知らなかったラクロスがここにあった 慶應・吉岡美波(下)
連載「いけ!! 理系アスリート」の第4弾は、慶應義塾大学ラクロス部女子の吉岡美波(4年、大妻多摩)が主人公です。中学でラクロスを始め、慶應のラクロスに憧れて国立大志望から変更した吉岡ですが、理工学部生との両立は多忙を極めました。
100回ぐらい、やめようかと
入学早々、吉岡は悩んだ。理工学部の先輩から「体育会と理工の両立はものすごく大変だよ」と言われたからだ。もちろん両立している人はいる。この連載に登場した慶應ラグビー部の古田京(きょう、4年、慶應)は医学部生だ。しかし吉岡は実験や演習、各種レポートに加え一般教養や語学と想像するだけで恐くなった。加えて慶應のラクロス部は常に日本一に手が届く場所にいる強豪ときている。とはいえ、わざわざ「慶應でラクロスをやるため」にと進路変更までして入学したのだ。ビビりながらも、ラクロス部の門をたたいた。
ラクロス部の練習は週5日。月、木曜日が休みで、火、水、金曜日の練習は朝7時から始まる。吉岡は朝練のため、4時50分に家を出る。基本的な練習のタイムスケジュールは、グラウンドでの練習が10時まで、その後1時間がフィジカルトレーニングで、11時にすべての練習が終了。ただし、このスケジュールは午前中に授業がないメンバーだけ。必修科目の多い理工学部生はそうもいかない。ほぼ毎日1限から授業がある。
「練習には『授業抜け』という制度があるので、1年生のときはほとんど1限抜けでした」。チームメイトが練習しているのを尻目にキャンパスに向かった。学校が終わってもリポートが大量にある。「1年生は理工学部の基礎科目なので難しくはないけど、とにかく量も枚数も多い。かなりエグかったです(笑)」。夜中までリポートを書いて朝練に行く。睡眠は3、4時間程度。そんな生活が続いた。
ラクロスで体を使い、研究で頭を使う。さらにアルバイトも。毎日へとへとだ。ただ、一度始めたら投げ出さない性格。学科や研究室の課題に集中して取り組んだ。「何も予定がない日はずっと勉強できます」。この集中力と真面目さで、勉強とラクロスを両立させてきた。2年生で管理工学科を選択し、いまは稲田研究室でインダストリアル・エンジニアリングと経済性工学を学ぶ日々だ。とはいえ、多忙のあまり「100回くらいラクロスをやめようかと思った」と笑う。それでも踏みとどまったのは、大久保宜浩ヘッドコーチのおかげだった。
限界のないスポーツ
慶應ラクロス部は日本で初めてのラクロス部だ。大久保ヘッドコーチはその創設メンバーで、「ラクロスの一番の目的は強くなるより、スポーツとはこんなに楽しいものだと知ること」と学生に伝えている。吉岡はこのスタンスにハッとさせられた。「とにかく自由にラクロスをやらせてくれるんです。ラクロスはまだまだ発展するスポーツだから、どんなプレーをしてもいいってことにも気づけました」
吉岡は中学でラクロスに出会い、高校までは勝つことばかり考えていた。それもあって高校最後の関東大会で負けて全国大会出場がかなわなかったとき、ラクロスを続ける気力がなくなった。でも、慶應のラクロスは違った。「ラクロスってこんなに楽しいんだ」という感情があふれてきた。「もちろん体育会っぽいところもあるけど、みんな練習も試合もすごく楽しそうにプレーするし、先輩はテクニックをすごく教えてくれる。同期とも『あんなプレーできたらカッコいいね』とか話してると、本当に面白さもプレーにも限界のないスポーツだなと思うんです」
慶應の強さは、ここにある気がする。大久保ヘッドコーチのラクロスへの思いがチームに浸透しているのだろう。吉岡は1年生からベンチに入り、2年生の秋のリーグ戦からほぼ試合に出場し続けていた。そして3年生、勝利の瞬間こそフィールド上にいなかったものの、日本一も経験した。4年間、AT(アタック)一筋でゴールを決めてきた。今年の全国行きを決めた関東ファイナルでのサドンビクトリー弾は、とくに印象深い。慶應ラクロスへの気持ちが、この言葉に集約されている。「慶應に入れて本当によかった。ラクロスをやる決断をしてよかった」
12月9日の全日本選手権準決勝。慶應は社会人クラブチームのNeOに3-5で敗れた。10年続いた吉岡の学生ラクロスは幕を閉じた。来年3月には大学を卒業する。大学院には進まず、航空業界の技術職の仕事に就く。準決勝の前に吉岡が口にした言葉が思い出される。「いまのところ社会人ではラクロスは続けないつもりです。だから優勝しなくちゃいけないんです」。高校では最後の試合に負けた悔しさが残り、一旦はやめようと思ったラクロスを大学でまた始めた。今度はどうだろうか。ともかく、10年間のラクロス生活が1度幕を閉じた。