「記憶」より「記録」に残りたかった 元中央大ソングリーディング部 大嶋夏実2
大学時代にスポーツに打ちこんだ方に当時を振り返っていただく連載「私の4years.」。元中央大学ソングリーディング部の大嶋夏実さん(25)の2回目は、大学生活のスタートについてです。高校でチアに打ち込み、大学ではきっぱりやめようと思っていた大嶋さんですが……。
チアは卒業しようと決めた、でも……
毎日、つらさが故に部活をやめたいと思っていた高校時代。3年生の秋ごろ、無事に中央大学法学部への進学が決定してからは、仲間と毎日一緒に練習して、チア漬けの時間を過ごしました。集大成の全国大会も過去最高の成績で終え、卒業公演ではたくさんの方々に「おつかれさま」と声をかけていただき、思い残すことのない状態で卒業しました。
大学入学後はもちろん、チアは卒業。学業に専念するとともに、新たな領域に挑戦しようと決め、たくさんのサークルの新入生歓迎会に足を運びました。それでもやはり、チアダンス部が気になってしまうのです。高校の先輩方が主となって創部した、結成5年目のチアダンスチームがありました。体育会の部ではなく、サークルです。先輩の話を聞く限りでは、「踊ることが大好きな人たち」が集まっていて、高校時代ほど厳しい上下関係もなければ、大会で上位に入るのが当たり前でもないからプレッシャーもない、とのこと。ただ私はどうしても高校時代の練習のつらさを思い出してしまったり、性格上、始めたらとことんのめりこんでしまうだろうという不安があり、なかなか踏み込めずにいました。
そんな中で私が一歩踏み込んだ理由は「1位のステージから見たあの景色が忘れられない」という思いと、やはりメンバーとコーチの存在でした。高校時代、ともに戦ったメンバーが次々とチームに入っていく中で、「たとえ練習がつらかったとしても、みんなが輝くステージに私だけいなかったら絶対に後悔する」。つまり嫉妬をしている自分が想像できたのです。余談ですが、高校に引き続き大学でも指導してくださる、尊敬してやまなかったコーチからの呼ばれ方が、高校時代は「大嶋」だったのが、大学のチームに入ると名前の「夏実」になる、ということも耳にし、「私だけその場にいなかったら悔しい!」と思ったのも理由の一つでした。
人としてもあこがれていたコーチにもっと指導していただきたい、という思いもあり、入学して新入生歓迎会が終わるころには「Garnet Girls」へ入っていました。
楽しいだけの雰囲気、徐々に物足りなく
とはいえ大変なのは入ってから。高校と違い、部活ではなかったので練習場所も用意されていない状態でした。自分たちで公営の体育館を予約し、講義が終わったあとに午後5時半~午後9時半まで4時間の練習、大会前はそれを週に5日やりました。サークルだったので学校からの補助金も微々たるもの。お金がないと練習もできなければ、ユニフォームも購入できず、大会へのエントリーもできないので、オフの日には全員がアルバイトをしていました。私の場合は土日も大学のチア以外の活動があったりしたので、6時からの早朝アルバイトに行き、講義に出て、夜の練習をして11時半に帰宅して寝る。そんな生活が続きました。
チアダンスの大会では、まだまだ新参者。チーム名も浸透していなかったため、周りのチームからの目線も高校生のときほど厳しくないように感じました。それほど悪い順位にはならないのですが、なかなか1位にはなれない。その壁はとてつもなく厚く感じました。チームに漂っていたのは「記録より記憶に残る演技をしよう」という雰囲気でした。先輩方が築きあげてくださった仲よしの雰囲気は大好きだったのですが、高校でともに戦ってきたメンバーの中では薄々「少し違うんじゃないかな」という気持ちも出始めていました。
私たちのチームでは、1年生の最後の大会前から、先輩に見守られつつ、1年生がメインとなって引っ張っていくという風土がありました。そのときが来ました。私はミーティングで思い切ってメンバーに対して口にしてみました。「私は記憶より記録に残りたい」。すると、メンバーの意見が一致しました。つまり「なんとしてでも1位をとりたい」という目標が明確になったのです。
きっと、楽しく踊れればそれでいいという人もメンバーの中にはいたはずです。でも、とにかく頂点に立ちたい、あの景色をもう一度、そんな思いを持つメンバーとともに「勝ちにこだわる」チームの雰囲気づくりが始まりました。
誰にも負けない練習量で蓄えた自信
とはいえ、ほかの強豪校はそもそもの経歴やスキル、テクニックが異次元。専属の整体師が常に同行していたり、練習場所が優遇されていたり。私たちがどうやっても手の届かない環境の差がありました。それでも、自分たちにできる範囲の最大限の力を駆使して勝負しよう、と決めました。
バレエやダンス、新体操など、さまざまな経歴を持ったメンバーが責任を持ち、個の力をチーム全体に浸透させる方法などを探りながら、また誰にも負けない練習量で自信を蓄えていきました。「平均に合わせるのではなく、一番の人と同じレベルになるべく全員が努力する」。負けず嫌いの女子大生集団は、ひざ周りに大きなアザをつくり、そこに湿布を貼り、毎日練習に励みました。もちろん急にチームの雰囲気が変わり、とくに後輩の中には混乱したメンバーも多かったと思います。自分たちの高い目標設定が故に、レギュラー争いが激化し、同期がメンバーから外れてしまうこともあり、つらい思いもしました。それでもサポートに回ってチームを支えてくれたメンバーの気持ちの強さには脱帽で、その子たちの分まで気を引き締めて突っ走ろう、と改めて思えました。
レールの敷かれていない道、仲間と進む
そうして迎えた1年生の最後の大会は3位でしたが、初めて世界大会への切符を手にしました。みんなで抱き合いながら泣いて喜びました。念願の世界大会。フロリダのDisney World、遠征費は40万円。全国大会から2カ月後の世界大会に向けて、親に借金をして練習に励みました。この世界大会では部門6位。舞台からの景色、会場の雰囲気は圧巻で、本当にうれしかったことを覚えています。
また絶対にここに来たい。一番大きなトロフィーがほしい。チームメイトもみんな同じ気持ちでした。
2年生からは自分たちがメインの代。悪戦苦闘しながら、さらに自分たちがはい上がっていく過程、成長を実感していくことになるのです。レールの敷かれていない道を日々、チームメイトとともに進んでいくからこそ得られる達成感は、私にとって高校生活よりもさらに刺激的なものでした。