ドイツ在住の夢追い人・中山イチローの「人生なんとかなってきた」#2 近大4回生
2回目はずっと後悔している「近大4回生のころの自分」について書こうと思います。
仲間の主将への推薦、監督に突き返された
2年の浪人生活を経て入った近畿大学でアメフトを始め、私は3回生で「試合に出る」という目標を達成しました。そのあとは心が突き動かされるほど「達成したいこと」が見つからないまま最上級生になってしまいました。
当時の監督から「今年の幹部は4回生で決めろ」という指示があり、話し合いをしたところ、なんと僕が主将に選ばれてしまいました。試合に出るために必死になっていたころの自分であれば選ばれてもおかしくないのですが、目標を失い、ふぬけ状態でしたので、何度も断りましたが、最後は「みんなの意見やから断るな!」と同期の仲間たちに叱られ、やむなく受け入れました。
報告するために監督室に行き、「僕が主将をすることになりました」と言った瞬間に、「お前なんかが主将できるんか!」と言われ、とっさに「できません!」と答えてしまいました。「ほんなら、考え直してこい!」ということで、再度話し合いをし、主将ではなく、副将を引き受けることになりました。
当時、関西ではアメフトが大学スポーツとは思えないほどの人気があり、3〜4万人の観客が入る試合もありました。試合のテレビ中継も多く、多くのメディアにとりあげられていました。以前は「メディアにとりあげられる選手になりたい!」と思っていたのが、幹部になった途端に「近大のことを悪く言われんやろか?」「自分のプレーのことを悪く言われんやろか?」と、ネガティブな発想しか出てこなくなりました。
当時の関西学生リーグ三強(関学、京大、立命)の幹部が鬼気迫る雰囲気で100人以上の部員を統率する姿、とりつかれたかのように練習に打ち込んでいる姿がメディアから流れてくると、「こいつらより、おれの方が劣ってる」とプレッシャーを感じるばかりで、「こいつらに負けんぞ!」というポジティブな気持ちにはなれませんでした。
監督は、すべてを見抜いてた
とにかく、人目が気になって仕方ありませんでした。信念がないときほど、人目が気になることを身をもって知りました。
監督は僕がこうなることを見抜いていたのでしょう。いまも頭が上がりません。
同級生から主将に選ばれたとき。監督に「お前なんかが主将できるんか!」と言われたとき。三強の幹部が切磋琢磨(せっさたくま)している姿を見たときになぜ、発奮しなかったのか。心の奥底からパワーが出てもおかしくないきっかけが何度もあったにもかかわらず、発奮しなかった自分にものすごく後悔しています。
次回は後悔ばかりを背負って始まった社会人生活について書こうと思います。
よろしくお願いします。