自分の存在意義に悩む日々 青学大陸上部元主務・髙木聖也 3
人知れず体育会で大学生活をすごした方に当時を振り返っていただく連載「私の4years.」。青山学院大学陸上部が箱根駅伝で初優勝したときの主務、髙木聖也さんの3回目です。マネージャーとなった髙木さん。日々業務にあたる中で、「自分の存在価値」について悩むようになります。
マネージャー転向、温かく受け止めてくれた
2013年のお正月、第89回箱根駅伝で青山学院大学は総合8位となり、4年連続となるシード権を獲得しました。箱根駅伝後の帰省期間中に、家族や親戚、中学高校の恩師や、成人式で久しぶりに会った地元・熊本の友だちに、マネージャーに転向することを伝えました。どんな反応が返ってくるのか不安でしたが、「お疲れさま」や「頑張れよ」「応援してる」といった、ありがたい言葉をもらいました。
うまくいかないことばかりでも選手であることにこだわろうとしたのは、「地元の親しい人たちの期待に応えたい」とか「挫折した姿を見せたくない」という気持ちもあったと思います。私の地元では大学進学で上京する人はかなり少数派で、親戚にはスポーツを大学まで続けた人がいなかったこともあって、必要以上に「自分はあきらめてはならない」と思い込んでいました。マネージャー転向を伝えたときの温かい反応で、応援してくれる人たちを大切にしないと、と改めて感じ、新しい立場でチームや選手のために精一杯頑張ろうと思えました。
はじめての業務に悪戦苦闘
2月中旬、「引退」の引き金となったけがによる松葉杖も取れて、いよいよマネージャーとしての業務が本格的に始まりました。青山学院大学陸上競技部のマネージャー業務は、スケジュール調整、計測、警備、給水、報告書作成などの日々の練習サポートに加え、大会エントリーやホームページ・SNSの運営、データ集計、メディア対応と多岐にわたります。当時は選手40名に対し、男女合わせてマネージャーは10名ほどでした。
はじめは警備や計測のやり方で選手から注意を受けたり、公式ホームページの更新を大きく間違えたり(今思い返すと恐ろしい!!)と悪戦苦闘の日々でした。毎朝チーム全員と原監督夫妻に向けてその日の練習スケジュールを発表する担当もしていたのですが、監督から「声が小さくて自信がないように見える。チームメイトもお前が頼りないという印象を持ってしまうぞ」と叱咤を受けたこともありました。自分が人前で見せる姿で、相手が自分に抱く印象や信頼も変わるのだなと気づき、非常にいい経験をさせていただきました。
最初は苦労しましたが、マネージャー業務は基本的には毎日、毎週同じことの繰り返しです。2~3ヶ月経って業務にも慣れ、余裕も出てきたとき、大学のほかの部に所属する友人から「マネージャーってすごいね。人のために働いて。俺だったら絶対無理だよ」と言われました。ふとした言葉でしたが、深く考えてしまいました。マネージャー業務が嫌なわけではないですし、チーム目標をどう達成するかは、選手時代よりも意識するようになっていました。ただ、箱根駅伝を走るため、また、選手としてチームに残るために毎日必死だった選手時代と比較すると、どこか物足りなさを感じていたし、「自分のやっていることがチームのためになっているのかな?」と、不安を抱くようにもなってきていました。
人目を気にしすぎていた
そんな気持ちのときに、自分の不注意で大けがをして入院。約2カ月もチームを離れることになりました。当たり前ですが、その間も自己ベストを更新する選手やけがから復帰する選手もいますし、マネージャー業務も誰かが代わりをしてくれていて、チームとしては回っています。ますます自分の存在価値がわからなくなりました。退院していざ部に戻るとなったとき、チームメイトからどういう反応をされるんだろう、戻りたくない…という気持ちも大きくなりました。しかし実際には、戻って最初の1日、2日は皆、ブラックジョークを交えながら声をかけてくれましたし(ありがたかったです!!)、1週間もたつと、何事もなかったような日常に戻っていました。
この時、いい意味で「人って、他人の事をそれほど気にしないんだ」と気付き、人目を気にしすぎていた自分を改めようと思いました。自分の存在価値について悩んでいたのも、結局は人からどう見られるかを気にしすぎていたからだなと分かりました。同時に「チーム、選手のために」と思いすぎることもやめました。もっと選手時代のように、「自分が何をやりたいのか、何を達成したいのか」を第一に考えるべきじゃないかと気づいたんです。マネージャーになって物足りなさを感じていたのは、そこなんじゃないかなって。
そこで、改めて自分の目標を立てました。「箱根駅伝優勝チームの主務になること」。役職につくことで、自分の責任感も増す。そして優勝を目標にしたときに、主務としていろいろな取り組みをしていきたいと考えたからです。それ以降、その目標を達成するための行動、言動を意識するようにしました。