大学陸上・駅伝

連載:私の4years.

最後の箱根でV狙う 青山学院大学陸上競技部元主務・髙木聖也 4

同期のみんなと。全員ノリノリです(写真はすべて本人提供)

青山学院大学陸上部で、箱根駅伝初優勝のときに主務だった髙木聖也さん(26)の「私の4years.」4話目です。最高学年になり、主務となった高木さんは、チームの優勝のために動き始めました。

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「お前しかいないでしょ」

「主務になる」との目標を決めてからは、いままで以上に言動に注意して過ごすようになりました。マネージャー業務を完璧にやるのはもちろん、チーム全体や同期に対しても積極的に発信するようになりました。

主将、寮長、主務といった部のスタッフは、最高学年になる世代の学生が話し合いで決めて、原晋監督が承認したら正式に決まります。主務にはメディアの窓口や学生連盟の会議出席などという特有の仕事もありますが、わかりやすく言うと、マネージャーのリーダー的な役職です。箱根駅伝を直前に控えた3年生の年末に同期で集まり、翌年のスタッフについて話し合いました。緊張の中、主務をやりたいと立候補しました。「お前しかいないでしょ」と、マネージャーの同期をはじめ、みんなが賛同してくれました。1年間、主務を務める覚悟ができました。

「最強へ向けての徹底」「三大駅伝優勝」

箱根駅伝が終わり、新体制がスタートしました。部の伝統として、毎年チームのテーマを最高学年の話し合いで決めます。私たちの学年は「学生駅伝3冠」をチーム共有の目標とすることにこだわりました。

ただし、当時の三大駅伝での優勝経験は出雲駅伝の1度のみ。原監督も「優勝には運も必要だし、そこばかり目指すと頑張りすぎるから」という理由で、優勝という目標を掲げるのには反対の立場でした。私たちは戦力的に可能性を感じていましたし、何より「自分たちの代で箱根駅伝初優勝を果たしたい」という思いが強く、チームの本気度を上げるためには原監督の口からも「目標は優勝」と言ってもらうのが重要だと思っていました。

話し合って決めたスローガンは、寮の壁にも掲示した

時間をかけて話し合った結果、キャッチーなものより日々の取り組みに落とし込めるテーマにしよう、という流れで決まったのが「最強へ向けての徹底」です。どんなに小さなことでも「悪いこと」なら見過ごさずに改善していこう、「いいこと」なら取り入れよう。それくらいしないと目標は達成できないよね、というメッセージを込めたテーマです。スタッフ三人で原監督にプレゼンし、「三大駅伝優勝」という目標とともに、承認を頂きました。

テーマの徹底と「寝坊事件」

しかし、そこからの数カ月は大変でした。今まで見過ごしていた「小さなこと」を指摘するので、チーム全体が「最近、よく問題が起きるな」という雰囲気になります。雰囲気が悪くなると、自分たちのやっていることが正しいのかどうか不安にもなりました。ただ、原監督に相談した時に「いまの雰囲気より、駅伝シーズンなどの本当に大事な時期の雰囲気の方が大事」と後押ししていただき、「最強へ向けての徹底」を継続できたのを覚えています。

そしてもう一つ、いま振り返ると大きかったのが「寝坊事件」です。テーマを決めてすぐの時期に、同期の一人が練習に寝坊してきました。その練習後のミーティングのとき、彼と一番仲が良かった藤川拓也(当時主将/現・中国電力)が、周りが引くくらいに激怒して、それにほかの同期も追随……。少し見せしめのようで、決して「いい」とは言えないですが、それを見た下級生は「この人たち本気だな」と思ってくれたようですし、チームを劇的に変える必要があった当時の状況からすると、よかったなと思います。ちなみに藤川はミーティング前に「俺、キレるよ」と相談してくれました(笑)。この寝坊事件は、いまでは同期で集まると毎回笑い話になっています。

初めて「マネジメントの面白さ」を知る

新チームの始動から数カ月すると、チームの雰囲気が変わってきました。ミーティングなどで、「優勝」という言葉を使うチームメートが増えましたし、関東インカレなどの大会や記録会で、チームの成績もついてきました。そのとき「自分が目指しているところに、チーム、組織が追いついてくる」という、マネジメントの面白さを初めて感じました。

4年生の夏合宿。厳しい練習をこなす充実の日々が続いた

もちろん、自分がいたから、これをやったからそうなった、という明確な何かがあるわけではありません。それでも、そのときの自分なりに、ミーティングで話す内容や選手に伝える言葉を考え、チームに新しい取り組みを導入したり、いままでの取り組みを見直したりと、自主的に動いたことがいい結果に繋がっている気がして、大きなやりがいを感じました。自分がけがに悩まされたこともあり、けがを減らす取り組みも積極的にやりました。選手が休むのを後押ししたり、監督に相談したり。いまでは「青トレ」として有名になったストレッチ・トレーニングを取り入れたのも、このころでした。

出雲駅伝に出発する前に、全員で記念撮影

厳しい夏を乗り越えて迎えた駅伝シーズン。10月の出雲駅伝は史上初の台風による中止。11月の全日本大学駅伝は3位でした。天候はどうにもできないですし、全日本大学駅伝はチームの最高順位です。それでも、2大会とも大きな悔しさが込み上げました。「必死に追ってきた目標を達成できなかった」と。ただ、それだけ悔しいと思えるのは本気で優勝を目指してきた証拠だし、チームの目標を、本当の意味で自分の目標としてとらえられていたということだと思います。選手のときは、純粋にチームの結果に一喜一憂することは正直難しいときもありました。マネージャー、主務になってからの自分の心境の変化に改めて気づきました。

そして、毎年12月10日の箱根駅伝のエントリー発表の日。合同記者会見では出場校の監督、主務が発言します。原監督は「ワクワク大作戦」というキャッチーな作戦名とともに、はっきりと「優勝を狙う」と公言して下さいました。私も「優勝を狙うための取り組み、意識作りができましたし、戦力も整いました」と、自信をもって発言したのを覚えています。

駒澤大学が圧倒的な優勝候補でした。青学に対するメディアの注目度もそれほど高くはありませんでしたが、チーム内では明確に、優勝を狙いにいくという雰囲気がつくれていたと思います。

続き「組織の力で箱根駅伝初V」はこちら

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