俺が切り裂く、俺が勝たせる 早大RB元山
ふるさと関西での晴れ舞台を前に、早稲田のやんちゃ男が宣言した。「僕の状態としては、いまがベスト。KGは止められないと思います。最初から最後までずっと、KGを切り裂ける。僕の力で勝ったと言えるぐらいの試合に、絶対にします」。果たしてビッグベアーズのエースRB元山伊織(4年、豊中)は、有言実行の男となれるか。
初の関東リーディングラッシャー
今シーズンは関東大学リーグ1部TOP8の6試合で計610ydを走り、リーディングラッシャーに輝いた。「もっと走れたと思います。僕がもっと走ってれば、もっと楽に勝てた。その悔しさも甲子園で晴らしたいです」。たいして喜んではいない。
ただ、ひとつ会心の走りがあった。
リーグ最終戦、優勝のかかった法政大戦だ。第4クオーター(Q)、早大が4点リードの場面。自陣深くからの攻撃をゴール前25ydまで持ってきた。そこで、エースが走った。中央やや左を突くラン。OL(オフェンスライン)のブロックも見事だったが、できたホールへ突っ込む速さが尋常じゃなかった。一線を突き抜けると、最後尾を守るDB(ディフェンスバック)が詰めてきた。ほんの少しだけスピードを緩め、最小限のステップで左にかわす。あとはまっすぐ駆けるだけだった。これで11点差になり、大勢は決した。
このプレーで元山はアメフト人生7年目で初めての経験をした。
「セットしたとき、エンドゾーンの左側にカメラマンが何人もいるのに気づいたんです。そんな余裕があったんは初めてでした。『抜けたらセーフティーかわして、カメラマンのとこまでいこか』って思って。その通りになって、思わずポーズとってしまいました」
ある日、小柄な男子がやってきた
大阪府豊中市の出身。中学まではサッカーをしていた。豊中高校でもサッカーを続けるつもりだった。入学直後の仮入部期間にサッカー部の門をたたくと、上級生に「お前みたいなヤツは練習に入れられへん」と言われた。高校受験の終わった開放感もあって、元山は髪の毛を明るい茶色に染めていたのだ。「なんやねん」。元山は思った。
その数日後、教科書購入の列に並んでいると、見知らぬ小柄な男子がやってきた。「一緒にアメフトやろうや」。元山は思った。「なんやねん、このちっこくてうるさいヤツは」。それでもアメフト部に行ってみた。いい雰囲気だったし、競技自体も面白く感じた。何より「茶髪でもええよ~」と言われたのがうれしかった。入部を決めた。すると先輩の態度が一変。「髪の毛、黒に染めてこい」。元山は思った。「めっちゃウソつくやん~」。でも染めた。アメフト人生が始まった。
元山をアメフト部に誘った小柄な男子は、同期17人で唯一のアメフト経験者だった。驚いたことに、彼は元山以外にもほとんどの同期に声をかけて、集めていた。「アイツのバイタリティーには、ほんま勝てません」。元山がそうたたえる男の名は尾崎祐真。実は、彼は元山よりも先に4years.に登場している。いま関学の副将で、パントリターンにかける「必殺仕事人」だ。自分にアメフトのきっかけをくれた男と、大学ラストイヤーに学生日本一をかけてぶつかれる。「こんなおもろいこと、そんなに起こらないっすよ。めっちゃ幸せです」と大笑いする。
進学校である豊中高のアメフト部は3年生の春の大会が終わると引退する。最後の春、元山たちは関西大会へと勝ち上がり、2回戦で関学高と当たった。元山はオフェンスではRB、ディフェンスではLB(ラインバッカー)と攻守両方で出ていた。0-13で折り返した後半に反撃開始。尾崎のランによるTDと、パント隊形から元山がパスするトリックプレーによるTDで14-13と逆転した。しかし、試合残り2分22秒からの関学のオフェンスにやられた。ハーフライン付近からロングパスを通され、TD。14-21。残りは28秒。土壇場の逆転負けだった。元山も尾崎も大泣きした。
元山は自動車で観戦に来ていた両親と帰るはずだった。しかし、車の中でまた泣き出しそうな気がした。親の前で泣くのは嫌だった。だから一人で歩いて帰ることにした。どこをどう歩いたのかも覚えていない。ただ公園で泣きながらカップラーメンを食べたのは覚えている。家についたとき、歩き出してから3時間が過ぎていた。
中村多聞コーチの教え
さあ受験だ。1カ月考えて、早稲田を志望校にした。「だいたい、みんな国公立か関関同立に行くんですけど、僕とタクミは『ブランドや』って言って早稲田にしました」。それまでほとんどアメフトしかやってなかったから、成績では学年でも最下層だった。しかし早稲田でアメフトをやることだけを考えて、1日10時間勉強した。三つの学部に合格した。タクミこと中村匠も現役で合格。いまビッグベアーズのLBとして活躍し、副将を務める。
早稲田に来て最初の2年は続けて甲子園ボウルに出場。ただ控えRBの元山に出番はなかった。3年の春、アメフト人生で最も大きな出会いがあった。かつてNFLヨーロッパでもRBとしてプレーした中村多聞さんがコーチに就任した。「多聞さんがいなかったら、いまの自分はないです」。元山はそう言いきる。多聞さんから教わったことが、いつも頭の中をグルグルと回っている。「結局はヒットとタックルなんや」「アメフトは気持ちと気持ちのぶつかり合いや」「小手先のフットボールなんかするな」「相手をかわして喜んでるのは高校フットボールや。思いっきり走って、最短距離でタッチダウンまでもっていくのがRBや」。それを一つひとつ実践してきたら、世界が変わった。
いまはプレーが始まる前、自分たちのプレーと相手ディフェンスの隊形を重ね合わせ、どこをどのタイミングで走ったらいいかが思い浮かぶ。だから思いっきり飛び込んでいける。「アメフトは戦術じゃないです。結局根性なんです」。チームのみんなにも、ずっと言ってきた。やっと最近、仲間にも伝わってきた気がする。
2年前の甲子園ボウルのポスターに先輩のエースRBが登場した。部屋に貼って、「次は俺がここに載るんや」と思っていた。それが現実になった。「ほんまに最高です。勝って、早稲田が最初に勝った甲子園ボウルにして、ずっと飾っときます」
もちろん両親も観戦に来てくれる。高3のあの日は自分の顔を見られたくなかった。今度は笑顔を思いっきり見てもらう。そう決めている。「親の前でええかっこ、したいっすね」
高校でも大学でも関学に負けて終わるなんて汚点は、元山伊織の人生には残せない。「僕が走りまくります。僕が勝たせます」。さあ、ケンカの始まりだ。