水泳

連載:私の4years.

真っ白に燃え尽きた競泳人生、娘に託す新たな夢 元法政大水泳部・内田翔5完

前年の五輪での反省から、2009年は強い思いで練習に打ち込んだ。その年のインカレから(写真は本人提供)

北京オリンピック出場を決めると、周囲の反応がガラリと変わりました。うれしいことですが、肝心の練習のほかに、取材依頼や出場報告会などのスケジュールが入り、多忙を極めることになったのです。

前回の記事「いろんな人に支えられて乗り越えた五輪代表選考会」はこちら

行動をともにしたリレーメンバーたち

法政大学へ行って、新年度の講義でお世話になる教授にオリンピック出場の報告をすると、激励していただけました。

小茂田猛コーチは常々、スイミングスクールで文武両道の精神を選手に教えています。「勉強することは当たり前。ただ、テスト勉強で練習を休むな。授業中にしっかり耳を傾け、学んでいればテストで点数はとれる」と。

その教えを守るため、練習がオフの日にはできる限り大学の講義に出て学びたいと教授に伝えると、出席できない日はレポートを提出すればいいと、格別の配慮をしていただきました。

さて、練習は800mリレーの代表に選出された男女7人(男子=奥村、内田、松本、物延、女子=三田、山口、高鍋※上田は海外で練習)が、4月の代表選考会後からオリンピックまで常に行動をともにして士気を高めていきました。

7月中旬、海外で調整をしていた選手も合流して、最終調整の地、韓国の済州島に向かいました。徐々にオリンピックムードが世間に漂い始めると、チーム内にも緊張感と高揚感が高まり始めました。北京で選手村に入村し、刻一刻と迫る本番に向けて調整が進みます。

代表になり、夢がかなってしまった

ところが、当の私はというと無気力な状態でした。やる気はあるのです。早くレースをしたいのです。なのに本調子になりません。

勘のいい方はもうお分かりになられたかと思いますが、このような状態になったのは、夢をすでにかなえてしまったからです。そもそも私の夢は「オリンピックに出場すること」でした。従ってオリンピックの代表選考会で選手として選ばれた時点で、目標に到達してしまったのです。

そしてオリンピック本番の幕が切って落とされます。出場した800mリレーで7位に入賞こそしました。ただ200m自由形では予選敗退。自身の結果には満足できなかったため、オリンピックを終えたあとの感想としては、北島康介選手の2種目2連覇を間近で見られて感動したこと以外、これといってうれしいことはありませんでした。

実際には自分の成績には心から悔しいと感じました。「メダルを必ずとる」といった明確な目標を設定せずに臨んでしまったことが、敗因にもつながったような気がします。もちろん「オリンピックに出場する」という目標も決して間違ってはなかったのですが、いざ出場が決まったとき、さらに一段高い目標を掲げるべきでした。

北京五輪の反省を生かして輝いた2009年

その反省もあり、翌2009年の大会には必ずいい結果を出すと決めて練習に打ち込みました。結果として、日本選手権の200m自由形で優勝(1分46秒88)、勝負に徹したユニバーシアードの200m自由形でも優勝(1分47秒63)し、続く世界水泳ローマ大会では、予選、準決勝、決勝と日本新記録を連発して、日本人初となる4位入賞を果たせたのです。レース後のインタビューで興奮し、「FANTASTICな気分です!!」と、つい言ってしまったので、その日から「昇り龍」改め、「FANTASTIC BOY」と呼ばれるようになりました。

2012年5月、群馬県庁で引退について語る(撮影・長屋護)

その後も水泳を続けましたが、北京オリンピックと世界水泳ローマ大会のときほど気持ちが入らず、2012年のロンドンオリンピック代表選考会で引退を決意しました。『あしたのジョー』で主人公の矢吹丈が言ったところの「燃え尽きたよ、真っ白にな」といった感じでしょうか。

水泳に出会い、何かに取り憑(つ)かれたように泳いでいたからこそ、このような気持ちになれたのだと思います。子どものころ、オリンピックに出ると誓ったあの日から、水泳とともに人生を生きました。水泳と出会わなければ、いまの私はいないといっても過言ではありません。水泳を始めさせてくれた両親には感謝の気持ちでいっぱいです。

スポーツで日本を笑顔に

現在は縁があって草野仁さんの事務所に所属し、オリンピアンとしてスポーツの普及やオリンピックのレガシーを伝えるべく、さまざまな講演活動やスポーツイベントに参加しています。

これからも講演会やイベントに参加して、参加していただいた方々に笑顔になってもらい、生きる勇気や希望を伝えたいと思っています。そのきっかけとなったのが歌手の松崎しげるさんとの出会いです。松崎さんと懇意にされていたベッキーさんのお母さんが水泳連盟の競技役員をされていた関係で、私をご紹介いただきまして、松崎さんとの交流が始まりました。

「僕は歌で、君はスポーツで日本を笑顔にしようよ!!」
松崎さんが私にくれた言葉です。

松崎さんのコンサートに行くと、終始パワフルな歌声を響かせ、ときに会場を全力で走り回ってお客さんを笑顔にしていました。その時に勇気と希望をもらうというのはこういうことなのかと実感したのです。

現在の“師匠”である松崎しげるさん(中央)、ベッキーさんのお母さん(右)と(写真は本人提供)

自分も人前に立つ者として、プロ意識を持つ大切さを忘れずにこれからも精進していきます。

法政大学で手にした財産

また、新たな夢ができました。引退翌年の2013年に結婚をして、現在2人の娘がいますが、娘をオリンピックに出場させ、よりよい色のメダルをとらせてあげるのが父としての夢です。あと2人授かり、リレーを組んでみたいというさらに大きな夢もあります。今後、ご期待ください。

最後に、水泳部のスローガンである「水泳は人間形成の道なり」のもと、法政大学で学んだことはかけがえのない財産になりました。

「人生に夢があるのではなく、夢が人生をつくる」
夢を持つことで、夢があなたの人生を導いてくれます。

最後に、夢を追いかけている方、不安で押しつぶされそうになっている方へ。
大丈夫!! 夢はかなう!!
その夢をかなえるため、思い切り人生を楽しみましょう!!

私の4years.

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