ドイツ在住の夢追い人・中山イチローの「人生なんとかなってきた」#3 社会人1、2年目
3回目は社会人になったときの話を書こうと思います。
もうアメフトに携わることはない
近畿大学アメフト部での最後の1年は、幹部なのに、4回生なのにチームに何も貢献できていないという引け目を毎日感じながら過ごしました。当時の近大は関西学生リーグの三強(関学・京大・立命)からも一目置かれるほど“練習がキツイ“、“根性練が多い“ことで知られていましたが、引け目を感じながらの練習は、それまでの3年間の何十倍もキツく感じました。それを最後までやり通せたとことだけが、4年間で得られた唯一の自信になりました。
その小さな、小さな自信と大きな後悔を抱きながら社会人になりました。
チームメイトの多くが社会人リーグでアメフトを続けるため、アメフトチームを持つ企業やアメフトチームをスポンサードする企業に就職しましたが、僕はアメフトとは無縁の不動産関係の企業に入社しました。
入社1年目はアメフトから目を背けていました。試合観戦は近大の秋のシーズン開幕戦を応援に行ったくらいです。もう、アメフトに携わることはないと思ってました。
社会人2年目、湧き出たアメフトへの未練
社会人2年目になり、近大の同期がプレーする社会人チームの「関西興銀ブラックイーグルス」のスポンサーが撤退し、社会人Xリーグで唯一、バックアップスポンサーのいないチームとなり、新人獲得に困っているという話を耳にしました。
そのことを聞いた瞬間、「大学で全然ダメな選手だった俺でもチームに入れてくれるかもしれん!」という淡い期待が頭に浮かびました。心のどこかで「まだアメフトを続けたい」という気持ちがあることに気づきました。
とは言っても、僕みたいな二流選手でもチームに入れるのか? 不安な気持ちいっぱいで練習を見学しに行きました。練習場に着くなり、テレビや雑誌で見ていた関学の選手がたくさんいることに圧倒され、練習では大学時代に有名ではなかった選手がすごいタックルをしているのを見て、淡い期待はどこかへ飛んでいきました。「こりゃ、あかん。俺では通用せーへん」。一気に我に返りました。
練習見学が終わって落ち込んだ気分で帰ろうとすると、監督、コーチ、選手が「よう来てくれたな!」「このチームは楽しいぞ!」「一緒にやろう!」という言葉をかけてくれました。
スポンサーが撤退し、新人獲得に困っている状況だからこそ、そんな言葉をかけてもらえたのですが、「こんな俺でも歓迎してくれるんや!」と思うとうれしくて、うれしくて。「絶対にこの人たちとアメフトがしたい!」と、心の底からの感情が湧き出てきました。
遠方から自腹を切って練習参加
ブラックイーグルスは多種多様な職業を持つ選手が集まるクラブチームなので、練習場がある大阪以外に住んでいる選手は新幹線や飛行機を利用し、はるばる東北、九州からも練習に参加していました。
通常、クラブチームはスポンサー企業と契約し、スポンサー企業がそれらの交通費に加えてヘルメッドやショルダーパッド、練習着、ユニフォームなどの用具一式のすべてを負担してくれるのですが、スポンサー企業がいなくなったので、遠方の選手は自腹を切って練習に参加するという状況になってしまってました。
次回はこのチームでかけがえのない経験をしたことについて書きます。