。「チアリーダーがいたり、校歌を歌ったり、超満員の雰囲気は楽しいと思います。プレーどうこうより、早明戦の現場にいると、大学の看板を背負ってるという自覚ができると思います。熱気、パワー、エネルギーを感じてほしいし、学生時代を満喫する中で一つの思い出にしてほしい」

早稲田のFBだった今泉は「早明戦は見るだけでも価値かある」と断言し、こう続けた。「大学の代表としてしのぎを削り、95年の長きにわたって切磋琢磨してきた、いわゆる伝統の一戦です。いまの学生からすると、ひいおじいちゃんのころから続いてる戦いです。ジャージーの色も変わってません。同じ世代が、95年も繰り返して戦っている。ほかにそういった戦いはない。縦の明治、横の早稲田というそれぞれのアイデンティティー、イデオロギーがあり、試合を見ると人生観が変わるような時間になりますし、どうして早稲田に、明治に入ったのかという、自分の大学にプライドが持てる瞬間となるはずです」

現在、早稲田の監督を務める相良は「お互いの持ち味を出し合う場所だから、ファンを魅了してきたのだと思います。試合前に『自分のスタイルを貫いて、持ってるものを出しきってほしい』と学生たちに伝えるつもりです。今年は明治のFWは強いですし、早稲田はFWよりもBKに力がある。両校のカラーが出る。一般の学生には色の違いを見てもらいたいですし、お祭り騒ぎを楽しんでほしい」と語る。

吉田「明治が勝った方がうれしい」

最後に1990年当時の選手だった4人に「やっぱり母校が勝ってほしいですか?」と尋ねてみた。

明治の吉田は「負けるチームは負ける、勝つチームは勝つべくして勝ちます。敗者も勝者もチャレンジして成長してほしい。戦うのは学生ですが、僕が明治のOBであるのは事実です。やっぱり母校ですから、明治が勝った方がうれしいです。勝ってどんどん自信をつけていってほしい」と、後輩にエールを送った。

明治の佐藤は「明治が勝った方がうれしいですね。田中澄憲監督は明治の後輩というだけでなく、サントリーの後輩でもあります。澄憲は、エディー(・ジョーンズ前日本代表HC)のマネジメントもわかってるし、しっかり指導してると思います」と、後輩の手腕に期待を寄せた。

「今ではどっちが勝っても何も思わない」という早稲田の今泉は「世界に通用するような戦い方をしてほしいし、両チームのコーチには、学生を世界に通用する選手に育ててほしい」と試合内容を楽しみにしている。

創部100周年という節目の年に、早稲田の監督として初めての早明戦を迎える相良は「私が選手として出場した早明戦は1勝2敗1分でした。今年勝って五分にしたいですね」と意気込んだ。

今年の早慶戦、最後に笑ったのは早稲田だった(撮影・斉藤健仁)

過去の対戦成績は早稲田の53勝38敗2分。昨年は明治が29-19で勝った。近年は接戦が続いており、優勝もかかった今年の一戦も、競った試合になるのは間違いない。「この試合だけは負けられない、負けたくない」。両校が歴史と伝統、意地とプライドをかけて戦う94回目の早明戦は、歴史に残る、ファンの心に刻まれるような激闘が期待できる。

伝説の名勝負

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